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メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その6                       2018年4月15日(日)記

ここにきて、日本のメディア界と政界が安倍晋三政権によるデタラメ行政への告発と関係者の右往左往、そしてそれらへのメディアによる「追いかけ」により大揺れで、小泉純一郎元総理さえ、この9月安倍三選に危険信号が灯った・・・とさえ発言しだした(18.4.14)。

筆者の立場は「事実はどうなのか」(事実命題)を知ったうえで「問題をどう捉え、社会改革に活かすべきか」(価値命題)という二項の整合性を私たちはどうつけていったらいいのかということ。現況に即していえば、①安倍首相とそれを支える麻生太郎副総理がやっている「とんでもないこと」の社会的意味とは?、②それはどこに原因があり、そこから出てくる結論は?、③次に誰が総理になりどのような内閣ができても安倍・麻生主導政権よりはましであるということの確認、である。

しかもこの結論は表面的で短期的な損得勘定ではなく、安倍と麻生が家系的にも政治的ワルとしても相似形で、戦前から戦後に引き継がれている日本政治と権力構造の実態からきているのだから、今私たちが浄化に動かなければそれなりに良識ある国民が協力して作り上げてきた日本の民主主義がどうなってしまうのか、骨のあるジャーナリズムが息絶えてしまうのでは・・・といわねばならぬほど事態が想像以上に深刻だということである。

 具体例を出して語ることにしよう。

話題その1:柳瀬総理補佐官よ、本当に「バカだ!お前は!」

いきなり乱暴な言い方になってしまったが国会の委員会で、財務省の太田充理財局長が、森友学園への国有地売却で値引きの根拠とされたごみの撤去について学園側に「口裏合わせ」を依頼したことを認め、「誤った対応であり、大変恥ずかしく、大変申し訳ない。深くおわびを申し上げます」と陳謝したとき、その答弁を引き出すための質問=明らかな「やらせ」質問をした自民党の西田昌司議員は太田局長に向かって「バカか!お前は!」と一括した。私が西田氏のこの質問を「やらせ」だというのは、一連の問題責任をすべて財務省役人に負わせ、安倍総理とその夫人昭恵氏を免罪しようとする意図がみえみえだったからである。

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農水省で見つかった加計学園の獣医学部新設計画に関連する文書=共同

もう一つこの項で触れておかねばならないのは加計(かけ)学園の獣医学部認可問題に係わる①安倍総理本人、②その刎頚の友、加計孝太郎(かけこうたろう)学校法人加計学園理事長・総長、③その関係を根源とする利害を代行して栄達を図ろうと必死の柳瀬唯夫経産相審議官(問題が起きた2015年当時の首相秘書官)の悪役3人とその構図を補強することで政界生き残りとそれによる経済利権を守ろうとしている④麻生太郎副総理である。


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愛媛県職員が作成した首相官邸での柳瀬氏らとの官邸での面会記録(同様のまとめが獣医学部直接管轄の農水省にも陳情の補完資料として提出された)によれば、加計学園による愛媛県今治市での獣医学部新設を巡り、県や市の職員、加計学園事務局長らがそろって首相官邸を訪ね(2015年4月2日)、柳瀬唯夫首相秘書官(当時)らと面会した。加えて、当該学部の新設は「首相案件」であり、「地元の希望として死ぬ気でがんばってほしい」などと柳瀬氏から逆に各方面(とくに文部科学省)への陳情を強化するよう激励され、直接の管轄官庁である農水省への陳情にも同種の「非公式メモ」を提出した。今回、農水省にもそのメモが残っていたことが判明してんやわんやとなったという顛末である(2018年4月12日)。

しかも、県職員が作成したその記録文書には(加計学園の獣医学部新設問題は)「首相案件」だとの柳瀬氏からの発言があったとも記されている。柳瀬氏から「首相案件」との発言があったことについては、「どういう意図でその言葉を使ったかは推し量りかねるが、(獣医学部新設に安倍総理が)前向きだと受け止めた」と知事は会見で語っている。

☆地方自治体職員の東京出張とは:

上記のやり取りについて、柳瀬氏は「記憶している限り、この件で地元の方たちにおあいしたことはない」と公式、非公式に何回も答えている。地方自治体職員が首相官邸(このこと自体が異例である)や中央の関係省庁を訪ねるのは「公務出張」であり、出張費が出る。だから、そうした出張には「報告義務」があり、通常そうした文書は「復命書」といい、そこには出張目的と面会相手と面会場所が最低でも経過説明とともに記される。こんどのような特別の意味のある出張の場合にはこの復命書のほかに、出張目的とその経過報告のより詳しい「報告書」(愛媛県知事のいう‘備忘録’)には「面会目的と日時、訪問先や面会相手等」が記録される。しかもその報告内容が県庁内と農水省内で発見されたものとでは大筋で一致している(細かい部分が違うのは時日的に後である農水省への提出版では推敲されたからで、「改ざん」とはちがう!)という「存在否定のできない文書」なのである。だから、柳瀬氏が国会で繰り返し答弁している「記憶の限りでは、愛媛県庁と今治市市職員に会っていない」とするコメントは100%のウソである。

加えて、それほど彼の記憶力が衰えておれば、そんな柳瀬氏は能力の低下した「バカか!!」だということになる。だがこの期に及んでも安部首相は「私は自分の秘書=柳瀬唯夫経産相審議官を信じる」といい、近づく日米首脳会談にも同行させるという。これでは安部首相対しても「バカか!お前は!」というしかなくなってくる。

話題その2:安倍晋三総理と麻生太郎副総理のケミストリー
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「ケミストリー」が相似形の安倍総理と麻生副総理は「相思相愛」で・・・「困ったときの悪だくみ」?
☆ケミストリー(chemistry=化学)とは「人間の性向と思考回路・行動パターン」のこと

この二人のケミストリーの相似性は①縦の歴史性②横の同時代性の双方における利権構造の共有に特徴があり、その二人が日本の政治的頂点に君臨していることが現代日本の不幸なのである。
深刻なのは、両氏ともに市民/庶民が安心して暮らせる方向を目指した政治という大目的などこれっぽちも持ち合わせないばかりか、②両氏ともにその財を築く基になったものがその家族による朝鮮半島、中国への侵略、そして戦後にはそれとは真逆の、しかも工作資金を与えられての対米協調への転換による裏取引によるものだからである。とりわけそのことは、安倍氏の母方の祖父である岸信介が①「旧満州国」における軍の資材調達、②商工大臣としての日米開戦のキーパーソン、③アメリカからの提供資金によって戦後日本の政党政治と安保体制を築き、「政治・経済合同運営」をしてきた・・・ことなど、恥ずべき過去をメディア操作によって巧妙に隠し、今なおそのやり方で政治をやっているからである。
ついでに言っておけば、麻生家も朝鮮半島から「結果として来日しなければならなくなった」朝鮮人労働者を使って九州で戦後の財をなしている。


日本新聞協会と現在のメディア状況

日本には主な新聞社、通信社、NHKを含む放送局=メディア企業が加盟する業界団体に「日本新聞協会」があり、この協会が毎年、優秀な記事を書いた社、業界の発展に貢献した社などを表彰している。
 ☆新聞協会会員:新聞 104、 通信社 4、 放送局 22 計130社(2018年4月1日現在)
  日本新聞協会について →www.pressnet.or.jp/about/

この日本新聞協会について、協会自身はホームページでこう自己紹介している
「日本新聞協会は、全国の新聞社・通信社・放送局が倫理の向上を目指す自主的な組織として、戦後間もない1946年7月23日に創立されました・・・。」
しかし、その前年の8月15日まで軍部の宣伝機関と化していた新聞社が自発的に組織を改革するはずはないから、実際には連合軍司令部による命令=「ほぼ強制」により結成されたものである。
☆詳しくは以下を参照:「メディア倫理の社会的パラダイム~米・英・日の原初的検討から~」2004年3月20日刊、pp.1-69
『同志社メディア・コミュニケーション研究』(創刊号、2004年3月発行)

 内部関係者によれば、今年度の日本新聞協会編集部門賞は「森友・加計学園問題」等の一連の報道でほぼ独走した朝日新聞社が受賞すると思われたが、その審査で「読売新聞社と産経新聞社が猛烈に反対した」ことで、他社の受賞となったという。もちろん、その受賞社の応募作品も立派である。だが、新聞協会の倫理綱領(2000(平成12)年6月21日制定)にはこうあることを知るとき、いかにも奇妙、珍妙、不可思議な授賞決定であった。

『21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい・・・以下略』

その「奇妙、珍妙、不可思議な決定」理由は次の写真が明瞭に示しており、それ以上の説明は必要ないだろう。

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プロ野球開幕巨人-阪神戦を観戦する安倍晋三首相(左)と渡辺恒雄・読売新聞グループ本社主筆=東京ドーム、毎日新聞2018年3月30日、佐々木順一撮影

なぜ、盛り上がらない日本のセクハラ撲滅運動?

中央官庁の次官を含めて、セクハラ事件が頻発している。男女がおれば、そして職場を含むどのような場所であれ、必要性があれば、なんらかの連絡や接触が「男女をとわず、複数間で」あるのは当然だ。しかし職場の仕事での必要事項を超えて、どちらか一方の性が違う性別の人に「必要限度を超えた接触を求めたり、男女間の相互尊重の精神なく有利な立場を利用した圧力的接触を強いること」は「セクハラ」だ。もちろん、セクハラは女上司から部下の男性に対してもないわけではない。

 このセクハラに関する直近の例では、「麻生太郎財務相、セクハラ疑惑の調査・処分はせず 福田淳一財務次官へ」などと『週刊新潮』記事を基にテレビや新聞が報じている(2018.4.12日付)。これは財務次官が女性記者にセクハラ発言を繰り返し、その音声録音がネット上でも公開されているが、まさに下劣な内容で・・・典型的セクハラである。

 いくら人間関係の構築がむずかしいことだといっても現役の財務次官=財務省のナンバーツーがそれでは困るし、その直接の上司である麻生太郎財務大臣=副総理が『週刊新潮』によるこの報道について、「本人には反省もある。緊張感を持って対応するよう述べたことで十分だ、本人が軽率であったと反省しており処分することはない・・・」といったとの新聞とテレビでの報道があるが、第二弾としてそのセクハラ発言が音声公開されると「事実であれば今の時代であればセクハラだろう、だが、緊張感を持って対応するよう述べたことで十分だ」と麻生氏が再度語った。
刑法上は確定していなくとも、セクハラは間違いなく社会的犯罪であり、その犯罪に対し、「緊張感を持って対応するよう述べたことで十分だ」といってすまそうとする麻生氏に対しても「バカか!お前は!」というしかなくなってくる。

 ☆以下は参考までに、最近書いた原稿である。詳しくは『メディア用語基本事典』改訂新版に掲載予定。

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☆ここにあるsurvivorは「被害から生き残った者」という意味である。

ミーツー #MeToo

英語でMee too.とか、You too.いった場合、「私も同じ・・・」「あなたもだよ・・・」という意味だが、その前に「#」(シャープ、ハッシュタッグ記号)をつけた表現は「私もセクハラの被害者!」という告発としてハリウッドの女優たちによって使われ始め、TIME誌がその運動を起こしたテイラー・スウィフトなどを「Silence Breakers=沈黙を破った女性達」)として「今年の顔」として取り上げた(2017年)。それが契機となり、欧米を中心に芸能界だけではなく、クラッシック音楽界など練習、学修時の密接な師弟関係から支配・被支配の構造に陥りやすい分野でも、欧米を中心に大きなセクハラ撲滅運動になりつつある。日本でも同種業界だけではなく一般企業や官庁・役所内でも類似状況にあるとの指摘があるが欧米ほどの運動の盛り上がりはない。(渡辺武達)

(2018年4月20日記)


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メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その5                      2018年3月20日(火)記

森友学園問題での安倍晋三首相夫妻、責任転嫁ミエミエの麻生太郎副総理とその麻生氏が「適材適所」を繰り返してきた佐川宣寿理財局長(当時)、一連のごたごたの犠牲者としての近畿財務局役人の自殺・・・といったミステリー小説風の展開で、ついに安倍政権の支持率と不支持率が逆転した。日本人の判断力も捨てたものではない・・・しかしその国民の怒りはいつまで維持されるのか?

☆毎日新聞(18/3/18)が17/18両日に実施した全国世論調査によると、安倍内閣の支持率は2月の前回調査から12ポイント減の33%、不支持率は同15ポイント増の47%だった。不支持が支持を上回ったのは昨年9月以来。学校法人「森友学園」に関する財務省の決裁文書改ざん問題が影響したとみられるという。19日付の朝日報道では不支持率が31%だが誤差を考えれば安倍政権への不支持率が支持率を上回ったという点では同じだ。

☆森友学園は当初、「安倍晋三記念小学校」との名前をつかい寄付金を集めていたが、安倍首相の了解がなかったとして「瑞穂の国記念小学院」と途中で言い方を変えた。が、建築申請書では「開成小学校」とされ、右転左転したことが伺える。

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財務省、決済済み公文書の改ざんを280カ所以上!

国会へ提出せざるを得なくなった国家財産の詐欺的販売とそれに係わる公文書の改ざんは280カ所以上もある。いったんは騙したものの国会でもそれを当の財務省、麻生財務相も認めざるをえなくなると(すでにそのコピーがネット上で公開中)、麻生氏はこんどは「一連のすべてが佐川の責任」だと公言している。しかしその大ウソの背景はつぎの4葉の写真から容易に推察でき、さすがの国民ももう騙されない。だから、上述のような大幅な支持率低下となって当然だろう。もっとも、安倍晋三夫人の昭恵氏はワンレンボディコンの遊び人グループ所属で、今になっても生まれ・環境からの特権が幻にすぎないことを自覚できないようだからあわれなのだが・・・

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☆この昭恵氏専属秘書の谷査恵子氏は事件発覚後、在イタリヤ日本大使館一等書記官として栄転、赴任。実質は破格の厚遇での口封じ「軟禁状態」にある。

経済産業省から内閣府への出向職員として安倍昭恵首相夫人つき秘書として働いていた谷査恵子(谷さえこ)さんが、現在、イタリアの日本大使館1等書記官に就いていることが報じられました。
18/03/19 にこのページにアクセスしました。


森友学園問題と安部夫妻、麻生副総理の犯罪、そしてメディアの責任

今、メディアが活躍する最大の話題で、かつメディアの責任が問われる最大の問題がこの「森友学園の小学校用地取得に関わる公文書書き換え(改ざん)」である。もはやそれは「疑惑」ではなく、事実として安倍・麻生コンビでさえ否定できなくない。役人とそれを統括する行政のトップが国民による国政検証のための基礎資料を職務に違反して自分たちの都合で書き換えてしまったのだから、関係者全員の切腹モノだ。加えて、この事件の背後には安倍晋三首相の妻、昭恵氏(通称:アッキー、元森友学園小学校名誉校長、後に辞任)と彼女がその力を利用して近畿財務局に口利きをした夫・晋三首相本人への悪しき「忖度」をした役人たち、それがどういうものであったかの実相の解明がメディアには問われている。

☆このアッキーについては森友問題が発覚するまで、メディアは彼女を「家庭内野党・・・」などという呼び方で褒め、「安部首相は悪くても奥さんはまとも・・・?」との印象作りをしてきたのだから、その罪からまぬがれ得ないだろう。

だからこそ、今その構造がはっきりしてきたのだからその解明作業を鋭意継続し、その結果を反国民的行為をはたらき、今なお働いている権力者たちに臆することなく社会一般に公開し判断を仰ぐのがマスメディアの使命だろう。メディア機関で働く人たち=メディアワーカー、なかでも取材、編集、執筆・表現活動であるジャーナリズムとその直接の担当者であるジャーナリストの使命だろう。ジャーナリストとは現代社会の公正で円滑な運営のための基礎情報の提供者であり、ジャーナリズムとは現代との対話活動のことをいうのだから。

公文書の改ざんの罪とその深刻さ

政治家は公約を提示して国民の投票による信任によって選ばれた人たちである(はずだ)。だから、国民からの付託を受けた責任responsibilityを自覚し、帰責事由for any reason attributable to...と起因責任causal responsibilityを明確にし、それがもたらした結果責任をとらねばならない・・・といっても安倍晋三夫妻、佐川宣寿理財局長(後に国税庁長官に昇格したが文書改ざん発覚後にクビに)、さらには佐川氏の任用と人物評価について「適材適所」を繰り返してきた麻生太郎副総理にはここで記している文章を理解できるだけの能力はないと思われるのがさらに悲しいのだが・・・。

公文書の改ざん問題を「確信を持って」最初に報じた朝日新聞(18.3.2)は次のような図解説明によって、安倍首相夫妻を支える国会答弁を続けてきた佐川宣寿前国税庁長官(事件発生当時は財務省理財局長)とその上司の麻生太郎財務相(内閣副総理)を描いている。

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 とりわけ、麻生氏は左川氏を「官僚として有能」でその役職への任命は「適材適所」であったと、国会でのウソ答弁発覚後も繰り返しているのだからなにをか言わんや・・・。母方の祖父に吉田茂元首相をもつ「権力型社会犯罪無自覚人間」であることでは同じく母方の祖父に岸信介元首相をもつ安倍氏とそっくりの家庭環境で育っているものが暗示している恐ろしい構図、二人とも戦争中は軍部の中枢と関り、戦後はアメリカ崇拝者としての利権を貪ってきた点での共通点がある。

権力者たちの責任逃れ

 3月のはじめ、麻生氏は記者たちとの会見で、省内での調査の結果「昨年2月下旬から4月にかけて、本省理財局において森友事案に関する複数14件の決裁文書の書き換えが行われていた」と報告した。財務省は引き続き調査を進めるという。

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前代未聞(といわれるがこれまで都合の悪いことではおそらくやってきたのだろう)の公文書書き換えだが、麻生氏は「私の進退は考えていない」と断言。「一部の者によって財務省全体の信頼が失われたという形になっているのは甚だ残念」だと。「私として、財務省全体の組織が(問題)とは考えていない」とも述べ、省全体としての責任を否定している。「私と妻は森友問題になんら関係していない」という安倍首相とその妻、その盟友の麻生太郎副総理の自己保身の論理にはあきれるほかない。同時にどうしてこうした輩(やから)が日本政治のリーダーをしておられるのか、間接的に選んでいる国民の一人として恥じ入るばかりである。
 同時に、以下の写真を見せながら、小学校用地の格安ゴマカシ販売を迫られた倫理観の欠如した財務省の「忖度」エリート役人たちが哀れにさえ思えてくる。

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 ☆以下はある現代用語の解説本用に最近筆者が書いた原稿である。

忖度(そんたく)conjecture, reading between the lines  
たいていの国語辞典では「相手の心をおしはかり配慮すること、斟酌(しんしゃく)と同義語」などと説明しているが、2017年度の国会でひんぱんに飛びかうようになるまでは日常語ではなかった。「インスタ映え」と並び、この年の「現代用語の基礎知識」主催の新語・流行語大賞にえらばれたのは安倍晋三首相(当時)の友人が理事長を務める学校法人加計学園グループが申請した岡山理科大学獣医学部新設(愛媛県今治市の国家戦略特区)と、首相夫人の口添えにより国有地が首相夫妻と政治イデオロギーを共有していた人物が理事長を務める森友学園による学校建設用地(大阪市)として、破格の低価格で払い下げられたからである。いずれも首相夫妻の意向を忖度して関係省庁役人が実行したのではないかという疑惑が残り、加えて首相本人が国会で「自分や妻が直接に関わりそうした便宜を図ったことがあれば、自ら首相も議員も辞める」と公言し否定したからである。

国会や記者会見等でさまざま議論がなされ、記者たちの努力もあったが政権中枢と財務官僚を中心とした「関連記録の廃棄」により首相関与を示す直接証拠は出ず、関係者が首相の「心のうちを推しはかった」つまり「権力を持つものが部下に理不尽なことをさせる手法」という意味が加わることになった。この婉曲表現が外国人特派員たちを混乱させ、市民にも不満を残したのは公文書の書き換え(公文書管理法違反)までがなされ、「政官界上層部では理不尽なことがまかり通っている」という疑惑が解消されず、国会でそれを否定した財務官僚が国税庁長官に栄転さえしたからである。(渡辺武達)

公文書管理法 Public Records Management Act of Japan  
 政府・官公庁の活動記録を国民が知る権利を保障し、それらを国家の歴史的財産として保持することを目的として2009年に衆参両院の全会一致で成立した法律で、正式には「公文書等の管理に関する法律」という。冒頭に「この法律は・・・健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として・・・国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により・・・国及び独立行政法人等の・・・諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする」とあり、それらの記録についての作成から廃棄までの統一基準も各省庁共通規則として定めている(詳細は資料編参照)。

この法律成立の背景には保険庁がコンピュータ入力した年金記録に誤りや不備が多くあり、それが個人の生活に直結していたことから大きな社会問題となり政府機関の情報管理が国民から批判されたことがある。国民主権の健全な行使には投票権だけではなく、政府の活動実態の透明性保証が重要だが2017年度に発覚した森友学園国有地取得問題でも財務省による記録文書の書き換えがあり、官僚による政治家への忖度と主権者軽視、モラルの低下がその原因だとされた。公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、国民が官公庁などの公的機関の活動を知るためには実質的効力をもち、かつ使いやすい情報公開法とのセットが求められる。しかし今も不祥事が少なくないのは虚偽公文書作成罪(刑法156条)、公用文書等毀棄罪(刑法第258条)の適用がむずかしいことなども指摘されている。(渡辺武達)
(この項、続く)

メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その4                     2018年3月7日(水)記

パラリンピック部門(2018.3.8―18)開始前だがメディアビジネスの対象となるピョンチャン(平昌)冬季五輪のメイン部門(2月9日–25日)が終わった。しかしその余波で今も「感動」を与えてくれた」選手の帰国風景、おまけに国民栄誉賞(People's Honor Award)の大盤振る舞いまでついて、彼ら彼女らへのインタビューでの局アナや解説員たちの発言、ゲーム回顧の報道がいている。

若い世代を中心に一般テレビ放送視聴が激減している中での五輪はまさにキラーコンテンツだ。それはメディア関係者が生活するため、報道される側も次回大会までの支援者(所属企業)探し(もしくは契約更新)にそして言わずもがな、スポンサーには選手が優勝するたびに所属企業名がテレビ画面に大写しになるのだから関係者全員のメリットになる。というように、全関係者にとって活躍した選手たちが放映素材になることは大事だろう。くわえて、視聴者にとっても五輪選手たちの「カミワザ」(常人には神様に見える演技)が「感動」の連呼となり、はしばしの息抜きに必要なのは確かだろう。

だが、私にとってはその中で、何が失われていったのかを記しておくこともひとしく大事なのだ。政治の現場ではだが、何が起きているかを知らされなかったのが戦前であったが、現在の国民は五輪報道で時間を奪われた知るべきことを知ることができないという仕組みは、「洗脳された戦前の国民」と「知る時間を奪われた現在の国民」とはともに「知らない」・・・つまり「愚民」にされているという点ではおなじではなかろうか?

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☆ビデオリサーチ調査によれば、五輪2連覇のヒーロー羽生結弦選手が金メダルを取った日の視聴率は驚異的で、フィギュアスケート男子フリー中継番組の平均視聴率(NHK総合、17日午後)は関東地区で33.9%、関西地区で31.7%、羽生選手の出身地の仙台地区ではなんと41.2%!!

瞬間最高視聴率は関東地区が46.0%で羽生選手の金メダル、宇野昌磨選手の銀メダルが確定した直後、コーチらと喜び合う場面だったそうだ。関西地区は44.6%、仙台地区は56.0%。小平奈緒選手が金メダルを獲得したスピードスケート女子500メートルの平均視聴率(TBS系、18日夜)は、関東地区が21.4%、関西地区が20.5%、瞬間最高視聴率は関東地区が34.6%、関西地区が36.5%だったとか。

しかしだ・・・繰り返すがこうしたメディア状況は長い目で見て日本社会のためになっているのだろうか?
メディア倫理と社会論としていえば、いずれもそれらはメディア企業とその関連組織(イベント・広告業界etc.)にとってはいうまでもなく純粋なビジネス。そして大半の視聴者にとっては「感動した!」が連発できる娯楽だが、幼稚園児や小中学生にとってはいつかは自分が出たい・・・その親にとってはいつかは自分もその親になりたい・・・との感情を確実に刺激している。スポーツが国民体育の向上をそっちのけにしてそうした感情だけの利用になっているのは、金メダリストに「国民栄誉賞」を与えて「作り上げた」視聴者目線に迎合し、それを自らへの批判軽減に利用しているのが政権政党とそのリーダーである首相安倍晋三氏の取り巻き連中だということに象徴的だ。

ならば、ここではそうした華々しい競技スポーツの裏側で何がおきているのかをも同時に知っておきたい。

第1は五輪を代表とするチャンピオンスポーツにおける現場の暗部である。

メダリストの「登場=生産」の影での暗い現実に私たちはすこしは目を向けておきたい。最近の事件報道から例をとれば、ある元女子マラソンランナーが万引き事件を起こした。 → https://mainichi.jp/articles/20171109/ddm/041/040/122000c

 その女性は摂食障害に陥っていたが「陸上長距離のほかフィギュアスケートや体操など体形や体重の維持が必要な種目が危険だ。日本では全く知識のないコーチが多く、対策が遅れている」(専門家の話)。また彼女は事件当時の心境を公判で「防犯カメラが視界に入り店員とも目が合ったが(私生活の悩みや万引きの衝動から)解放されたいと思った」と語ったという。しかも、摂食障害に由来する万引きは「無防備で衝動的に盗み、盗んだ記憶がなく、金銭は持っているという事例が多い」(日本摂食障害学会理事の鈴木真理・政策研究大学院大教授)という。駅伝選手などはコーチなどから「「痩せろ」「食べるな」と言われ続けているのが実情だとも・・・。

そうした訓練で幸いにして勝ち残ったものの頂点の一部メダリストなのだ。つまり、お金と時間に余裕がある家庭だけが小さいころから子どもをプロのコーチや訓練センターに送り迎えし、そのなかの才能があり、運のよかったほんの一部だけがメダリストになっているにすぎないというわけである。

第2は報道がスポーツの社会的誤解を作ってるという事実がある。

訓練の現場がそうした状況なのに、五輪のような「娯楽」キラーコンテンツが国民・視聴者の貴重な時間、とりわけ、それがなければ少しは考えるであろう「社会と政治の矛盾」とその起因者/起因責任(causal responsibility)を考える時間を奪ってしまっている。もちろん、社会現象にはすべてのことに表と裏があり、私は五輪報道が視聴者のスポーツへの関心を高め、それがスポーツ基本法(平成23年法律第78号、スポーツ振興法(昭和三十六年法律第百四十一号の改正)の実現に貢献している面があることは私も認める。しかし、五輪報道に代表される報道・報告・記事が日本人がまじめに物事を考える時間を奪い、社会にとっては却ってマイナスになっている、すくなくとも「現行のスポーツ」あまりにも美化し、実態をゆがめ、あまつさえ選手を芸能人化しているのではないか・・・ということである。
たとえば、以下の写真のメダリストたちは「芸能タレント」そのものだろう。

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女子フイギュア一位ザギトワ、2位とメドベージェワ、3位オズモンド(カナダ)

金メダリストの羽生結弦選手やロシアからの個人参加者ザギトワ選手、2位とメドベージェワ選手らがこれまでに想像を絶する練習、鍛錬を積んできたことは尊敬に値する。しかしテレビが提供する彼や彼女が実質的に果たしている役割はアイドルのそれとまったく変わらない。

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そのことを如実に示しているのが上の写真。

カーリングはすばらしいし、筆者も北海道の阿寒湖で実際にストーンをなげたことがある。だが今回の五輪女子で銅メダルを取ったチームのエースが美人だということで、韓国メディアが自国の人気女優と並べてそれを報道し、その人気を読者サービスとして使ったという。両国間の無益の対立の緩衝材としてはよいが、韓国でも日本でも、いや世界的にスポーツがポピュリズム(populism)の本当の意味である「民衆を賢くするという意味での民衆中心主義・大衆中心主義」への貢献をしているとは思えない。

ものをじっくりと考えない人たちを作り出し、政治利用するという意味での「大衆依存主義」は文字通り「衆愚政治」そのもので、その典型が安倍一強政治の実相だとすれば寒気がしてくる。もっとも、「スポーツなんてそんなもんだ」といえばそれまでだが、スポーツをそんなふうに利用し、国民を結果としてだまし、愚弄し、その拡大再生産を発信はネット、SNS中心の人たちに一面的な情報を提供しながら自主発信させ、「愚民」を拡大再生している「メディア」の罪は軽くはない。(この項つづく)

メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その3  2018年2月7日(水)記

前回は北朝鮮による「拉致」問題を素材にメディアによる誤導について書いたが、これにも何人もの方から感想をいただいた。大方が拙論に賛同するものであった。しかし、反対する人はスルーしているか、初めから議論する気がないのだから・・・という前提で本稿を続ける。

繰り返すようだが筆者は「北朝鮮の言動が正しい」といっているわけではなく、「北朝鮮叩きだけでは本質を見誤る」、それだけでは「戦争の危険を煽るだけでまともな社会観(倫理観・歴史観・世界観)を歪め、人びとから熟考・熟議の時間を奪っている」「大方のマスメディアのそうした現況は矯正されるべきだ」、そこからしか本件についての前向きの議論はできはしないといっているだけだ。
問題はメディアとそれが形成する人びとの社会観にあるということである。

そのためにも紹介しておきたいテレビ番組がある。「対談:瀬戸内寂聴×美輪明宏 2018年1月29日(月、BSプレミアム)15:30から60分、初回放送:2015.8.16)である。

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☆作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんは、「戦争が人を一番不幸にする」と説き続けてきた。歌手・美輪明宏さんは、自らの被爆体験、戦争反対への思いを音楽で表現してきた。“旧知の友”の2人が戦後70年の夏、長崎市で公開対談。二人が語ったのは戦時中の体験から、文学、結婚、恋愛、老いまで。会場からのお悩み相談にも答えながら、情熱的に語り尽くした。(NHK広報)

この番組が発信する哲学が現代社会できわめて重要だと思うのは二人が「戦争を避けるために役立つことはなんでもやろう」という考え方で一致しており、それが二人の(少なくとも「現在」の)生き方の基点になっていること、そしてその生き方が二人の戦争体験の自己省察から来ているからである。二人には個人の生き方の価値は社会矛盾最小化への努力いかんにあり、それが人間社会を進歩させる最低限の責務(duty & obligation)であるという信念がある。その点では我が国の宰相、安倍晋三氏や米国大統領ドナルド・トランプ氏らのいい加減さは真逆の位置にある。なぜなら、この二人はごまかしcheatingの常習者で、民衆の安全と幸福の向上など考えたことがないか、もしくは考えようとする思考様式を身につけていないからだ。公平のためにいっておくが、もちろん、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長も同類の人物である。

☆美輪については「美輪明宏 ヨイトマケの唄. その愛と秘密」(BSプレミアム 2月3日(土) 後7:30~8:59)も放送され、働く母の姿が感動的に歌われ、その背景が美輪の生き方とともに描かれたが、関心のある方はオンデマンドなどで見てほしい。「 歌が生まれ、人々の心に届き、名曲となるまでの軌跡を追う音楽ドキュメンタリー」(NHKの宣伝フレーズより)

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北朝鮮報道の誤導とメディアのアジェンダ・セッティング

安倍首相による言論のデタラメ

安倍首相はこの1月8日(2018年)の党首討論会で、「北朝鮮は核を保有している。核保有国だ」と明言したうえで、「核保有国が日本という非核保有国を脅したのは初めてだ。(金正恩(キムジョンウン)総書記が)日本列島を消滅させるという趣旨のことを発言したのは・・・十分に〈国難〉だと思う」とも述べたという。その支離滅裂さにはあらためて驚いた。次の4つの事実との整合性がまるでないからである。

第1は、前回のブログにも書いたが、沖縄だけではなく、日本全土に多くの米軍基地があり、それらのいくつかには核貯蔵施設がある。核兵器装備可能な爆撃機も常時飛来してきている。しかもこれまでに日本の米軍基地には核兵器が持ち込まれていた(ことがある)から、日本は「非核保有国」とはとてもいえない。1967年12月、佐藤栄作(岸信介の実弟)が核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」と定義した非核三原則はまったくの「うそ」であること。

第2は、日本は事実として「米国の核の傘」の下にあり、北朝鮮から(だけではなく、中国やロシアから見ても)は「核保有国」そのものである。この安倍発言は、ポケットにナイフを持った者」が「このナイフは自分のものではないから、私はナイフを所持していない!」というようなもので、99%以上の詭弁である。

第3は、日本はこれまで政府の公式見解として、「北朝鮮を核保有国として認めない!」としてきた政府公式見解とは正反対のことを「政府を代表する」首相が堂々という、そこには「整合性」「合理性」がなく、「この人の頭の中は混乱している=正常ではない!」としかいえないこと。

第4は、朝鮮戦争時の1950年、「核保有国」アメリカ」が「非核保有国中国」に対し、「核攻撃を排除しない・・・」といい、中国を恫喝した。その悔しさから中国は核開発を急ぎ、1964年の東京五輪の真っ最中に初の原爆実験を行った。世界で最初の核開発国はアメリカだが、それはナチスドイツから逃避してきたユダヤ系ドイツ人たちの協力によるものである。第二次大戦後、核爆弾を保有したアメリカから会談/交渉で数々の苦渋を飲まされた核非所有のソ連(現ロシア)がスパイ行為でアメリカの原爆設計図を盗み出し、自国で核爆弾を製造し米国に対峙することになった。それらの小型版行為を現在の北朝鮮がしているにすぎない。

だが、メディアが一連の経緯としてこうしたことにふれることはまずない。ただし、池上彰だけがそうした状況に穴を穿こうとしているように見えるが隔靴搔痒の状態である。

☆「櫻井翔×池上彰と知る“教科書”で学べないニッポンの“想定外”」(日テレ、2018.2.6)での「夜の渋谷でキャッチ 北朝鮮の“暗号放送”」コーナーでも北朝鮮問題ではいいところまで行きながら、最後は日本政府の見方に迎合し、北朝鮮悪玉観を増幅するだけのものになっていた。

☆筆者がネット上でのメディア批評で参考になると思うのは元朝日新聞記者、今西光男が主宰している「メディアウオッチ100」(http://www.mediawatch100.com/)と国際問題ジャーナリスト、田中宇が発行している「田中宇の国際ニュース解説」https://tanakanews.com/。前者が主として日本の新聞とテレビを対象にしているのに対し、後者は世界のネット情報を渉猟し、自分の見方でまとめている。

本稿関連でいえば、田中宇のいうTPP問題を素材にした以下の論評はアメリカのグローバルな位置関係の指摘としてその通りだ。

「通信1月23日、日本、豪州NZ、東南アジア、カナダ、中南米の、米国の同盟諸国である11カ国が、米国抜きで構成する自由貿易圏である交渉がまとまり、3月に発足することが決まった。その大きな特徴は、第2次大戦後の米国覇権体制下で初めて、アジア太平洋圏において、米国の同盟諸国が、米国抜きの国際体制を作った点だ。アジア太平洋と並んで米同盟諸国が多い欧州では、冷戦終結時から、米国抜きの国際体制としてEUが存在し、ゆっくりと(停滞しつつも)対米自立の方向に進んでいる。」

だが、米国が「世界の警察官」であり得なくなったのは1970年代のベトナム戦争での敗戦決定で外部にもはっきりした。ジャーナリストではすでにその10年前からデイビッド・ハルバースタムなどがそのことを現地から報告していたし、その20年も前からウォルター・リップマン(1889-1974)が指摘し、その枠組みで活動していた。
☆ハルバースタムについては、『メディア用語基本事典』(世界思想社、2011年)pp.305-306」を参照されたい。またこのブログでもすでに取り上げている。
 
ピョンチャン冬季五輪と「スポーツ報道」による誤導

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☆中国は1964東京五輪中に核実験を実施した!(上記、池上番組より)

ピョンチャン冬季五輪(2018年2月9日–25日)がどのような形式になるかは実際に始まるまではわからないが、すくなくとも現在の主要なスポーツ関連報道は人びとに「スポーツ」に関する誤解をさらに蔓延させている点では従来と変わらない。今回もその傾向は「五輪は平和の祭典である」という虚構に立った議論によって拡大されている。が、それ以上に、その見方だけではすまない背後の深刻な実態とそれをむしろ促進している現代世界のスポーツの利用構造に注目しておく必要がある。それこそが、私たちが知らず知らずのうちに取り込まれてしまっている「メディアスポーツによるアジェンダセッティング」である。

私の主張、その1:現在の大半のスポーツ関連報道は「娯楽番組」だ!

 スポーツの社会的意義は「人びとの健康増進と維持、みんなで合意した公共生活のルール(規制・約束事)遵守の大切さを覚えさせること」にある。しかし現在のメディアが提供するスポーツとその取り扱い方は視聴者にとってそうした本来あるべき「体育」教育とはまったく違うものである。加えて、「スポーツ基本法」にいうスポーツのとらえ方ともまったく異なり、各種目のチャンピオンの立ち位置は娯楽番組に登場する「芸人や歌手」「アイドル」と何ら変わらない。 

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災害が起きれば、被災地にスポーツ選手や芸能人たちが慰問におとずれ、それがマスメディアでとりあげられる。またテレビに登場するフィギュアスケーターだけでなく、野球選手や100メートル記録保持者にしても茶の間の視聴者にとっては「芸人」たちと何ら変わるところがない。
断っておくが私はそのこと、そしてそれらのアスリートたちが悪いといっているわけではない。メディアとスポーツとの関係をしっかりとつかんでおかないと私たちはいつまでも「騙される側に追いやられたまま」になることがまずいといっておきたいのだ。

☆ちなみに、スポーツ基本法(平成23年法律第78号、スポーツ振興法(昭和三十六年法律第百四十一号の改正)の前文にはこうある。

「スポーツは、世界共通の人類の文化である。スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。」

私の主張、その2:トップアスリート=スポーツ選手のほとんどが健康を害している!

スポーツの目的の一つは健全な身体とその結果としての健全な生活ができるようにすることである。ところが一流選手といわれる選手の多くが「限界を超えた練習を心理的に強制されるため」身体のどこかに深刻な故障部分をもつか、常時ケガの危険にさらされている。またチャンピオンになるためには他の選手を蹴落とすことが必要だと考え、最近も問題になったが、同種目他者のドリンクに違反薬剤を入れる・・・見つからなければ、道具の損傷や盗みなど、違法手段おかまいなし・・・という状態に多くのトップ選手が心理的に取り込まれている状況がある・・・金メダルのためなら、毒でも飲むという選手が少なからずいることがかつてのモントリオール(カナダ)五輪のときになされた匿名アンケートでも示された。

そうなるのは、代表選手を派遣する国家、経済的に支援する企業、商売(視聴率)のために派手なイメージを演出したいメディア、サーカス的演技を見たがる一般人などのすべての関係者が人間性を無視したことをアスリートとその予備軍に要求しているからだ!

また過度な商業化により、五輪組織/IOCそのものが高額の放映代金を払うアメリカのプライムタイムに合わせ、常識はずれの現地時間での競技開始を強制し、選手の健康によくない条件の受け入れを強制しているなどにも表れている。 

☆スポーツ基本法の前文にはこうある。
「スポーツは、スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである・・・。」

私の主張、その3:現代の競技スポーツの大半はビジネス論理で動き、選手もその論理に毒されている。

スポーツ大会には大から小まで、その参加者・関係者として①競技者②組織者③観客④メディアがいる。それは幼稚園や小中学校の運動会から五輪までおなじで、運動会ではその区分化が未成熟だが五輪の場合にはそれぞれが専門特化しているだけである。大会が大きくなればなるほど肝心のスポーツ精神(たとえばスポーツ基本法の前文記載)をビジネス化が蝕んでいるということである。そうしたビジネス化の背後には国際的に暗躍している電通などの大手広告会社がいる。スポーツ選手とその管轄競技団体だけではとてもそうしたダイナミックスに抗えないばかりか、その仕組みを捉えることすらできない。

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私の主張、その4:報道がナショナリズムの煽りに加担し、人びとからまともな社会的認識過程としての時間を奪っている!

 サッカーや野球の試合にはそれぞれのチームのファンがスタンドから熱烈な応援をする。その爲にオリンピック観戦で使われるのが国旗で、日本の場合、ほっぺたなどに日の丸を描いている者さえいる。彼らは心理的に選手とともに戦いながら、組織者たちのビジネスのためのナショナリズム高揚に掻き立てられている。ただし選手の闘いの手段はそれまでに鍛えた体力と技術と気力だけであり、トランプや金正恩のような「集団殺人」(前掲テレビ番組での瀬戸内寂聴の用語)兵器でないことだけが救いである。

またピョンチャン冬季五輪の南北統一チーム結成を「五輪の政治利用でいけない」という声がある。しかし日本の場合でも、1980年のモスクワ五輪をアメリカの意向に追随してボイコットした。その報復としてソ連を中心とした東欧諸国が次回1984年のロサンゼルス五輪のボイコットをした。

五輪のような巨大スポーツ大会にはビジネス界と政府の直接関与が避けられない。だから競技者とその統括競技団体は前2者の作るその構造に逆らえない。せめてその批判ぐらいはすべきだが聞こえてこない。競技者側にも「社会的幼稚さ」があるということである。

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☆訪中して周恩来中国総理と会談した後藤鉀二氏(左)とその意思を継いだ女婿・淳氏

その唯一の例外が後藤鉀二氏や荻村伊智朗氏が健在であった頃の日本卓球協会、アジア卓球連合、国際卓球連盟で、彼らはスポーツの平和構築機能に気づき、実践した例外的人物であった。筆者も1971年に名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会に日本卓球協会国際交流委員として関わり、2003年に役員を降りるまでの30年間、その動きをつぶさに見てきた。今、その体験を振り返り、スポーツの社会的機能に思いをはせることがしばしばである。

☆以下の拙著に収録したいくつかの文章を参照されたい。渡辺武達(1987)『市民社会のパラダイム 情報変革のために』市民文化社。

☆荻村伊智朗(1932 – 1994)個人世界チャンピオン2回、国際卓球連盟会長としても卓球外交に尽力、92年には千葉大会で南北統一チームを実現した。

私の主張、その5:スポーツを世界平和構築の手段として活用せよ!

前項で述べた名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会は翌年の米中、日中の国交正常化となり、「小さな白球が大きな地球を動かした」「ピンポン外交」などといわれ、実際にもその呼称に相当する働きがあった。しかしメディア論的にいえば、メディアをつかって卓球を「世界の平和秩序」構築に利用した知恵者がいたということである。つまり、卓球が「パブリックディプロマシー(public diplomacy)」の手段として使われたということである。
今回のピョンチャン冬季五輪での南北合同チームの結成も南北の双方が自国の国際的立場の向上に利用できると考え、それぞれの国内事情とも絡みあってここまできたものだ。救いは結果として五輪が武力でなく、体力による「戦いの場」になったこと。その最大の効用は北朝鮮による利用だけでなく、韓国もまた同様の思考法からスポーツを緊張緩和に役立てようとしているということだ。

だから、今回のピョンチャン冬季五輪だけではなく、スポーツとメディアの関係をおたがい見直し、平和構築に役立つように使ことを私たちがメディア関係者に要求することが大事かつ必要なのである。
(この項終わり)



メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その2                2018年1月31日(水)記

アジェンダ・セッティング機能、その2:「北朝鮮」報道の誤導

はじめに
 前回、日本の北朝鮮報道を素材にメディアの「アジェンダ・セッティング機能」について書いたところ、何人かの方から、自分もそうした疑問を現在の新聞やテレビの解説、各種の時事評論に接して感じてきたというお便りをいただいた。私は新聞を複数紙購読、ビデオレコーダーを5台持ち、そのうち2台は指定した地デジ局番組をすべて自動的に2週間保存できる。しかし、BS(衛星放送)には対応しておらず、事前に録画予約が必要だ。だから、予約忘れや自分に関心がないものはBSだけ自宅では見直すことができない。もちろん、録画してあっても時間がなければそのまま見ないままのものも多い。

 そうした物理的条件はあるが、今は「オンデマンド」を使ったり、ネットで探せば、とくに中国系(たぶん闇設置?)のサイトにはドラマでもドキュメンタリーでもほとんどの番組が無料で見られるから、後で「番組が検証できない」ことなどまずない。

本稿ではテレビ番組についてもしばしば触れているがその素材は上記いずれかの方法でチェックできたものをベースにしている。ラジオの場合でも同様で、「問題になった番組はほとんどネットで探せば見つかる。その意味で、ネットの功罪はその使いようだ。

このことについては別の機会にふれる。
☆「アジェンダ・セッティング」agenda settingという用語については、いったいどういうこと?言葉そのものをもうすこし説明してほしいという要望があった。日本語で「議題設定機能」といい、「マスメディアによって人びとがその社会認識の枠組みを決められている」「マスメディアが人びとが議論すべき方向性を指導している」のではないかという枠組みのこと。私、渡辺武達が共編者になって出版されている『メディア用語基本事典』(世界思想社、2011年刊、p.156)にも収録(筆者は山口巧二氏)してある。

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政治的「配慮」と政治的「偏向」

私たちが知っておくべきことを糊塗している現在のメディア報道による北朝鮮報道のアジェンダ・セッティングはどういう力学によって作られているのだろうか?

2018年初頭現在の日本メディアによる北朝鮮報道の主要トピックは第1:核開発とミサイル発射、第2:日韓(韓日)「慰安婦」問題、第3:拉致問題である。また一時的現象ではあるが、第1議題が作り出している(正確には利害関係国によって「作り出されている」)緊張とその緩和との連関で、第4が「平昌/ピョンチャン五輪の南北統一チーム参加」が挙げられる。そして「ネトウヨ」(ネット右翼)の間ではいまだに「在日韓国人・朝鮮人への誹謗中傷」がなされており、それが第5に来るといってよい。
それら全体が合わさって日本人多数による「危険な北朝鮮」というイメージが形成される。

☆断っておくが、筆者は北朝鮮が「危険ではない」とか「金正恩(キムジョンウン)体制がその国民にとって幸せだ」と言っているのではない。現在の日本メディアの報道の仕方は「北朝鮮の無毒化」実現の方向とは逆行している、その流れを止められないにせよ、その仕組みを理解しなければ前に進めない・・・といっておきたいだけだ。

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上記5つと順番そのものがアジェンダ・セッティングだが、そのうち慰安婦問題についてすこし掘り下げると「好ましくない」ありていにいえば、報道の「社会的誤り」がある。まずは、見出し表現が「韓国との慰安婦問題・・・」といった表現になっていること。第2は「日韓両国の政府間で、完全かつ不可逆的な合意により解決した・・・」という表現に関わるもの、である。

理由は、「日本が朝鮮を植民地化し、日本軍がそこに侵攻した当時、南北の分断はなかったから、慰安婦にされたコリアン女性には北朝鮮女性も当然含まれていた」のに、そのことがまったく抜け落ちた「字面」になっている。しかも、そのコリアの北半分とは国交回復さえできていない・・・両国には現時点でそんな話ができる雰囲気さえない・・・のはたしかだ。しかしその事実の認識に立って報道しないのでは「敵視」するだけという誤った北朝鮮(DPRK朝鮮民主主義人民共和国)観を形成するし、実際そうなっている。まさにその結果が現在の日本人の対北朝鮮観の誤りの一因となっている。どうしてそうなってしまい、そのことへの疑問さえ出されないのか?そのことを認識しない(国民に認識させない?)報道とはいったい何なのか。

☆こういうと「貴方は北朝鮮の味方か?」といわれそうだが、これは敵か味方か・・・という次元の話ではなく、厳密は学問的議論のためのイロハのイであろう。

答えはそうした「報道力学の発動源が日本の歴代政権のコリア問題観にあり、そのほうが都合がよいという日本の執権層の思惑がそこにはある」からだ。またそれに従ったほうがなにかと都合がよいメディアや学者・研究者たちの「日和見的、利己的な態度」にもその責任がある。その典型例が、研究費の獲得と世間的出世のために中国で人体実験を繰り返し、敗戦後はアメリカに迎合して犯罪行為を繰り返した「731部隊の関係幹部たちで、それと類似の学問、研究環境が現在の日本にもできあがりつつのではないか。

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この仕組みについて、2017.8.13放映のNHKスペシャル「731部隊の真実 エリート医学者と人体実験」「関東軍防疫給水部731部隊」)に見事に描いたが、その忌むべき実験を実行した医学者を率先して軍部と結托してもっとも多く送り込んだのが東京大学・京都大学・慶応大学であった。さらにはそれらの医学者たちの上層部は敗戦直後の現地でアメリカ側に研究成果を差し出すことによって「戦争犯罪者」になることを免れたり、戦後ものうのうと学者人生を満喫した。軍事国家では政界・官界だけではなく学界も腐るが、その無責任さは今日も続いている。

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第2点「不可逆的な合意」の意味について。
誰かに強制されることなく合意された二国間協定は基本的かつ致命的な御認識といった、それ相応の理由がなければ合理的な有効性をもつ。民主的国家では十分に話し合われたうえでの決定であれば、つまり、そこに至る過程での反対者が少数であり、合法的な手続きでのなされた合意はすくなくとも「国家間の約束」として有効である。しかし同時にそれに反対の国民はいつでも、納得できるまで反対の声を上げ続けることができるし、次回選挙でその政権打倒を叫び、活動することができる。それがデモクラシーというものだ。
その点では前朴槿恵(パク・クネ)政権による合意を次期文在寅(ムン・ジェイン)政権が引っ掻き回すのは「国家としての品格に欠ける」といってよい。

半面、倫理観なき安倍政権の面々はともかくとして、政府と国民をつなぐマスメディア、とりわけ「公共放送」を標榜し、「皆様のNHK」と連呼するメディア組織が国民とではなく、国家・政府権力と同じ感覚であれば、それこそ放送法(昭和25年5月2日法律第132号)違反であり、受信料など払いたくなくなる。

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先述した第3トピックの拉致問題でもこのアジェンダ・セッティングの誤りが密接に絡まっている。NNNテレドキュメント(日本テレビ)「拉致と言えなくて~寺越さん母子の55年~」(テレビ金沢制作、2018.1.29放映)を具体例に説明しよう。この日テレドキュメントの提出した寺越さん母子の悲劇の遠因も実はそこにあるからだ。
 
この番組内容は地味だし、わずか30分弱の短い、しかも日曜深夜(24:55分~25:25)放映のドキュメンタリーだ。しかし、「拉致被害者」報道の具体的問題点の一つを見事に描いた。しかし、この時間帯では平均的勤労者には翌日の仕事もあるだろうから、リアル時間での視聴がむずかしい。現在、民放の場合はとくにこうした価値ある良心的ドキュメンタリーのほとんどが①視聴率がとれない②スポンサーが好まない③制作費がかかる④制作時間が長い・・・等の理由で深夜帯に追いやられている。

 ☆筆者は従来から、こうした良心的番組の放送を週に一定時間、プライムタイムでの放送を義務づけることを提言している。それは「言論・表現の自由」「編集の自由」等の侵害ではなく、放送事業者の公共的義務(duty)、公益行為となるのだから。

さて、このNNNドキュメントそのものは1970年スタートの報道ドキュメンタリーで、最近でも東日本大震災時に海上から食料などの支援活動をした「トモダチ作戦」の米空母ロナルドレーガンが被爆し、乗員ら402人が放射能による健康被害を受けたと東京電力を提訴、すでに死者が計9人に達し、しかも法的にそれを米政府に訴えられず、東電を相手にしながら、死亡していく現状を報告した(2017/10/09)。日テレは読売新聞社が主体となって作ったテレビ局だが、本体が現在、自民党右派系と連動の度合いを高めているにかかわらず、このシリーズだけはその制約をものともせず、敢闘しているのがうれしい。

本作「拉致と言えなくて」は能登半島沖7キロの地点で無人の漁船が発見され、そこから行方不明となった寺越武志さん (当時中学生で13才)が24年後に北朝鮮で生存していることが「日本で」確認された。するとその武志さんが急に北朝鮮の労働組合幹部に抜擢され、2002年には北朝鮮訪日団の副団長として一時帰国した。その彼を取り巻く環境を20年以上追いかけているテレビ金沢(日テレ系列)記者による制作番組である。

拉致そのものは小泉元首相の訪朝の結果として北朝鮮側(金正日総書記=当時)が公式に認め謝罪した(2002年9月17日)。だが「被害者」だけではなく、その他にも拉致が疑われるものが「特定失踪者」の中にも相当いること、そして必ずしも日本側が被害面だけからの注目をしているだけでは本質に迫れないことをも可能な限り描いている。
武志さんの居所が判明後、65回も訪朝を続け息子を物心両面で援助してきた母親の友枝さんは北朝鮮での息子の処遇と日本国内であまりに「政治的に利用されて動く」拉致被害者の「家族会」等からも離れ、「北朝鮮に暮らす息子には妻も子どもも孫もいる… 」「この子の胸のうちを私は知っています」と。母と息子の「心の叫び」を伝わってくる、すぐれた番組である。

☆北朝鮮での生存が確認されてから30年が経過した今も、自由に日本に帰国できない寺越さんのケースも「中学生が漁船に乗って一人で北朝鮮に行くはずがない」から99%は「拉致被害者」といえることに間違いはない。

ここからも報道とはなにか、真実とはいったい何のためにあるのか・・・というジャーナリズムの政治性と倫理性の問題が出てくる。また、種々の押し返せそうにないほどの力の制約を押しつけられている現代のマスメディア企業、ジャーナリストたちにも隙間をぬって情報送出に努力している作品が最近多くなっていることにも同時に気づくし、以下のような外国制作番組の輸入によって自己の欠陥を補うことも行われている。

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たとえば、ソビエト連邦(現在のロシア)は冷戦時代、「核開発、核兵器製造都市」を各地に作り、技術者などを家族ごと移住させた。都市に名前はなく、地図にも記載されず、その存在を口外すれば命の危険もあった。その一方で住民には豊かな生活が保障され、「知られざるユートピア」でもあったという。アメリカの取材チームがカザフスタンに存在するそのCity40というコードネームの秘密都市「オジョルスク」の町に入り、今も放射能汚染に苦しむ現状を描いた。

NHKは自分で取材が適わないときはこうして外国製番組を購入して流す手法をとる。この番組と先述した日テレ番組にはジャーナリズムの心意気を示す通奏低音として響くものがある。しかも、こうした核開発に関わる秘密都市(地域)は旧ソ連だけではなく、アメリカにも中国にもあったし、戦争中の日本にも毒ガス開発が行われた瀬戸内海の島でもあったから他人事ではない。
加えて、現在の日本ではほんとうにフクシマ第1ゲンパツ(東電福島第一原発事故現場)で何が起きているかはきちんと報道されていないというのが「まじめな学者」たちの常識であり、上記NHKスペシャルが告発していることが現在の日本にも起きているという想像力が求められる。

☆NHK番組の原題は「CITY40旧ソビエトの秘密都市」、元の制作は D.I.G.Films(アメリカ 16年)BSで2016年9月9日放送、最近ではこの1月15日(月)にも再放送された。 

これらのことから、国際問題を関係国民の幸せとグローバルな平和秩序構築を志向する報道とは何かの問題があぶりだされてくる。残念ながら、少なくとも日本の場合は大半の政治家たち同様、主流メディア幹部たちの多くがそうした認識と責任観、倫理観を欠いている。(この項つづく)



プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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