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FIFA金銭汚濁の「真相」構造

 FIFA(国際サッカー連盟)の主催するワールドカップ(W杯)は地球規模の人気スポーツイベントとしては五輪を超え、加盟国数でも五輪組織に迫る。そのFIFAが今、退会会社地決定を巡る幹部役員の収賄汚職問題等で大揺れしている(2015年6月)。そのことは日本の東京2020年五輪問題でも例外ではない。現代の巨大スポーツは例外なく、政治・経済・メディアと金銭的に連動しており、広告や建設/土建といったスポーツとは直接の関係のない人物が多く暗躍している。逆にいえば、そうした人たちの協力がないかぎり、スポーツ人たちだけではそうした巨大イベントは開催できないのが実情だ。そこにメスを入れないかぎり、根本解決にならないことを私たちはまず知っておかねばならないだろう。

 今度のFIFA問題の発覚時、メディアはその副会長や事務担当の理事など、一部の不心得者の「悪行」、欧米先進国とアフリカやラテンアメリカ途上国との対立がその背景などとして報じ、直後に実施された会長選も綱紀粛正を再確認したブラッター氏の続投で当面幕を閉じる・・・と思われた。

 ところが訴追をした米国司法省と日本の国税庁にあたる内国歳入庁(IRS)の追及が汚職当事者との司法取引(資料提供による免責)で得た証拠に基づいており、その過程でブ会長本人の関与さえ疑われる事実が明らかになってきた。組織的な暗部の摘出は最小にして幕引きを計ろうとしても長年のボスであるブ氏が無関係であるはずがなく、ついにはブ氏の年内辞職と新会長選挙の実施とせざるをえなくなった。

 筆者は本欄で先に日本サッカー協会の例を取り上げ、協会が参加者個々人の心身と社会生活の健全化というスポーツの本来的振興ではなく、スポンサーをより重要視することによる選手とファン軽視という深刻な事態にあることを指摘した(『産経エクスプレス』2014年6月15日掲載「金銭市場主義 サポーター軽視のW杯」)。人気スポーツの多くはメディアの中継/報道によって人びとを熱狂させ、その螺線的上昇が用具やウエア業界だけではなく、スポットCMの単価をつり上げ、観客/視聴者を巻き込んだ巨大ビジネスとなっているという事実を無視しては真実に迫れないということである。

 そこからまず、巨大スポーツイベント開催権の獲得競争が起きる。同時にメディアによる熾烈な放映権取得競争も起きる。五輪から例を挙げれば、1988年のソウル五輪がそうであった。その開催権をめぐって争った韓国の首都ソウルと名古屋(愛知県)の競争の裏側でダーティな金銭問題を含め、旧日本軍の作戦参謀、日韓関係では中曽根康弘氏の名代で動いた瀬島龍三氏ら多くの怪しい政治ブローカーやフィクサーたちまでがうごめいた。それはFIFAでも東京五輪でも同じで、東京五輪招致委が広告会社電通を介して数億の金を開催都市決定の投票権を持つ国際陸上競技連盟関係者に配っていたこともそうした構造の中で起きたことだ。そうしたスポーツイベントの招致には政治家と広告代理店が、競技場とそこへのアクセス整備には土建と観光業者が絡み、個々の選手やファンはその利益収奪構造の中ではダシとしての役割しか果たしていないのが現代のメディアスポーツなのだ。

 ところが多くの報道にはこの視点が希薄で、関係役員の収賄や国際的なスポーツ用具メーカーの贈賄疑惑などに焦点をあて、挙げ句の果ては、有名選手の怒りの声を紹介して庶民の溜飲を下げさせているだけ、本当のワルたちはその陰で無傷でほくそえんでいる。FIFA関連でいえば、ブラジル代表のストライカーであったロナウド氏は自国のサッカー連盟会長を名指し、告発されたFIFA副会長との関係を理由に辞職を要求、元イングランド代表主将のベッカム氏は「サッカーは一握りのトップが牛耳るものではなく、このスポーツを愛する世界中の人々のものだ」。日本の本田圭佑氏は「ブ会長が辞める男気は、日本の管理者も見習った方がい・・・」と語っていることを報じただけ。そこで止まっていてはどうしようもないではないか。

 筆者は1971年から2003年まで、日本卓球協会の国際交流関係委員として、国際大会の組織活動をつぶさに見る機会に恵まれた。その間に日本人がITTF(国際卓球連盟)やATTU(アジア卓球連合)などの役員になる過程や、用具・ウエアメーカーが役員選出などにも深く関わっていることなども知った。筆者自身、卓球の発展のためのコーチ派遣や備品寄贈といった現地要請に応え、今回のFIFA問題でも収賄側として話題に上っているカリブ海諸国に行ってきたこともある。ただし、途上国援助自体はいいことで、悪いのは今度のような欧米諸国幹部による永続支配継続のための裏金買収やその過程でのピンハネで、当時の日本卓球協会側にそうしたことは断じてなかった。

 W杯や五輪の招致活動は国家的規模で動く。なとえば、1988年の五輪は韓国の首都ソウルで行われたが開催権争いをしたのは日本の名古屋市であった。自治官僚出身の仲谷義明愛知県知事(当時)は、中曽根臨調でNTTや国鉄の民営化を推進し、今日の政経権力(政治と経済が合同した権力)強化の枠組み作りをした元大本営参謀、経済人フィクサー、瀬島龍三氏などまでを取り込んだ韓国のロビー活動に負け、失意のうちに政界を引退、ソウル五輪開催を見届けたかのように自殺して果てた。

 くどいようだが、体育・スポーツ本来の目的である心身の健康、社会ルールの修得や選手の育成と底上げをほったらかしにして、一部スター選手を金で取引し、他はゴミ扱いというのはスポーツ精神と体育教育の精神にもとることだ。また、開催権と放映権取得に絡んだ汚職の摘発はいいことだが、現代の巨大スポーツイベントの開催は引退直後の選手などが技術的、経済的に担える規模をはるかに超えてしまっている。まず、その事実を認識したうえで、スポーツ基本法を文字通り勉強し直し、スポーツは身体と社会の健全化のために存在することを再確認しながら、そうしたイベントを円滑に運営できる人材の育成を制度的にしなければならないということだろう。

 また、当面の腐敗を防ぐ一つの方法は役員の多選を禁止することだが、メディアを含む業界ビジネスを透明化するための倫理と志の高い専門家を社会制度として養成することが基本になる。途上国援助に熱心ではない欧米の独善傾向、それに乗っかるスター選手たちの甘さ、途上国幹部を取り込んだ汚職の横行という今回のFIFAブ会長追い落とし劇の全体構造の把捉ができなければ、口先でいくらきれい事をいっても始まらない。その点でもメディア関係者の報道責任はきわめて大きいといわざるを得ない。

 2015年6月10日(水)産経エクスプレス(略称 EX)掲載 第196回 掲載時の表題は「汚職撲滅へ スポーツビジネス透明化急務」 
(わたなべたけさと、同志社大学名誉教授/メディア・情報学者)

追記:本稿を書いてから、FIFAと電通の「汚れた関係」を描いた以下の本が出た。田崎健太(2016)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』光文社新書。またこの電通についてはやや古い本だが、田原総一朗(1981)『電通』朝日新聞出版、がその社会的位置と構造をよく描いているし、もう少し日本社会全体との関係について知りたい人には、K・V・ウォルフレン著、篠原勝訳『日本/権力構造の謎』上下、早川書房、1990年(原著 Wolferen、1989)単行各2446円、文庫本(1994年)をお薦めしたい。
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アップル社と米国司法当局攻防の構図

 メディアが社会の実相をグローバルに通用する生活者の視点から描写しなければ、「グローバル化」時代に生きる市民の健全な判断力は育ちにくい。その結果、市民が選ぶ議員にも「地元利益を標榜した利権誘導」の不埒な「輩」が多くなる。詐欺師まがいのイクメン議員(京都選挙区選出ですでに辞職)や「バラク・オバマ大統領は奴隷の子孫(実際には父はケニアからの留学生)なのにそういう人が大統領になれる米国は凄い・・・日本が米国の51番目の州になるには憲法上の問題はあるのか」などとトンデモ発言、それを批判された後も「自分は間違っていない・・・」と言い続ける元弁護士の自民等議員。日本はすでに米国の「属国的」だが法的なその実現には憲法を廃止し、日本を米国の自治体にする以外にない!のに、そんなアホな議員がまだ国会に在籍中だ。

 いずれも倫理的かつ知的に「ゲスの極み」だが、今回はなぜ、一人あたりの新聞発行部数で世界に冠たる位置を占め、テレビ接触時間も多く、若年層のネット接触率が世界のトップグループにある私たち日本人が提供されている情報の質について、主権者として「知っておくべき事実とは何か」という角度から、現在世界的な話題となっているスマホ情報解読ソフトを巡るアップル社と米国司法省の対立問題を例に考えてみたい。

 昨年12月(2015年)、カリフォルニア州で起きたテロ事件の容疑者が使っていたiPhone(アイフォーン)の交信内容を知るためのロック解除を連邦捜査局(FBI)が製造元のアップルに求めて、同社が「政府当局からの要求は社会的利益を害する・・・」といい、司法省側は「アップルはビジネス利益だけで市民の安全を考えていない・・・」と批判している事件である。

 良識ある市民は一般的に犯罪撲滅に資する情報を捜査当局に提供するのは当然だと考える。それは安全かつ安心な生活を保障して欲しいと考える市民にとって基本的に日米ともに同じだ。だから、現実にそうした方向での法整備がなされ、当局は重大犯罪や明白な危機が迫りつつあると認められた時には事前防止のための盗聴を含む対応が認められている。そうした社会観があるから、今回の問題でも米国の世論調査では「過半数がアップルに批判的」である(ピューセンター調査)。

 この件では、日本の新聞やテレビも憲法が規定する表現・通信の自由や検閲禁止と社会的安全のバランス論を展開しているが、一歩踏み込むと違う側面が見えてくる。その第1は、「過半数がアップル批判・・・」という世論調査の結果報道だ。その批判率はじつは「51」%。小学校の算数レベルではそれはたしかに過半数だが、回答者の心理や問いの仕方を考えると「ほぼ半数」というのが正しい。メディアは何を考えて見出しをつけているのか。両者の与える印象はずいぶんとちがい、これでは捜査当局の視点に立った「情報操作」とさえいえる。

 第2は、記事の多くには肝心な争点が明示されていないという点。たとえば、司法当局はテロ撲滅のため、今回だけはアップル社も理解してほしい・・・などというが、アメリカのIT業界がロック解除を求められているのが現時点で12件以上ある。実際、これまで、大手IT企業、Facebookやグーグル、ツィッターなどの最高経営責任者(CEO)たちは「市民の安全確保」ということで政府による通信傍受にこれまで協力してきたが、その期待は裏切られ、そうした方法だけでは犯罪防止は確保できない・・・という事実が残った。そのため、今度の件ではアップル側を支持している。

 米国政府が社会的安全保障のため・・・と称して、自国民だけではなく日本を含む国際間の電子通信を上述したIT企業などの協力を得て傍受してきたのは事実だ。そのことは日本についても同じで、米国政府/捜査当局内部でその業務に従事してきた元CIA職員エドワード・スノーデン氏が自らの体験から証言している通りである(2013年)。

 当該スマホが見られないと事件捜査ができないというのはあまりにも子供じみた議論だということだが、それ以上に、これまでのこうした対立では最終的には国家のいう「国民・市民の生命と財産の安全確保」という主張が世論の多数に支持されてきた。だが、司法当局の金科玉条としての「安全」論理がスマホという誰もが身近に利用できる端末データの提供という「通信の秘密保障」をふたたび代償にして堂々と行われれば、「検閲の禁止」(日本国憲法の第21条保障条項)など無意味になってしまう。そこまでねじれた現況を今一度、理論と現実のギャップを細小にすべく努力する責任が私たちにはある。
 
 2016年3月2日(水)産経エクスプレス(略称 EX)掲載 第215回 
掲載時の表題は「安全か通信の自由か 事実に基づき議論を」 
(同志社大学名誉教授/メディア・情報学者)

「娯楽だから」と言い逃れるテレビ界自浄装置BPOの哀れ

今月1日(2016年3月)、水戸市(茨城県)がTBS系列のバラエティー番組「水曜日のダウンタウン」2月3日放送分(以下、「水曜」)の同市ロケ部分に放送倫理上問題があり、内容に虚偽があるとした意見書を放送界の自律組織である放送倫理・番組向上機構(BPO)に送った。

TBSがかつて放映したドラマ「水戸黄門」は最後にご老公と助さん格さんが悪役に印籠(いんろう)をかざし、懲らしめる定番(予定調和)が人気であった。今回の「水曜」ではその構図が現在も通用するかを「水戸なら今でも印籠の効果あるんじゃないか説」として検証を試みた。この10分ほどのコーナーの最終部分で、黄門役の老人に4人の若者が暴言を吐くシーンがあり、最後に進行役によるダウンタウンの発言とともに、「ドキュメントをお見せしました」との字幕が出る。

 「ドキュメント」は事実の記録のことだから、放映直後から「治安の悪さを見て、観光の予定を取りやめた」「水戸市のイメージが最悪になった」などと市に苦情や抗議が寄せられたが、じつはその4人は番組を面白くするために制作局が用意したエキストラであった。水戸市はそれを「やらせ」「虚偽」だと抗議し、同一番組内での謝罪・訂正を求めたがらちがあかずBPOへの意見書提出となった。

 「実際に起きてもいないことを事実として表現することは〈やらせ〉であり、事実を効果的に表現することを〈演出〉という。その意味で、問題となったシーンはまごう事なき「やらせ」である。ところが、BPOの放送倫理検証委員会は11日、「ビデオを見ると、バラエティー番組そのもの。ほかの部分も含め通して見れば、よけいそういう感想になる」(川端和治委員長)として「問題はない」とした。だが筆者は、この判断を現在の放送界には自律と自浄能力がないことを示すものだと思う。ここには現在の日本のテレビが抱えている深刻な構造的問題と、BPO委員がメディア学に疎いのではないかと心配になってくる。その検証と再考なくしてテレビの信頼度はこの先、落ちるばかりだからだ。

 番組内では局が用意した高齢タレントが水戸駅構内で、歩きスマホや禁煙スペースでタバコを吸う若者に注意し、従わない人に「黄門印籠を見せ、その効果を検証する」。だが、若者の多くは黄門さんそのものを知らない。そうしたシーンがいくつか流れた後(ここまでは実際の現場で起きたことだから問題はない)、喫煙するエキストラの若者たち(これは局側が言い含めて用意したエキストラ)に注意すると彼らが興奮、反抗し、罵声を浴びせ続け、ついに「助さん格さん」役の2人が登場、印籠を出しても収まらず、混乱したままで終了。

 実際のテレビ映像では「検証スタート」の画面から、「歩きスマホねらい」と字幕が出て、「歩きながらのスマホはあぶないですから」(黄門)と声がけするが最初の何人かには「立ち止まってさえもらえず」「印籠チャンスがない」(字幕から)。やっと高校生風男性が止まるが印籠を見せてもその意味がわからず、キョトン。

 最後が問題の4人で、「大変年寄りが余計なことをいって・・・」と黄門役が「遠慮気味」に注意すると、「邪魔だから どっか行けよ早く コノヤロー」)「あぁじじい やんのか コノヤロー」「警察でも何でも呼ばれコノヤロー」(いずれも若者たち)。そして「じじいのピンチ=印籠のチャンス」と字幕が出て、印籠をかざした助さん格さんが登場すると「バカじゃねぇの コノヤロー」(若者、字幕)の発言で終了となる。

 現在の民放バラエティ番組のスタッフの過半数がいわゆる下請け会社員で、30代でも年収が300万円以下は珍しくない。視聴率が取れなければ、次の仕事が来ないから、本社員といっしょになってこうした「やらせ」まがいが横行するブラック職場になっている。にもかかわらず、BPOが「バラエティだから」「虚偽=事実でないこと」で「他者を傷つけること」をOKだという。それならば、今月末にキャスター交代となるNHK『クローズアップ現代』の「追跡“出家詐欺”」編」(2915年5月放送)と同じやり方だし、内容的真偽という点では「水曜」のほうが罪深い。なぜなら、「クローズアップ現代」の厚かった出家詐欺そのものは実際に起きたことだからだ。

 放送倫理基本綱領には「放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない」とある。少なくともBPO関係者の今度の対応は「放送法マインド」の軽視で、他の良質番組をも貶め、総務省からの批判があればすぐ崩れるものだと心配になる。

 後記:私、渡辺武達のこの原稿が掲載されてから、TBSは水戸市に謝罪し、番組ホームページでもそのことを記した。水戸市長高橋靖氏からも筆者あてに礼状が届いた。しかし新聞原稿を送り注意喚起を促したBPOからはなしのつぶてである。やはり、倫理をあつかうBPO委員は「面白く感じる人がおればメディア企業は儲かる」という論理で動いている「経営主導主義」の迎合すべきではなかろう。

「メディアと社会」連載第216回 
(産経エクスプレス EX、2016年3月16日掲載)

 掲載時の表題:バラエティや「やらせ」OK・・・BPO判断に疑問

(同志社大学名誉教授/メディア・情報学者)

タレントの「恋愛」報道とメディアの常識


13日(2016年1月)からイタリアに来ているが、ネットで見ると、日本メディアの世俗的話題はタレントのベッキーさんと紅白出場歌手の「不倫」と謝罪会見、スマップの解散独立問題らしい。「そんな話題」は一年たたずして忘れられるし、社会的影響としての新奇性もない。しかし「そんなこと」がテレビを中心に「国民的話題」となり、石破茂地方創生担当大臣(元自民党幹事長)までがスマップの存続を希望する。しかもそれが通信社の共同=ロイター電として外国まで流される。となると、この社会情報現象はタレントの人権とプライバシー問題だけではなく、日本社会のメディア規範(道徳)とその仕組みについて考える格好の素材となる。

今回のベッキー問題は正月明け4日発売の週刊誌が当事者たちの行動を密会写真とともにSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)交信記録まで入手して報道した。それをテレビとネットが中心となり大騒ぎとなり、もはや事実の否定はできない・・・という事態となった。ベッキー所属事務所は文春報道二日後の6日、記者からの質問なしとの条件での会見を設定、「ファン、関係者の皆様にご迷惑をおかけしたことを謝罪します」などと本人にしゃべらせることになった。

芸能人やセレブ(著名人)につきまとい、私生活写真を撮影したりする人を「パパラッチ」(イタリア語で「うるさいハエ」)というが、ここイタリアだけではなく、欧米全体にもそうした取材法で成立しているメディアは少なくない。また、そうして稼いだ金で、危険な戦争や難民問題の現地取材費を継続しているフリーの記者たちも少なからずいることも事実だ。
だが、欧米では「不倫」問題などが主流メディアで取り上げられ、報道された側がすぐ謝罪ということなどほとんどない。ましてやスマップ関連のように、現役大臣が「キャンディーズも好きだった・・・スマップにも解散してほしくない・・・」なんていうことなど考えられない。

北欧を筆頭に、欧米ではスキャンダルやセックスを中心素材としているのはそれ用の新聞や雑誌だけで、販売法にも配慮があり、パパラッチの本場イタリアでも例外ではない。反対に同種のスキャンダルでも欧米では政治や経済がからんでくれば、フリーのジャーナリストたちから政界のトップへの激しい告発が始まる。

たとえば、クリントン元米国大統領は女性秘書との不倫問題で騒がれ、議会の特別検証委まで作られた正式な検証報告書まで作られた。しかし問題の本質は執務室で「個人的行為」をしたことにあった。当地イタリアでも新聞/放送業界のドンで、首相を3期にわたって務めたベルルスコーニ氏(1936年~)への政治家不向き批判は独立記者たちの努力によって始まり退陣のきっかけになった。このベ氏の性的スキャンダルはド派手で、法的に起訴されただけでも、権力濫用から未成年者買春、婦女暴行まであったから、「愛に生きるイタリア人」としてすますことができなかったわけだ。

日本の大手メディアでは40~50代が現場を統括し、視聴者・読者の20~30代の若い層とくに女性たちの感覚とは離れてしまっている。彼女たちの多くは冷静で、①結婚制度を壊すのはよくないが個人の恋愛は尊重されるべきだ②ベッキー「事件」は個人レベルのことだから報道すべきではなく、本人たちの意思と自然に委せるべきだという意見が多い。

またタレントに人権はあるか?と問いへの答えは道徳的にも法律的にもイエスである。だが今回の場合、騒がれた理由が清純派イメージを評価した広告主たちの怒りよるものが主で、ベッキーとそのイメージに恋したファンには一時的なショックかもしれないが、福山ロス(「最後の大物独身」といわれた福山雅治の結婚ショック)の小型版だがメディア現象としての構造は類似している。ベッキーが自らの商品価値を個人的愛のために見失っただけの話で、福山の場合もそれはじわりじわりとテレビ視聴率に効いてくるであろう。

名誉毀損は事実であっても当事者が知って欲しくないことだと思えば法的には成立し得る。メディア報道の場合はそれが取材段階で真実であると信じられ、その内容に社会的公開の意義つまり公益性があれば免罪される。その意味ではベッキーやスマップ報道は大方の日本人の俗的関心を高めただけで、本来私たちが有益な情報として心に刻む作業に使うべき時間がどうでもよいことに使わせられてしまっていることにこそ問題がある。

(同志社大学名誉教授/メディア・情報学者)

「メディアと社会」連載第212回
 (産経エクスプレス EX、2016年1月20日掲載)

 掲載時の表題:「ベッキー」「SMAP」報道の無駄

「メディアと社会」EX(産経エクスプレス)連載原稿

皆様へ

EX(SANKEI EXPRESS産経エクスプレス)は2006年11月に創刊され、私、渡辺武達は2007年9月4日から「メディアと社会」欄(1回約1600字)への連載を依頼され(第1回は「Web2.0はグローバルか」、最終回2016年3月30日「現代社会とメディアの課題」を同紙の休刊まで、隔週で、全217回連載させていただきました。

そのうち2013年度までの主なものは以下の2冊の著書に収録しており、本欄ではそれ以後のものを順次掲載します。

渡辺武達(2012)『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』論創社

渡辺武達(2014)『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』論創社

なおここに掲載する文章は新聞本体に掲載したものに若干の補正をしています。また表題についても変更しており、実際の表題は冒頭カッコ内に記している。

「メディアと社会」連載第217回 (産経エクスプレス EX、2016年3月30日掲載)

 掲載時の表題:「世の中を〈進化〉〈深化〉させる報道を」

現代社会とメディアの課題

                   渡辺武達(わたなべ たけさと)

 3月26日(2016年)、著名な英国の新聞「インデペンデント」が紙新聞購読者の激減で経営が困難になり電子版に全面移行した。本紙(産経エクスプレス EX)も諸般の事情で明日31日(2016年3月)でいったん休刊となり、拙稿も今回が最後となる。今回は読者の皆さんへの感謝を込めて、本欄の努力目標でもあったメディアと市民の社会改革コラボについて、情報化社会の「シンカ」(進化と深化)の角度からまとめておきたい。

ネットを中心としたIT(情報技術)関連用語には米国での造語が多いが、現代を「情報化社会」(Information Society)と名づけたのは日本の生態学者、故・梅棹忠夫氏(1920~2010)で、今から50年前のことである。氏は朝日放送(大阪のラジオ・テレビ兼営局)のPR誌『放送朝日』1963年1月号に、「情報産業論~きたるべき外胚葉産業時代の夜明け」と題した文章を寄せ、「情報そのものがモノよりも大きな価値をもつ社会が到来しつつあること」を人間の脳の動きにたとえて説明した。

カール・マルクスはその100年前、モノには①使用価値と②交換価値があり、資本家が労働者を使ってそれを生産し、資本が蓄積されると指摘した。梅棹氏はマルクス主義をある種の宗教だと揶揄したが、その当否は別にして、氏の情報産業論は資本論に匹敵するほどの社会論であった。

梅棹論文の登場時、時代はラジオからテレビへ移りつつあったが、まだモノクロが主流で、新聞や映画の関係者はテレビを「電気紙芝居」と呼んでせせら笑っていた。その頃、世論のリーダーと自負していた新聞記者たちは国会周辺でも飲み屋街でも肩で風を切って歩いていた。70年代に入ると、政治家たちも新聞よりテレビを重要視するようになった。だが今、若者層を先頭にそのテレビへの見限りが始まっている。

インターネットの一般化とスマホに代表される簡便な情報器機の普及によるものだが、ネット創案者の一人、ティム・バーナーズ=リー(マサチューセッツ工科大学教授)はかつて私に、ゲームやポルノへの関心がその後押しをするとは思わなかったといった。ネットは拠点の複数化で情報の一元管理を防ぐことができる。その利点が旧ソ連(現ロシア)からの核攻撃被害の軽減化をはかりたい米軍の目に留まり、実用化が促進された。半面、誰もが送受信者になれるという点が、①紙媒体を読まず②直感的発信で真偽が問題とされず③話題の主流が現在で歴史が継承されにくい・・・という特徴をもった社会層を生みだしている。

とはいえ、人間コミュニケーションの原初形態は口頭会話にあり、他のあらゆるメディアはその補完物にすぎない。つまり今日のメディアと社会の議論でもっとも大切な課題はそのことを忘れず、実態としてのグローバル化社会を見通し、個々人が安心かつ幸せに暮らせる社会の建設に資する情報を提供することによっていかに市民の対話を活発化させるかということになる。

国家成立の根本規範である憲法に表現の自由規定があり、それに基づいた放送法や電波法、さらにはメディア業界の自律規範としての各種倫理綱領があったとしても、それらを運用する者がその根本の哲学や価値観に無自覚であれば、それらの正しい運用など不可能だ。その典型が放送倫理・番組向上機構(BPO)で、水戸市民への名誉毀損的言動をエキストラに「やらせ」てそれを「ドキュメント」と称して放映したのに、水戸市役所から抗議されると「バラエティ番組だから・・・」と無視するといったことが起きる(16日付本欄参照)。

世界のメディア倫理論ではかならず引用され、「情報の自由論」の基本になっている米国のハッチンス委員会報告書『自由で責任あるメディア』(和訳は拙訳で、論創社刊)はメディアの責務を「他国家、他民族との融和の精神を忘れず」「日々の出来ごとの意味について、他の事象との関連のなかで理解できるように,事実に忠実で,総合的かつ理知的に説明すること」という。

メディア活動の従事者と経営者、そして研究者がそれを基本に活動すれば、市民のメディアへの信頼度と情報判断能力(情報リテラシー)は格段に向上し、社会も確実に「シンカ」するであろう。

               (同志社大学名誉教授/メディア・情報学者)



プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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