メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その7                   2018年6月19日

はじめに

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6月12日、トランプ氏と金正恩(キムジョンウン)氏の米朝首脳会談がシンガポールで行われ、その取材・報道でメディアが右往左往、意味もないのにキャスターたちが現地に出かけ「現地からレポートします」・・・と。行っても行かなくてもジャーナリストならもっと基礎学力と洞察力をつけないといけないのにと思う。

日本の安部首相は今回もまたトランプ氏の周り(カナダG7会議と日米電話会談)でうろちょろ、「トランプ氏と一体である」と吹聴して歩き嗤われている。しかも「アメリカ第1主義=アメリカファースト」の国家主義で世界史を逆行させているトランプ氏に「シンゾー、移民は欧州にとっても大きな問題だ」と述べ、続いて「私は2500万人のメキシコ人を(日本に)送ることができる。そうすればあなたはすぐに退陣だ」(米紙ウォール・ストリート・ジャーナル)と述べて脅したという。(だから俺の言うことをきけ!)」ということだが、トランプ・安倍関係などそんなものだ。つまり二人とも、世界平和と日米両国民にとってのプラス価値などひとかけらも持とあわせていない輩(やから)だということだ。

本欄でも以前に繰り返し書いてきたが、トランプ・金・安倍のケミストリー(性格と思考・行動パターン)は酷似している。嘘を平気でいうところ、国民の幸せなどは眼中にない点が特にそうだが、その発言力と実行力については①ト、②金、③安倍の順番で、安部は麻生(この二人とも中国人・朝鮮人を徹底的に虐め、搾取した家系という点でもケミストリーが類似、そのためワルのセットと呼べる)と組んで始めて独り立ちできている「コワル」(小さな悪)にすぎない。だからといって、3人のうち道徳、倫理面に加えて、能力面でも程度がいちばん低い安部氏を首相にしている日本人はすべて諸外国の知識人たちからはいっしょくたにばかにされるからたまったものではない。

この3者がからんだ会談をふくめ、ブログ更新をしていなかったあいだに書き留めておきたいことがたくさん出てきた。まとめようとすると次にまたメディアのかかわる事件が起きてきて・・・新聞やテレビの記者さんたちが連日、理解不足のまま原稿を書いたり、しゃべったりせざるを得ない事情と苦しさの一端を皮肉なことにすこしだけ理解した。

☆ブログ更新遅延の言い訳はそれぐらいにして・・・まず、先月、この2年にわたって関係してきた次の共著本が出た。

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☆この本には鋭角性や問題発掘的姿勢こそないが、現時点で教育現場に関わる人たちに防災について何ができるか、何をすべきかの基礎資料として貴重な本であることは確かだ。図書館などに入って、教育関係者と市民の方々に読んでいただけるとありがたいと思う。大阪での地域としての最大の地震が昨日(18/6.18)朝発生し、幼児がなくなる学校事故が起きたから特にそう思う。

政治の現場

最近ある著名な政治家のツイッターをみていたら、次のように記している文章に出会った。

「立派な政策を述べる議員がいっぱいいるが実際に「話してみると違うんだね」「選挙は歩いた家の数しか票は出ない、握った手の数しか票は出ない。」「(党総裁選の)国会議員票も一緒で、そういう機会を増やしていく。ただ、歩けばいい」「手を握ればいいだけじゃなく、何かひとつ物語をつくらないとダメだ」

テレビや週刊誌はもちろん、一般紙でも「モリカケ」「公文書改ざん」「安倍総理夫妻の関与」などから「日本大学アメフト問題」「紀州のドンファン」「米朝首脳会談」「新幹線内の殺傷事件」それに「大阪の震度5地震」・・・とまったくおなじ重要さで話題が移行している。これは今にはじまったことではないのだが、こうして長い目で見て一番大事な、私たちの国、日本の国民益を守れる代表者=政治家をどう選ぶか、選べるかの基礎資料を提供するというメディアが「基準なく情報を垂れ流し人びとの時間を奪っている現実が変わらない・・・」、つまりメディアがその社会的責任がおろそかになってしまっていることがいくらかさみしい。

日大アメフト悪質タックル

この言葉は誰からの反論を食らうことはないから、メディアは遠慮なく叩いているが、そしてまた叩かれても仕方がないほど、この事件は建て前としてのスポーツとは真逆の関係力学から発生している。しかし実際のスポーツとその試合がすべて一般に理解されているほど「きれいなモノ」でないことも確かだ。半面、これまでのスポーツは娯楽的演出の多いプロレスでさえそうだが、「ルールのある喧嘩」であるという最低限のことだけは守ろうとしてきた。その詳細についてはまた書くとして、今度の日本大学問題が孕んでいる深刻な面にだけにしぼって記しておきたいことがある。

1.まずは日大教職員の責任である

事件が発覚してからしばらくしてやっと教職員職員組合が顔をだして、実質的支配者である理事長(元学生横綱)と直接のワルである常務理事(アメフト部監督)とそれら二人とその配下の者たちがやりたい放題やっている事実のいったんの批判を始めた。その動きの中で記者会見をした女性役員(この人は勇気と正義感がある!)が署名者/賛同者のなかに匿名希望者がおおいことを記者たちに聞かれて、「上部が怖いからだと言われればそれは否定しません」と返答した。
最高学府である大学内がそうだと民間会社がどうなっているかは推して知るべしだが、すでに官界/役所がどれほどひどい状態になっているかは「モリカケ問題」でいやというほど私たちは知ってしまった。

2.次は教職員の覚悟の問題である。今の日本の大学ではいったん専任職を得れば、たとえ上役ににらまれて昇進妨害されることはあっても、殺人や学生への破廉恥罪等を犯さなければ解職、退職を迫られることはない。なのに、「そういう実態は知らなかった・・・」などといい、大多数の教職員が「だんまりを決め込んでいるのは卑怯」だし、「そういう不誠実を学生たちは見抜いている!!」。だから、その親たちから「授業料返せ!」という批判、抗議が各学部事務室などに多数寄せられているのも当然だ。

3.しかしだ、問題がより深刻なのは、そのことを見抜いている学生たちも社会へ出て、同種の事件に自分が関係者として遭遇するとその多くが今回の日大教職員と同様の対応をする・・・せざるを得ない社会構造のなかで私たちは生きている。救いがあったのは「悪質タックル慣行者」が顔出しをして謝罪したことだ。日大の中にもそれだけの学生がいる。
私個人は日本大学に勤めながら時の流れがすべてを忘れさせるのを待つような生き方をしたくないと願ってきた。それがこれまで出来たのは幸運であったかもしれないが。

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6月3日、今年度のカンヌ国際映画祭(第71回)最高賞であるパルムドールを受賞した「万引き家族」(是枝裕和監督)を見た。表面的には「万引きが生活の糧」というとんでもない題材を扱っているのだが、そのコンペティション部門賞の受賞について、某野党国会議員が議会の委員会で林文科大臣にたいし、「(日本にとって)おめでたいことであり祝意を伝えたらどうか」と促したところ、大臣もそうしたいと答えたという。

 その報を知った是枝監督は文科相のその発言についてすかさず自身のオフィシャルサイトで発表した次のメッセージが奮っている。それにいたく感心した。氏いわく:

映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています・・・

☆これにたいして、この「万引き家族」が文化庁からの助成金をもらっているのに何という言い草だ!という批判がネットなどにあがった。だがそれこそ、「日本の巨大メディアと教育が作り上げた誤解」だ。なぜなら、文化庁の助成金は税金が原資となっているからであり、文化庁は税金を納めた国民を代理して国民の金を有益な映画製作に補助する「代行」をしているだけなのだから。ここでもじつに見事な短絡思考がまかり通っていることが恐ろしい!

☆『平成30年度文化芸術振興費補助金による助成対象活動』の報告書には是枝監督の作品に対する2,000万円の助成金執行の記載がある。この助成金は〈作品〉完成後の 興業収益が一定以上あれば変換の義務も発生するらしい。しかしその実行があってもなくてもとりあえずの議論とは関係がない。

☆公式には6月8日から公開されている本作を私はなぜだか、6月3日(日)に自宅前の「ユナイテッド・シネマ大津」で見たのだが、自分にとって共感でき、ここ温まる・・・と同時にとても不思議な映画であった。とくに世の中の家族の暖かさはもはや万引きで生き、助け合っている「疑似家族」のなかにしか存在しないということの意味は文科相をはじめ、それを「祝意の表明という観点から取り上げた」若干スタンドプレー的な国会議員、アイススケートやレスリング選手などには支持率が落ちると決まって国民栄誉賞を乱発して国民の注意点を反らしているシンゾーが「万引きにまで追いやられている家族」が日本に居ることを示す映画には、自分の「アベノミクス」が根底的に批判を受けていることを直感し、ダンマリを決め込んでいるおぞましさ。これまた彼の人間としての「小ささ」の表れだし、映画の評判が上がることがよっぽど困ることなのだろうな。

映画「万引き家族」が世界で注目を集めると「日本の恥を世界に晒していることになる」となどという意見もネット上にあるが事実の総体を理解して社会を理解していくことでしか、社会改革などできはしない。権力者と金儲け主義者たちにいいようにされるだけなのだ。

学界だけで完結する学問に社会的意義はない!

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社会学者、日高六郎さんがこの6月7日、京都で101歳の生涯を閉じた。マス・コミュニケーション論の資料集などの本でもお世話になったが個人的にも何回か直接に教えていただいた。とくにその生き方が同志社大学大学院新聞学専攻で教えを受けた鶴見俊輔さん(2015年没)と通じるところがあり、お話しさせていただいていてとても心が落ち着き、勇気づけられた。二人とも「学問を大学という職業空間における技術とその成果としての飯のタネにするだけ」(どんなことをしても科研費などを採りたいことなど)という考え方と行動には無縁で、その「悪しき常識」を拒否されていた。

言い換えれば、お二人とも学問に意味があるとすれば、私たちが生きる社会の構成員として、メディアを例に挙げれば、メディアの直接事業者もその研究者もともに、人びとの相互理解に資すること、世界平和、民族差別の解消といった公共善(public good)拡充する情報を採りだし、いっぱんに分かりやすく提供する為に存在していると考え、その実行をされていたと思う。

ご冥福をお祈りする。(この項、終わり)


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メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その6                       2018年4月15日(日)記

ここにきて、日本のメディア界と政界が安倍晋三政権によるデタラメ行政への告発と関係者の右往左往、そしてそれらへのメディアによる「追いかけ」により大揺れで、小泉純一郎元総理さえ、この9月安倍三選に危険信号が灯った・・・とさえ発言しだした(18.4.14)。

筆者の立場は「事実はどうなのか」(事実命題)を知ったうえで「問題をどう捉え、社会改革に活かすべきか」(価値命題)という二項の整合性を私たちはどうつけていったらいいのかということ。現況に即していえば、①安倍首相とそれを支える麻生太郎副総理がやっている「とんでもないこと」の社会的意味とは?、②それはどこに原因があり、そこから出てくる結論は?、③次に誰が総理になりどのような内閣ができても安倍・麻生主導政権よりはましであるということの確認、である。

しかもこの結論は表面的で短期的な損得勘定ではなく、安倍と麻生が家系的にも政治的ワルとしても相似形で、戦前から戦後に引き継がれている日本政治と権力構造の実態からきているのだから、今私たちが浄化に動かなければそれなりに良識ある国民が協力して作り上げてきた日本の民主主義がどうなってしまうのか、骨のあるジャーナリズムが息絶えてしまうのでは・・・といわねばならぬほど事態が想像以上に深刻だということである。

 具体例を出して語ることにしよう。

話題その1:柳瀬総理補佐官よ、本当に「バカだ!お前は!」

いきなり乱暴な言い方になってしまったが国会の委員会で、財務省の太田充理財局長が、森友学園への国有地売却で値引きの根拠とされたごみの撤去について学園側に「口裏合わせ」を依頼したことを認め、「誤った対応であり、大変恥ずかしく、大変申し訳ない。深くおわびを申し上げます」と陳謝したとき、その答弁を引き出すための質問=明らかな「やらせ」質問をした自民党の西田昌司議員は太田局長に向かって「バカか!お前は!」と一括した。私が西田氏のこの質問を「やらせ」だというのは、一連の問題責任をすべて財務省役人に負わせ、安倍総理とその夫人昭恵氏を免罪しようとする意図がみえみえだったからである。

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農水省で見つかった加計学園の獣医学部新設計画に関連する文書=共同

もう一つこの項で触れておかねばならないのは加計(かけ)学園の獣医学部認可問題に係わる①安倍総理本人、②その刎頚の友、加計孝太郎(かけこうたろう)学校法人加計学園理事長・総長、③その関係を根源とする利害を代行して栄達を図ろうと必死の柳瀬唯夫経産相審議官(問題が起きた2015年当時の首相秘書官)の悪役3人とその構図を補強することで政界生き残りとそれによる経済利権を守ろうとしている④麻生太郎副総理である。


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愛媛県職員が作成した首相官邸での柳瀬氏らとの官邸での面会記録(同様のまとめが獣医学部直接管轄の農水省にも陳情の補完資料として提出された)によれば、加計学園による愛媛県今治市での獣医学部新設を巡り、県や市の職員、加計学園事務局長らがそろって首相官邸を訪ね(2015年4月2日)、柳瀬唯夫首相秘書官(当時)らと面会した。加えて、当該学部の新設は「首相案件」であり、「地元の希望として死ぬ気でがんばってほしい」などと柳瀬氏から逆に各方面(とくに文部科学省)への陳情を強化するよう激励され、直接の管轄官庁である農水省への陳情にも同種の「非公式メモ」を提出した。今回、農水省にもそのメモが残っていたことが判明してんやわんやとなったという顛末である(2018年4月12日)。

しかも、県職員が作成したその記録文書には(加計学園の獣医学部新設問題は)「首相案件」だとの柳瀬氏からの発言があったとも記されている。柳瀬氏から「首相案件」との発言があったことについては、「どういう意図でその言葉を使ったかは推し量りかねるが、(獣医学部新設に安倍総理が)前向きだと受け止めた」と知事は会見で語っている。

☆地方自治体職員の東京出張とは:

上記のやり取りについて、柳瀬氏は「記憶している限り、この件で地元の方たちにおあいしたことはない」と公式、非公式に何回も答えている。地方自治体職員が首相官邸(このこと自体が異例である)や中央の関係省庁を訪ねるのは「公務出張」であり、出張費が出る。だから、そうした出張には「報告義務」があり、通常そうした文書は「復命書」といい、そこには出張目的と面会相手と面会場所が最低でも経過説明とともに記される。こんどのような特別の意味のある出張の場合にはこの復命書のほかに、出張目的とその経過報告のより詳しい「報告書」(愛媛県知事のいう‘備忘録’)には「面会目的と日時、訪問先や面会相手等」が記録される。しかもその報告内容が県庁内と農水省内で発見されたものとでは大筋で一致している(細かい部分が違うのは時日的に後である農水省への提出版では推敲されたからで、「改ざん」とはちがう!)という「存在否定のできない文書」なのである。だから、柳瀬氏が国会で繰り返し答弁している「記憶の限りでは、愛媛県庁と今治市市職員に会っていない」とするコメントは100%のウソである。

加えて、それほど彼の記憶力が衰えておれば、そんな柳瀬氏は能力の低下した「バカか!!」だということになる。だがこの期に及んでも安部首相は「私は自分の秘書=柳瀬唯夫経産相審議官を信じる」といい、近づく日米首脳会談にも同行させるという。これでは安部首相対しても「バカか!お前は!」というしかなくなってくる。

話題その2:安倍晋三総理と麻生太郎副総理のケミストリー
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「ケミストリー」が相似形の安倍総理と麻生副総理は「相思相愛」で・・・「困ったときの悪だくみ」?
☆ケミストリー(chemistry=化学)とは「人間の性向と思考回路・行動パターン」のこと

この二人のケミストリーの相似性は①縦の歴史性②横の同時代性の双方における利権構造の共有に特徴があり、その二人が日本の政治的頂点に君臨していることが現代日本の不幸なのである。
深刻なのは、両氏ともに市民/庶民が安心して暮らせる方向を目指した政治という大目的などこれっぽちも持ち合わせないばかりか、②両氏ともにその財を築く基になったものがその家族による朝鮮半島、中国への侵略、そして戦後にはそれとは真逆の、しかも工作資金を与えられての対米協調への転換による裏取引によるものだからである。とりわけそのことは、安倍氏の母方の祖父である岸信介が①「旧満州国」における軍の資材調達、②商工大臣としての日米開戦のキーパーソン、③アメリカからの提供資金によって戦後日本の政党政治と安保体制を築き、「政治・経済合同運営」をしてきた・・・ことなど、恥ずべき過去をメディア操作によって巧妙に隠し、今なおそのやり方で政治をやっているからである。
ついでに言っておけば、麻生家も朝鮮半島から「結果として来日しなければならなくなった」朝鮮人労働者を使って九州で戦後の財をなしている。


日本新聞協会と現在のメディア状況

日本には主な新聞社、通信社、NHKを含む放送局=メディア企業が加盟する業界団体に「日本新聞協会」があり、この協会が毎年、優秀な記事を書いた社、業界の発展に貢献した社などを表彰している。
 ☆新聞協会会員:新聞 104、 通信社 4、 放送局 22 計130社(2018年4月1日現在)
  日本新聞協会について →www.pressnet.or.jp/about/

この日本新聞協会について、協会自身はホームページでこう自己紹介している
「日本新聞協会は、全国の新聞社・通信社・放送局が倫理の向上を目指す自主的な組織として、戦後間もない1946年7月23日に創立されました・・・。」
しかし、その前年の8月15日まで軍部の宣伝機関と化していた新聞社が自発的に組織を改革するはずはないから、実際には連合軍司令部による命令=「ほぼ強制」により結成されたものである。
☆詳しくは以下を参照:「メディア倫理の社会的パラダイム~米・英・日の原初的検討から~」2004年3月20日刊、pp.1-69
『同志社メディア・コミュニケーション研究』(創刊号、2004年3月発行)

 内部関係者によれば、今年度の日本新聞協会編集部門賞は「森友・加計学園問題」等の一連の報道でほぼ独走した朝日新聞社が受賞すると思われたが、その審査で「読売新聞社と産経新聞社が猛烈に反対した」ことで、他社の受賞となったという。もちろん、その受賞社の応募作品も立派である。だが、新聞協会の倫理綱領(2000(平成12)年6月21日制定)にはこうあることを知るとき、いかにも奇妙、珍妙、不可思議な授賞決定であった。

『21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい・・・以下略』

その「奇妙、珍妙、不可思議な決定」理由は次の写真が明瞭に示しており、それ以上の説明は必要ないだろう。

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プロ野球開幕巨人-阪神戦を観戦する安倍晋三首相(左)と渡辺恒雄・読売新聞グループ本社主筆=東京ドーム、毎日新聞2018年3月30日、佐々木順一撮影

なぜ、盛り上がらない日本のセクハラ撲滅運動?

中央官庁の次官を含めて、セクハラ事件が頻発している。男女がおれば、そして職場を含むどのような場所であれ、必要性があれば、なんらかの連絡や接触が「男女をとわず、複数間で」あるのは当然だ。しかし職場の仕事での必要事項を超えて、どちらか一方の性が違う性別の人に「必要限度を超えた接触を求めたり、男女間の相互尊重の精神なく有利な立場を利用した圧力的接触を強いること」は「セクハラ」だ。もちろん、セクハラは女上司から部下の男性に対してもないわけではない。

 このセクハラに関する直近の例では、「麻生太郎財務相、セクハラ疑惑の調査・処分はせず 福田淳一財務次官へ」などと『週刊新潮』記事を基にテレビや新聞が報じている(2018.4.12日付)。これは財務次官が女性記者にセクハラ発言を繰り返し、その音声録音がネット上でも公開されているが、まさに下劣な内容で・・・典型的セクハラである。

 いくら人間関係の構築がむずかしいことだといっても現役の財務次官=財務省のナンバーツーがそれでは困るし、その直接の上司である麻生太郎財務大臣=副総理が『週刊新潮』によるこの報道について、「本人には反省もある。緊張感を持って対応するよう述べたことで十分だ、本人が軽率であったと反省しており処分することはない・・・」といったとの新聞とテレビでの報道があるが、第二弾としてそのセクハラ発言が音声公開されると「事実であれば今の時代であればセクハラだろう、だが、緊張感を持って対応するよう述べたことで十分だ」と麻生氏が再度語った。
刑法上は確定していなくとも、セクハラは間違いなく社会的犯罪であり、その犯罪に対し、「緊張感を持って対応するよう述べたことで十分だ」といってすまそうとする麻生氏に対しても「バカか!お前は!」というしかなくなってくる。

 ☆以下は参考までに、最近書いた原稿である。詳しくは『メディア用語基本事典』改訂新版に掲載予定。

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☆ここにあるsurvivorは「被害から生き残った者」という意味である。

ミーツー #MeToo

英語でMee too.とか、You too.いった場合、「私も同じ・・・」「あなたもだよ・・・」という意味だが、その前に「#」(シャープ、ハッシュタッグ記号)をつけた表現は「私もセクハラの被害者!」という告発としてハリウッドの女優たちによって使われ始め、TIME誌がその運動を起こしたテイラー・スウィフトなどを「Silence Breakers=沈黙を破った女性達」)として「今年の顔」として取り上げた(2017年)。それが契機となり、欧米を中心に芸能界だけではなく、クラッシック音楽界など練習、学修時の密接な師弟関係から支配・被支配の構造に陥りやすい分野でも、欧米を中心に大きなセクハラ撲滅運動になりつつある。日本でも同種業界だけではなく一般企業や官庁・役所内でも類似状況にあるとの指摘があるが欧米ほどの運動の盛り上がりはない。(渡辺武達)

(2018年4月20日記)


メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その5                      2018年3月20日(火)記

森友学園問題での安倍晋三首相夫妻、責任転嫁ミエミエの麻生太郎副総理とその麻生氏が「適材適所」を繰り返してきた佐川宣寿理財局長(当時)、一連のごたごたの犠牲者としての近畿財務局役人の自殺・・・といったミステリー小説風の展開で、ついに安倍政権の支持率と不支持率が逆転した。日本人の判断力も捨てたものではない・・・しかしその国民の怒りはいつまで維持されるのか?

☆毎日新聞(18/3/18)が17/18両日に実施した全国世論調査によると、安倍内閣の支持率は2月の前回調査から12ポイント減の33%、不支持率は同15ポイント増の47%だった。不支持が支持を上回ったのは昨年9月以来。学校法人「森友学園」に関する財務省の決裁文書改ざん問題が影響したとみられるという。19日付の朝日報道では不支持率が31%だが誤差を考えれば安倍政権への不支持率が支持率を上回ったという点では同じだ。

☆森友学園は当初、「安倍晋三記念小学校」との名前をつかい寄付金を集めていたが、安倍首相の了解がなかったとして「瑞穂の国記念小学院」と途中で言い方を変えた。が、建築申請書では「開成小学校」とされ、右転左転したことが伺える。

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財務省、決済済み公文書の改ざんを280カ所以上!

国会へ提出せざるを得なくなった国家財産の詐欺的販売とそれに係わる公文書の改ざんは280カ所以上もある。いったんは騙したものの国会でもそれを当の財務省、麻生財務相も認めざるをえなくなると(すでにそのコピーがネット上で公開中)、麻生氏はこんどは「一連のすべてが佐川の責任」だと公言している。しかしその大ウソの背景はつぎの4葉の写真から容易に推察でき、さすがの国民ももう騙されない。だから、上述のような大幅な支持率低下となって当然だろう。もっとも、安倍晋三夫人の昭恵氏はワンレンボディコンの遊び人グループ所属で、今になっても生まれ・環境からの特権が幻にすぎないことを自覚できないようだからあわれなのだが・・・

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☆この昭恵氏専属秘書の谷査恵子氏は事件発覚後、在イタリヤ日本大使館一等書記官として栄転、赴任。実質は破格の厚遇での口封じ「軟禁状態」にある。

経済産業省から内閣府への出向職員として安倍昭恵首相夫人つき秘書として働いていた谷査恵子(谷さえこ)さんが、現在、イタリアの日本大使館1等書記官に就いていることが報じられました。
18/03/19 にこのページにアクセスしました。


森友学園問題と安部夫妻、麻生副総理の犯罪、そしてメディアの責任

今、メディアが活躍する最大の話題で、かつメディアの責任が問われる最大の問題がこの「森友学園の小学校用地取得に関わる公文書書き換え(改ざん)」である。もはやそれは「疑惑」ではなく、事実として安倍・麻生コンビでさえ否定できなくない。役人とそれを統括する行政のトップが国民による国政検証のための基礎資料を職務に違反して自分たちの都合で書き換えてしまったのだから、関係者全員の切腹モノだ。加えて、この事件の背後には安倍晋三首相の妻、昭恵氏(通称:アッキー、元森友学園小学校名誉校長、後に辞任)と彼女がその力を利用して近畿財務局に口利きをした夫・晋三首相本人への悪しき「忖度」をした役人たち、それがどういうものであったかの実相の解明がメディアには問われている。

☆このアッキーについては森友問題が発覚するまで、メディアは彼女を「家庭内野党・・・」などという呼び方で褒め、「安部首相は悪くても奥さんはまとも・・・?」との印象作りをしてきたのだから、その罪からまぬがれ得ないだろう。

だからこそ、今その構造がはっきりしてきたのだからその解明作業を鋭意継続し、その結果を反国民的行為をはたらき、今なお働いている権力者たちに臆することなく社会一般に公開し判断を仰ぐのがマスメディアの使命だろう。メディア機関で働く人たち=メディアワーカー、なかでも取材、編集、執筆・表現活動であるジャーナリズムとその直接の担当者であるジャーナリストの使命だろう。ジャーナリストとは現代社会の公正で円滑な運営のための基礎情報の提供者であり、ジャーナリズムとは現代との対話活動のことをいうのだから。

公文書の改ざんの罪とその深刻さ

政治家は公約を提示して国民の投票による信任によって選ばれた人たちである(はずだ)。だから、国民からの付託を受けた責任responsibilityを自覚し、帰責事由for any reason attributable to...と起因責任causal responsibilityを明確にし、それがもたらした結果責任をとらねばならない・・・といっても安倍晋三夫妻、佐川宣寿理財局長(後に国税庁長官に昇格したが文書改ざん発覚後にクビに)、さらには佐川氏の任用と人物評価について「適材適所」を繰り返してきた麻生太郎副総理にはここで記している文章を理解できるだけの能力はないと思われるのがさらに悲しいのだが・・・。

公文書の改ざん問題を「確信を持って」最初に報じた朝日新聞(18.3.2)は次のような図解説明によって、安倍首相夫妻を支える国会答弁を続けてきた佐川宣寿前国税庁長官(事件発生当時は財務省理財局長)とその上司の麻生太郎財務相(内閣副総理)を描いている。

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 とりわけ、麻生氏は左川氏を「官僚として有能」でその役職への任命は「適材適所」であったと、国会でのウソ答弁発覚後も繰り返しているのだからなにをか言わんや・・・。母方の祖父に吉田茂元首相をもつ「権力型社会犯罪無自覚人間」であることでは同じく母方の祖父に岸信介元首相をもつ安倍氏とそっくりの家庭環境で育っているものが暗示している恐ろしい構図、二人とも戦争中は軍部の中枢と関り、戦後はアメリカ崇拝者としての利権を貪ってきた点での共通点がある。

権力者たちの責任逃れ

 3月のはじめ、麻生氏は記者たちとの会見で、省内での調査の結果「昨年2月下旬から4月にかけて、本省理財局において森友事案に関する複数14件の決裁文書の書き換えが行われていた」と報告した。財務省は引き続き調査を進めるという。

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前代未聞(といわれるがこれまで都合の悪いことではおそらくやってきたのだろう)の公文書書き換えだが、麻生氏は「私の進退は考えていない」と断言。「一部の者によって財務省全体の信頼が失われたという形になっているのは甚だ残念」だと。「私として、財務省全体の組織が(問題)とは考えていない」とも述べ、省全体としての責任を否定している。「私と妻は森友問題になんら関係していない」という安倍首相とその妻、その盟友の麻生太郎副総理の自己保身の論理にはあきれるほかない。同時にどうしてこうした輩(やから)が日本政治のリーダーをしておられるのか、間接的に選んでいる国民の一人として恥じ入るばかりである。
 同時に、以下の写真を見せながら、小学校用地の格安ゴマカシ販売を迫られた倫理観の欠如した財務省の「忖度」エリート役人たちが哀れにさえ思えてくる。

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 ☆以下はある現代用語の解説本用に最近筆者が書いた原稿である。

忖度(そんたく)conjecture, reading between the lines  
たいていの国語辞典では「相手の心をおしはかり配慮すること、斟酌(しんしゃく)と同義語」などと説明しているが、2017年度の国会でひんぱんに飛びかうようになるまでは日常語ではなかった。「インスタ映え」と並び、この年の「現代用語の基礎知識」主催の新語・流行語大賞にえらばれたのは安倍晋三首相(当時)の友人が理事長を務める学校法人加計学園グループが申請した岡山理科大学獣医学部新設(愛媛県今治市の国家戦略特区)と、首相夫人の口添えにより国有地が首相夫妻と政治イデオロギーを共有していた人物が理事長を務める森友学園による学校建設用地(大阪市)として、破格の低価格で払い下げられたからである。いずれも首相夫妻の意向を忖度して関係省庁役人が実行したのではないかという疑惑が残り、加えて首相本人が国会で「自分や妻が直接に関わりそうした便宜を図ったことがあれば、自ら首相も議員も辞める」と公言し否定したからである。

国会や記者会見等でさまざま議論がなされ、記者たちの努力もあったが政権中枢と財務官僚を中心とした「関連記録の廃棄」により首相関与を示す直接証拠は出ず、関係者が首相の「心のうちを推しはかった」つまり「権力を持つものが部下に理不尽なことをさせる手法」という意味が加わることになった。この婉曲表現が外国人特派員たちを混乱させ、市民にも不満を残したのは公文書の書き換え(公文書管理法違反)までがなされ、「政官界上層部では理不尽なことがまかり通っている」という疑惑が解消されず、国会でそれを否定した財務官僚が国税庁長官に栄転さえしたからである。(渡辺武達)

公文書管理法 Public Records Management Act of Japan  
 政府・官公庁の活動記録を国民が知る権利を保障し、それらを国家の歴史的財産として保持することを目的として2009年に衆参両院の全会一致で成立した法律で、正式には「公文書等の管理に関する法律」という。冒頭に「この法律は・・・健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として・・・国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により・・・国及び独立行政法人等の・・・諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする」とあり、それらの記録についての作成から廃棄までの統一基準も各省庁共通規則として定めている(詳細は資料編参照)。

この法律成立の背景には保険庁がコンピュータ入力した年金記録に誤りや不備が多くあり、それが個人の生活に直結していたことから大きな社会問題となり政府機関の情報管理が国民から批判されたことがある。国民主権の健全な行使には投票権だけではなく、政府の活動実態の透明性保証が重要だが2017年度に発覚した森友学園国有地取得問題でも財務省による記録文書の書き換えがあり、官僚による政治家への忖度と主権者軽視、モラルの低下がその原因だとされた。公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」であり、国民が官公庁などの公的機関の活動を知るためには実質的効力をもち、かつ使いやすい情報公開法とのセットが求められる。しかし今も不祥事が少なくないのは虚偽公文書作成罪(刑法156条)、公用文書等毀棄罪(刑法第258条)の適用がむずかしいことなども指摘されている。(渡辺武達)
(この項、続く)

メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その4                     2018年3月7日(水)記

パラリンピック部門(2018.3.8―18)開始前だがメディアビジネスの対象となるピョンチャン(平昌)冬季五輪のメイン部門(2月9日–25日)が終わった。しかしその余波で今も「感動」を与えてくれた」選手の帰国風景、おまけに国民栄誉賞(People's Honor Award)の大盤振る舞いまでついて、彼ら彼女らへのインタビューでの局アナや解説員たちの発言、ゲーム回顧の報道がいている。

若い世代を中心に一般テレビ放送視聴が激減している中での五輪はまさにキラーコンテンツだ。それはメディア関係者が生活するため、報道される側も次回大会までの支援者(所属企業)探し(もしくは契約更新)にそして言わずもがな、スポンサーには選手が優勝するたびに所属企業名がテレビ画面に大写しになるのだから関係者全員のメリットになる。というように、全関係者にとって活躍した選手たちが放映素材になることは大事だろう。くわえて、視聴者にとっても五輪選手たちの「カミワザ」(常人には神様に見える演技)が「感動」の連呼となり、はしばしの息抜きに必要なのは確かだろう。

だが、私にとってはその中で、何が失われていったのかを記しておくこともひとしく大事なのだ。政治の現場ではだが、何が起きているかを知らされなかったのが戦前であったが、現在の国民は五輪報道で時間を奪われた知るべきことを知ることができないという仕組みは、「洗脳された戦前の国民」と「知る時間を奪われた現在の国民」とはともに「知らない」・・・つまり「愚民」にされているという点ではおなじではなかろうか?

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☆ビデオリサーチ調査によれば、五輪2連覇のヒーロー羽生結弦選手が金メダルを取った日の視聴率は驚異的で、フィギュアスケート男子フリー中継番組の平均視聴率(NHK総合、17日午後)は関東地区で33.9%、関西地区で31.7%、羽生選手の出身地の仙台地区ではなんと41.2%!!

瞬間最高視聴率は関東地区が46.0%で羽生選手の金メダル、宇野昌磨選手の銀メダルが確定した直後、コーチらと喜び合う場面だったそうだ。関西地区は44.6%、仙台地区は56.0%。小平奈緒選手が金メダルを獲得したスピードスケート女子500メートルの平均視聴率(TBS系、18日夜)は、関東地区が21.4%、関西地区が20.5%、瞬間最高視聴率は関東地区が34.6%、関西地区が36.5%だったとか。

しかしだ・・・繰り返すがこうしたメディア状況は長い目で見て日本社会のためになっているのだろうか?
メディア倫理と社会論としていえば、いずれもそれらはメディア企業とその関連組織(イベント・広告業界etc.)にとってはいうまでもなく純粋なビジネス。そして大半の視聴者にとっては「感動した!」が連発できる娯楽だが、幼稚園児や小中学生にとってはいつかは自分が出たい・・・その親にとってはいつかは自分もその親になりたい・・・との感情を確実に刺激している。スポーツが国民体育の向上をそっちのけにしてそうした感情だけの利用になっているのは、金メダリストに「国民栄誉賞」を与えて「作り上げた」視聴者目線に迎合し、それを自らへの批判軽減に利用しているのが政権政党とそのリーダーである首相安倍晋三氏の取り巻き連中だということに象徴的だ。

ならば、ここではそうした華々しい競技スポーツの裏側で何がおきているのかをも同時に知っておきたい。

第1は五輪を代表とするチャンピオンスポーツにおける現場の暗部である。

メダリストの「登場=生産」の影での暗い現実に私たちはすこしは目を向けておきたい。最近の事件報道から例をとれば、ある元女子マラソンランナーが万引き事件を起こした。 → https://mainichi.jp/articles/20171109/ddm/041/040/122000c

 その女性は摂食障害に陥っていたが「陸上長距離のほかフィギュアスケートや体操など体形や体重の維持が必要な種目が危険だ。日本では全く知識のないコーチが多く、対策が遅れている」(専門家の話)。また彼女は事件当時の心境を公判で「防犯カメラが視界に入り店員とも目が合ったが(私生活の悩みや万引きの衝動から)解放されたいと思った」と語ったという。しかも、摂食障害に由来する万引きは「無防備で衝動的に盗み、盗んだ記憶がなく、金銭は持っているという事例が多い」(日本摂食障害学会理事の鈴木真理・政策研究大学院大教授)という。駅伝選手などはコーチなどから「「痩せろ」「食べるな」と言われ続けているのが実情だとも・・・。

そうした訓練で幸いにして勝ち残ったものの頂点の一部メダリストなのだ。つまり、お金と時間に余裕がある家庭だけが小さいころから子どもをプロのコーチや訓練センターに送り迎えし、そのなかの才能があり、運のよかったほんの一部だけがメダリストになっているにすぎないというわけである。

第2は報道がスポーツの社会的誤解を作ってるという事実がある。

訓練の現場がそうした状況なのに、五輪のような「娯楽」キラーコンテンツが国民・視聴者の貴重な時間、とりわけ、それがなければ少しは考えるであろう「社会と政治の矛盾」とその起因者/起因責任(causal responsibility)を考える時間を奪ってしまっている。もちろん、社会現象にはすべてのことに表と裏があり、私は五輪報道が視聴者のスポーツへの関心を高め、それがスポーツ基本法(平成23年法律第78号、スポーツ振興法(昭和三十六年法律第百四十一号の改正)の実現に貢献している面があることは私も認める。しかし、五輪報道に代表される報道・報告・記事が日本人がまじめに物事を考える時間を奪い、社会にとっては却ってマイナスになっている、すくなくとも「現行のスポーツ」あまりにも美化し、実態をゆがめ、あまつさえ選手を芸能人化しているのではないか・・・ということである。
たとえば、以下の写真のメダリストたちは「芸能タレント」そのものだろう。

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女子フイギュア一位ザギトワ、2位とメドベージェワ、3位オズモンド(カナダ)

金メダリストの羽生結弦選手やロシアからの個人参加者ザギトワ選手、2位とメドベージェワ選手らがこれまでに想像を絶する練習、鍛錬を積んできたことは尊敬に値する。しかしテレビが提供する彼や彼女が実質的に果たしている役割はアイドルのそれとまったく変わらない。

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そのことを如実に示しているのが上の写真。

カーリングはすばらしいし、筆者も北海道の阿寒湖で実際にストーンをなげたことがある。だが今回の五輪女子で銅メダルを取ったチームのエースが美人だということで、韓国メディアが自国の人気女優と並べてそれを報道し、その人気を読者サービスとして使ったという。両国間の無益の対立の緩衝材としてはよいが、韓国でも日本でも、いや世界的にスポーツがポピュリズム(populism)の本当の意味である「民衆を賢くするという意味での民衆中心主義・大衆中心主義」への貢献をしているとは思えない。

ものをじっくりと考えない人たちを作り出し、政治利用するという意味での「大衆依存主義」は文字通り「衆愚政治」そのもので、その典型が安倍一強政治の実相だとすれば寒気がしてくる。もっとも、「スポーツなんてそんなもんだ」といえばそれまでだが、スポーツをそんなふうに利用し、国民を結果としてだまし、愚弄し、その拡大再生産を発信はネット、SNS中心の人たちに一面的な情報を提供しながら自主発信させ、「愚民」を拡大再生している「メディア」の罪は軽くはない。(この項つづく)

メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その3  2018年2月7日(水)記

前回は北朝鮮による「拉致」問題を素材にメディアによる誤導について書いたが、これにも何人もの方から感想をいただいた。大方が拙論に賛同するものであった。しかし、反対する人はスルーしているか、初めから議論する気がないのだから・・・という前提で本稿を続ける。

繰り返すようだが筆者は「北朝鮮の言動が正しい」といっているわけではなく、「北朝鮮叩きだけでは本質を見誤る」、それだけでは「戦争の危険を煽るだけでまともな社会観(倫理観・歴史観・世界観)を歪め、人びとから熟考・熟議の時間を奪っている」「大方のマスメディアのそうした現況は矯正されるべきだ」、そこからしか本件についての前向きの議論はできはしないといっているだけだ。
問題はメディアとそれが形成する人びとの社会観にあるということである。

そのためにも紹介しておきたいテレビ番組がある。「対談:瀬戸内寂聴×美輪明宏 2018年1月29日(月、BSプレミアム)15:30から60分、初回放送:2015.8.16)である。

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☆作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんは、「戦争が人を一番不幸にする」と説き続けてきた。歌手・美輪明宏さんは、自らの被爆体験、戦争反対への思いを音楽で表現してきた。“旧知の友”の2人が戦後70年の夏、長崎市で公開対談。二人が語ったのは戦時中の体験から、文学、結婚、恋愛、老いまで。会場からのお悩み相談にも答えながら、情熱的に語り尽くした。(NHK広報)

この番組が発信する哲学が現代社会できわめて重要だと思うのは二人が「戦争を避けるために役立つことはなんでもやろう」という考え方で一致しており、それが二人の(少なくとも「現在」の)生き方の基点になっていること、そしてその生き方が二人の戦争体験の自己省察から来ているからである。二人には個人の生き方の価値は社会矛盾最小化への努力いかんにあり、それが人間社会を進歩させる最低限の責務(duty & obligation)であるという信念がある。その点では我が国の宰相、安倍晋三氏や米国大統領ドナルド・トランプ氏らのいい加減さは真逆の位置にある。なぜなら、この二人はごまかしcheatingの常習者で、民衆の安全と幸福の向上など考えたことがないか、もしくは考えようとする思考様式を身につけていないからだ。公平のためにいっておくが、もちろん、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長も同類の人物である。

☆美輪については「美輪明宏 ヨイトマケの唄. その愛と秘密」(BSプレミアム 2月3日(土) 後7:30~8:59)も放送され、働く母の姿が感動的に歌われ、その背景が美輪の生き方とともに描かれたが、関心のある方はオンデマンドなどで見てほしい。「 歌が生まれ、人々の心に届き、名曲となるまでの軌跡を追う音楽ドキュメンタリー」(NHKの宣伝フレーズより)

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北朝鮮報道の誤導とメディアのアジェンダ・セッティング

安倍首相による言論のデタラメ

安倍首相はこの1月8日(2018年)の党首討論会で、「北朝鮮は核を保有している。核保有国だ」と明言したうえで、「核保有国が日本という非核保有国を脅したのは初めてだ。(金正恩(キムジョンウン)総書記が)日本列島を消滅させるという趣旨のことを発言したのは・・・十分に〈国難〉だと思う」とも述べたという。その支離滅裂さにはあらためて驚いた。次の4つの事実との整合性がまるでないからである。

第1は、前回のブログにも書いたが、沖縄だけではなく、日本全土に多くの米軍基地があり、それらのいくつかには核貯蔵施設がある。核兵器装備可能な爆撃機も常時飛来してきている。しかもこれまでに日本の米軍基地には核兵器が持ち込まれていた(ことがある)から、日本は「非核保有国」とはとてもいえない。1967年12月、佐藤栄作(岸信介の実弟)が核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」と定義した非核三原則はまったくの「うそ」であること。

第2は、日本は事実として「米国の核の傘」の下にあり、北朝鮮から(だけではなく、中国やロシアから見ても)は「核保有国」そのものである。この安倍発言は、ポケットにナイフを持った者」が「このナイフは自分のものではないから、私はナイフを所持していない!」というようなもので、99%以上の詭弁である。

第3は、日本はこれまで政府の公式見解として、「北朝鮮を核保有国として認めない!」としてきた政府公式見解とは正反対のことを「政府を代表する」首相が堂々という、そこには「整合性」「合理性」がなく、「この人の頭の中は混乱している=正常ではない!」としかいえないこと。

第4は、朝鮮戦争時の1950年、「核保有国」アメリカ」が「非核保有国中国」に対し、「核攻撃を排除しない・・・」といい、中国を恫喝した。その悔しさから中国は核開発を急ぎ、1964年の東京五輪の真っ最中に初の原爆実験を行った。世界で最初の核開発国はアメリカだが、それはナチスドイツから逃避してきたユダヤ系ドイツ人たちの協力によるものである。第二次大戦後、核爆弾を保有したアメリカから会談/交渉で数々の苦渋を飲まされた核非所有のソ連(現ロシア)がスパイ行為でアメリカの原爆設計図を盗み出し、自国で核爆弾を製造し米国に対峙することになった。それらの小型版行為を現在の北朝鮮がしているにすぎない。

だが、メディアが一連の経緯としてこうしたことにふれることはまずない。ただし、池上彰だけがそうした状況に穴を穿こうとしているように見えるが隔靴搔痒の状態である。

☆「櫻井翔×池上彰と知る“教科書”で学べないニッポンの“想定外”」(日テレ、2018.2.6)での「夜の渋谷でキャッチ 北朝鮮の“暗号放送”」コーナーでも北朝鮮問題ではいいところまで行きながら、最後は日本政府の見方に迎合し、北朝鮮悪玉観を増幅するだけのものになっていた。

☆筆者がネット上でのメディア批評で参考になると思うのは元朝日新聞記者、今西光男が主宰している「メディアウオッチ100」(http://www.mediawatch100.com/)と国際問題ジャーナリスト、田中宇が発行している「田中宇の国際ニュース解説」https://tanakanews.com/。前者が主として日本の新聞とテレビを対象にしているのに対し、後者は世界のネット情報を渉猟し、自分の見方でまとめている。

本稿関連でいえば、田中宇のいうTPP問題を素材にした以下の論評はアメリカのグローバルな位置関係の指摘としてその通りだ。

「通信1月23日、日本、豪州NZ、東南アジア、カナダ、中南米の、米国の同盟諸国である11カ国が、米国抜きで構成する自由貿易圏である交渉がまとまり、3月に発足することが決まった。その大きな特徴は、第2次大戦後の米国覇権体制下で初めて、アジア太平洋圏において、米国の同盟諸国が、米国抜きの国際体制を作った点だ。アジア太平洋と並んで米同盟諸国が多い欧州では、冷戦終結時から、米国抜きの国際体制としてEUが存在し、ゆっくりと(停滞しつつも)対米自立の方向に進んでいる。」

だが、米国が「世界の警察官」であり得なくなったのは1970年代のベトナム戦争での敗戦決定で外部にもはっきりした。ジャーナリストではすでにその10年前からデイビッド・ハルバースタムなどがそのことを現地から報告していたし、その20年も前からウォルター・リップマン(1889-1974)が指摘し、その枠組みで活動していた。
☆ハルバースタムについては、『メディア用語基本事典』(世界思想社、2011年)pp.305-306」を参照されたい。またこのブログでもすでに取り上げている。
 
ピョンチャン冬季五輪と「スポーツ報道」による誤導

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☆中国は1964東京五輪中に核実験を実施した!(上記、池上番組より)

ピョンチャン冬季五輪(2018年2月9日–25日)がどのような形式になるかは実際に始まるまではわからないが、すくなくとも現在の主要なスポーツ関連報道は人びとに「スポーツ」に関する誤解をさらに蔓延させている点では従来と変わらない。今回もその傾向は「五輪は平和の祭典である」という虚構に立った議論によって拡大されている。が、それ以上に、その見方だけではすまない背後の深刻な実態とそれをむしろ促進している現代世界のスポーツの利用構造に注目しておく必要がある。それこそが、私たちが知らず知らずのうちに取り込まれてしまっている「メディアスポーツによるアジェンダセッティング」である。

私の主張、その1:現在の大半のスポーツ関連報道は「娯楽番組」だ!

 スポーツの社会的意義は「人びとの健康増進と維持、みんなで合意した公共生活のルール(規制・約束事)遵守の大切さを覚えさせること」にある。しかし現在のメディアが提供するスポーツとその取り扱い方は視聴者にとってそうした本来あるべき「体育」教育とはまったく違うものである。加えて、「スポーツ基本法」にいうスポーツのとらえ方ともまったく異なり、各種目のチャンピオンの立ち位置は娯楽番組に登場する「芸人や歌手」「アイドル」と何ら変わらない。 

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災害が起きれば、被災地にスポーツ選手や芸能人たちが慰問におとずれ、それがマスメディアでとりあげられる。またテレビに登場するフィギュアスケーターだけでなく、野球選手や100メートル記録保持者にしても茶の間の視聴者にとっては「芸人」たちと何ら変わるところがない。
断っておくが私はそのこと、そしてそれらのアスリートたちが悪いといっているわけではない。メディアとスポーツとの関係をしっかりとつかんでおかないと私たちはいつまでも「騙される側に追いやられたまま」になることがまずいといっておきたいのだ。

☆ちなみに、スポーツ基本法(平成23年法律第78号、スポーツ振興法(昭和三十六年法律第百四十一号の改正)の前文にはこうある。

「スポーツは、世界共通の人類の文化である。スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。」

私の主張、その2:トップアスリート=スポーツ選手のほとんどが健康を害している!

スポーツの目的の一つは健全な身体とその結果としての健全な生活ができるようにすることである。ところが一流選手といわれる選手の多くが「限界を超えた練習を心理的に強制されるため」身体のどこかに深刻な故障部分をもつか、常時ケガの危険にさらされている。またチャンピオンになるためには他の選手を蹴落とすことが必要だと考え、最近も問題になったが、同種目他者のドリンクに違反薬剤を入れる・・・見つからなければ、道具の損傷や盗みなど、違法手段おかまいなし・・・という状態に多くのトップ選手が心理的に取り込まれている状況がある・・・金メダルのためなら、毒でも飲むという選手が少なからずいることがかつてのモントリオール(カナダ)五輪のときになされた匿名アンケートでも示された。

そうなるのは、代表選手を派遣する国家、経済的に支援する企業、商売(視聴率)のために派手なイメージを演出したいメディア、サーカス的演技を見たがる一般人などのすべての関係者が人間性を無視したことをアスリートとその予備軍に要求しているからだ!

また過度な商業化により、五輪組織/IOCそのものが高額の放映代金を払うアメリカのプライムタイムに合わせ、常識はずれの現地時間での競技開始を強制し、選手の健康によくない条件の受け入れを強制しているなどにも表れている。 

☆スポーツ基本法の前文にはこうある。
「スポーツは、スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである・・・。」

私の主張、その3:現代の競技スポーツの大半はビジネス論理で動き、選手もその論理に毒されている。

スポーツ大会には大から小まで、その参加者・関係者として①競技者②組織者③観客④メディアがいる。それは幼稚園や小中学校の運動会から五輪までおなじで、運動会ではその区分化が未成熟だが五輪の場合にはそれぞれが専門特化しているだけである。大会が大きくなればなるほど肝心のスポーツ精神(たとえばスポーツ基本法の前文記載)をビジネス化が蝕んでいるということである。そうしたビジネス化の背後には国際的に暗躍している電通などの大手広告会社がいる。スポーツ選手とその管轄競技団体だけではとてもそうしたダイナミックスに抗えないばかりか、その仕組みを捉えることすらできない。

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私の主張、その4:報道がナショナリズムの煽りに加担し、人びとからまともな社会的認識過程としての時間を奪っている!

 サッカーや野球の試合にはそれぞれのチームのファンがスタンドから熱烈な応援をする。その爲にオリンピック観戦で使われるのが国旗で、日本の場合、ほっぺたなどに日の丸を描いている者さえいる。彼らは心理的に選手とともに戦いながら、組織者たちのビジネスのためのナショナリズム高揚に掻き立てられている。ただし選手の闘いの手段はそれまでに鍛えた体力と技術と気力だけであり、トランプや金正恩のような「集団殺人」(前掲テレビ番組での瀬戸内寂聴の用語)兵器でないことだけが救いである。

またピョンチャン冬季五輪の南北統一チーム結成を「五輪の政治利用でいけない」という声がある。しかし日本の場合でも、1980年のモスクワ五輪をアメリカの意向に追随してボイコットした。その報復としてソ連を中心とした東欧諸国が次回1984年のロサンゼルス五輪のボイコットをした。

五輪のような巨大スポーツ大会にはビジネス界と政府の直接関与が避けられない。だから競技者とその統括競技団体は前2者の作るその構造に逆らえない。せめてその批判ぐらいはすべきだが聞こえてこない。競技者側にも「社会的幼稚さ」があるということである。

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☆訪中して周恩来中国総理と会談した後藤鉀二氏(左)とその意思を継いだ女婿・淳氏

その唯一の例外が後藤鉀二氏や荻村伊智朗氏が健在であった頃の日本卓球協会、アジア卓球連合、国際卓球連盟で、彼らはスポーツの平和構築機能に気づき、実践した例外的人物であった。筆者も1971年に名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会に日本卓球協会国際交流委員として関わり、2003年に役員を降りるまでの30年間、その動きをつぶさに見てきた。今、その体験を振り返り、スポーツの社会的機能に思いをはせることがしばしばである。

☆以下の拙著に収録したいくつかの文章を参照されたい。渡辺武達(1987)『市民社会のパラダイム 情報変革のために』市民文化社。

☆荻村伊智朗(1932 – 1994)個人世界チャンピオン2回、国際卓球連盟会長としても卓球外交に尽力、92年には千葉大会で南北統一チームを実現した。

私の主張、その5:スポーツを世界平和構築の手段として活用せよ!

前項で述べた名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会は翌年の米中、日中の国交正常化となり、「小さな白球が大きな地球を動かした」「ピンポン外交」などといわれ、実際にもその呼称に相当する働きがあった。しかしメディア論的にいえば、メディアをつかって卓球を「世界の平和秩序」構築に利用した知恵者がいたということである。つまり、卓球が「パブリックディプロマシー(public diplomacy)」の手段として使われたということである。
今回のピョンチャン冬季五輪での南北合同チームの結成も南北の双方が自国の国際的立場の向上に利用できると考え、それぞれの国内事情とも絡みあってここまできたものだ。救いは結果として五輪が武力でなく、体力による「戦いの場」になったこと。その最大の効用は北朝鮮による利用だけでなく、韓国もまた同様の思考法からスポーツを緊張緩和に役立てようとしているということだ。

だから、今回のピョンチャン冬季五輪だけではなく、スポーツとメディアの関係をおたがい見直し、平和構築に役立つように使ことを私たちがメディア関係者に要求することが大事かつ必要なのである。
(この項終わり)



プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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