FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

IAMCR(国際メディアコミュニケーション学会、International Association for Media and Communication Research)の声明の続き

皆さまへ

 トルコにおける言論・表現の自由の弾圧問題には見過ごせぬものがあり、IAMCR(国際メディアコミュニケーション学会、International Association for Media and Communication Research)では2016年7月に続き、このほど(2017年2月18日付)、再度の声明を出しました。その状況は4月16日の憲法改正の国民投票以後も続いており、ここにその声明の英語原文と日本語訳を掲出いたします。

IAMCR(国際メディアコミュニケーション学会国際理事 渡辺武達(日本でも憲法論議が高まっている2017年5月3日)

Freedom under attack in Turkey(February 28, 2017)

International Association for Media and Communication Research(IAMCR)

スクリーンショット png

Photo (cc) flickr user https://www.flickr.com/photos/jonycunha/

28/02/2017 - The International Association for Media and Communication Research (IAMCR)today published a statement condemning the continuing attacks on academic, journalistic andartistic freedoms in Turkey. The statement follows the firing of 330 academics in February 2017,bringing the total number of academics fired over the past 8 months to 7,316. The complete textof the statement follows.

Academic, journalistic and artistic freedom are under attack in Turkey. Purges over the pasteight months have seen a staggering 7,316 academics lose their jobs. This is sixty times greaterthan the number of academics dismissed in the aftermath of the military coup in 1980.  IAMCR -International Association for Media and Communication Research - stands in solidarity withTurkish colleagues.

IAMCR urges the authorities in Turkey to stop intimidating, persecuting and sacking academicsimmediately. The labelling and criminalizing of academics as threats to national security muststop. The climate of anti-intellectualism and fear under the State of Emergency and State ofException conditions must end. IAMCR calls for the reinstatement of sacked academics tosafeguard freedom of speech and

In the latest round of purges following a new government decree, 330 academics were sackedfrom 23 universities in early February 2017. More than half (184) had signed the ‘We shall not bea party of a crime’ petition. The Journalism and Theatre departments at Ankara University andthe Journalism Department at the University of Marmara, Istanbul are effectively shut down.

Police attacks in February on protesters outside Ankara University demonstrated thegovernment’s contempt for academic freedom.Since the failed coup attempt in July 2016, more than 128,000 public servants have been sacked,more than 90,000 have been detained, and over 45,000 have been arrested; over this period,more than 2,000 schools, dormitories and universities, as well as 149 media outlets, have beenshut. It is feared that crackdowns on academic, journalistic and artistic freedom will continue inthe run up to the constitutional referendum on 16 April 2017.

This statement was drafted by IAMCR&`s Clearinghouse on Public Statements.


Freedom under attack in Turkey(February 28, 2017)

International Association for Media and Communication Research(IAMCR)

声明:弾圧されるトルコにおける自由

2017年2月28日 IAMCR(国際メディアコミュニケーション学会

スクリーンショット png

Photo (cc) flickr user https://www.flickr.com/photos/jonycunha/

 国際メディアコミュニケーション学会(略称:IAMCR)は本日2017年2月28日、トルコにおける学問、ジャーナリズム、芸術活動の自由に対する攻撃が継続されていることへの抗議の声明を公表した。トルコではこの2月さらに330名の学者が解雇され、過去8か月間にトータル7,316人に達している。声明全文は以下のとおりである。

トルコにおける学問、ジャーナリズム、芸術活動の自由への攻撃について

  過去8ヶ月間超にわたる粛清によって7,316名もの学者がその職を追われた。この数は1980年の軍事クーデター時のそれの60倍にものぼる。IAMCRはトルコの仲間の皆さんと連帯することをここに表明する。

  IAMCRはトルコの関係当局が即座に学者に対する脅迫、迫害、身分剥奪行為を止めるよう強く要請する。学者たちが国家の安全を脅かすとのレッテルを貼り、犯罪者扱いすることを止めよ!反知性主義と国家緊急事態・除去法による恐怖を終わらせねばならない。IAMCRは言論の自由と学問の自由を守るために蹂躙されている学者たちの原状回復を要求する!

トルコ政府による新規の布告に伴って起きた最近の職場追放は2017年2月初旬、23大学の学者330人の解雇となって実行された。そのうちの半数以上の184名は「私たちは犯罪集団ではない」と題した請願書に署名していた。アンカラ大学のジャーナリズムと演劇両学部、イスタンブールのマルマラ大学ジャーナリズム学部はその結果、開講が不可能となった。アンカラ大学を取り巻いた抗議のデモ隊への警察官による攻撃は政府による学問の自由への侮蔑そのものである。

2016年7月のクーデター失敗以後、128,000人以上の公務員が解雇、90,000人以上が拘留、45,000人以上が逮捕され、この期間に2,000以上の学校、寄宿舎、大学、それに149のメディア機関が閉鎖に追い込まれた。こうした学問・ジャーナリズム・芸術表現の自由への弾圧はこれからも継続されると危惧される。

この声明の起草者はIAMCR(国際メディアコミュニケーション学会)対外広報委員会(Clearinghouse on Public Statements)によって起草されたものである。
スポンサーサイト

中途半端なメディア報道~米国大統領選挙分析について

 メディアにはマスコミだけではなく、①口頭コミュニケーション主体の家族や友人との日常的なもの、②各種学校で習う制度的な学習形態、③新聞/放送などのマスコミ(マスメディア)、④その他としてパソコン/スマホなどを使ったSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などがあり、現代社会のメディア/情報環境は複雑に絡みあい、社会観(倫理観・歴史観・世界観)が作られている。しかし米国大統領選挙などの外国での出来ごとについては家族間の会話から学習することはあまりないから、マスコミ提供情報やSNSを中心対象とした論評も有効だろう。

 私、渡辺武達は今度の米国大統領選挙とその結果についての日本における報道について以下のような感想を持った。

 この項執筆現在(2016/12/07)、大統領選挙は選挙人が決まっただけで、正式な大統領は選挙人の投票箱が開かれる来年(2017年)の大統領就任式(憲法で一般選挙の翌年1月20日に決まっている)の1週間前に決まる。しかし、先の一般選挙での選挙人数で有意の開きがあり、よほどのことがないかぎり、トランプの当選は確実だからそれを前提に書く事にする。

 第1は、日米ともに多くのメディア関係者は「両者接戦だろうがクリントンがトランプに勝つだろう」と予測していた。しかし、結果は逆。日本のメディア関係者でそれを予測していたのは木村太郎ぐらいだ…と木村を持ち上げる議論がしばらく続いた。どうしてそ
うなったのか。私自身の意見はこうだった・・・アメリカ人の教養程度が高く、当面の生活の苦しさの背景構造を捉えることが出来ておれば、よもやトランプが選ばれることはないだろうし、クリントンも経済的支配層にいいなりだが日本にとってだけではなく、世界にとってもトランプよりはましだ・・・というもので、友人たちにもそう話してきた。

 第2は、ところが日米ともにその報道は2大候補であるクリントンとトランプ陣営の動きをおもしろおかしく仕立て上げて、まるで競馬の勝ち馬予想と大差のないものになってしまっていた。そのことは米国内でも同じで、両者の論戦とその背景をまるで「プロレス」観戦のように報じていた。そうなれば、元プロレス団体経営者であるトランプのほうが優勢になる。だが、そのやり方を許せば、多くの人に政治をせせら笑いの対象にしてしまう(参照:J.N.カペラ/K.H.ジェイミソン著、平林紀子/山田一成監訳『政治報道とシニシズム』戦略型フレーミングの影響過程』ミネルヴァ書房、2005)。それこそメディアのジャーナリズム性の敗北だ。

 第3は、日本でも問題になっているが選挙では一票の格差問題が米国でもあるということ。11月8日の一般投票の総数ではヒラリーのほうが多かった。だが、州ごとで総取りされる選挙人数ではトランプが過半数を占めた。「アメリカを再び偉大な国に!」(MakeAmerica Great Again)キャンペーンが、中間層の減少が貧困層の増大となり、多くの貧困化した有権者がトランプマジックにかかったのであった。だが同時に、原因が大統領選挙の仕組みが実際の投票人数を反映しないものであり、その制度成立がアメリカ人の多くが「字が読めない」過去の遺産であったことも皮肉であった、字が読めてもその意味が読み取れない多くの人びとを作り出したマスメディアの敗北として。

 第4は、米国の社会実態と人びとのリテラシー(情報利用能力)の低さ、つまり着実に将来を見通した合理性よりも当座の生活実態に米国人の多くが左右され、近視眼的になっていることにあらためて驚かされた。

キャプチャ

 上はNHK番組「時論公論」が分かりやすく図示した年齢別の米国大統領選挙と英国におけるEU離脱国民投票の結果である。それを見ればわかるが、両国とも困窮した中高年層が「内向き」思考で「現状からの経済的離脱」とトランプ支持とEU離脱を望んだということである。
 
 だが、理論的にはトランプの選挙公約も英国のEU離脱も両国の社会/経済状態をよくしない。今や経済はグローバル化しているし、英米ともに移民による労働力なしに経済を支えられず、製造コストを抑えるために単純労働製品(衣料品や靴だけではなく、スマホ部品などもそうだ)は労賃の安い途上国に発注生産されている。つまり、米国人も英国人もその多くが社会改革の遅れの矛先の向け先を間違えている。

 第5は、米国人の多くが「歴史的事実を認識できず」、恥ずかしくも「非合理的なトランプ政策に共鳴していること」にも驚いた。彼は、メキシコとの国境に違法入国者を防止するカベを作るとキャンペーンしたが米国の白人たちそのものがアメリカの現地住民(先住民)の土地を取り上げながら「反倫理的」に今の社会を作り上げた、つまり米国そのものが移民の国だということをすっかり忘れて(もしくは忘れたふりをして)選挙に対処しているということだ。この矛盾を矛盾と思わない米国人の「傲慢さ」、もしくは「欺されやすさ」。米国白人層そのものが主としてヨーロッパからの移民だし、その白人移民層が労働力として連れてきて利用したのがアフリカ系元奴隷たちなのに(ただし英国人「奴隷販売)業者も多く居た)…。

 第6は、米国の人種差別の強さと女性蔑視/セクハラ・パワハラ軽視には驚くべきものがある。トランプ氏の票は彼が経済状態をよくすると誤解した有権者が多くいたということだが、その錯覚が、それらの白人層が「貧富の格差拡大のほんとうの原因」や「トランプのセクハラ行為」などの軽視に追いやった原因なのに、である。

 第7は、現代社会におけるSNSの功罪である。米国は日本に比較して地理的に10倍以上大きく、時差も大陸の東西で4時間もある。だから、人口密度も低く、生活時間帯も違う。つまり基本的に新聞の全国一律的な宅配制度が成立しにくく、大部分が読者が街中で買うというのが普通である。つまり、紙媒体は経済的効率性に劣るため、日本のような巨大発行部数の新聞が経営的にも成立しにくい。そのためもあり、日本以上にネットを利用したFacebook などによってニュースに接する人口比率が高い(最近のデータでは国民の半数ほど)。 
こうした情報環境に合わせて各陣営がキャンペーンするのは当然だが、一般市民がデマ情報かどうかを判断しながら受け取れるか、しかもそれが意図的になされることに抵抗することには無理がある。たとえば、結果としてクリントン陣営にとって深刻な打撃となったのは「①ローマ法王がトランプを支持している、②クリントンがIS(イスラム国)との武器ビジネスで儲けている」といった「ニセ情報」。それらは根拠のないものだが、SNSで興味本位に拡散され、トランプ有利を導いたといわれる。確認の取りようがなく、発信者が特定できない無責任情報の横行するネット依存通信の弊害である。

  第8は、米国の富裕層はいわゆる「強欲金融資本主義」で儲けているが、そのことを指摘する経済学者(ロバート・ライシュなど)や政治家(他の大統領候補者のサンダースなど)がいないわけではないが、米国の腐敗で誰にもふれることがタブーになっていることがもう一つある。軍幹部たちの収賄と各種不当利益享受の横行である。その軍産複合体構造の暗部が米国人を結果として暗愚に導いている。そうした構造に立ち向かったジャーナリストはデイビッド・ハルバースタムなど数少ない。今私たちが簡単に読める現代世界の解説書は彼の書いたNext Century(1991年、和訳版『ネクスト・センチュリー』(TBSブリタニカ)や『ベスト&ブライテスト』(朝日文庫版)である。(以下は1991年11月の面会時にハルバースタムが私にくれた本とその署名である。

キャプチャ2


 今度の米国大統領選挙については記しておかねばならないことが多いが、日米ともにそれらをきちんと論評しない日米メディアは今後もこうした報道を繰り返し、自らの信頼を市民からの信頼を失っていくであろう。他にもNHKスペシャルが直接に取材し放映したパナマ文書関連番組「追跡 パナマ文書 衝撃の“日本人700人”」(16.11.27、21:00~21:50、再放送16.11.29、深夜0:10~1:00))についても書いておきたいが次回にする。(2016年12月7日記) 

「全聾作曲家」佐村河内氏事件とドキュメンタリー『FAKE』

森田達也 FAKE 
 
7月4日、森達也監督の新作ドキュメンタリー『FAKE』(109分)を京都シネマで見た。2年前の2014年、「週刊文春」記事(2月13日、神山典士・『週刊文春』取材班「NHKスペシャルが大絶賛「現代のベートーベン」 全聾の作曲家佐村河内守はペテン師だった!」)によって始まった「ニセ」作曲家(とされた)佐村河内守(さむらごうちまもる)氏とその妻の日常に一年数か月にわたり密着、ほとんど自宅マンション室内での言動だけを記録、制作した「記録映画」(といっても「事実の記録」とは限らない・・・)である。

筆者はこれまで、森の映画はオウム真理教信者に密着した『A』(1998年)、『A2』(2001年 )テレビ番組では、『ミゼットプロレス伝説』(1992年)や『放送禁止歌』(1999年)などを見てきたが、今作はメディア享受者である大衆を告発した『放送禁止歌』とは違う意味で、傑作であると思う。少なくても人びとに自分たちがメディアに喰い物にされているのではないかと考えることを強いているからだ。

メディア界にはスポーツから音楽、ドキュメンタリー(と称するもの)まで、その実相が一般社会の常識とは違うものが極端な「演出」によって、その「実相」とは違う形で外へ発信されているという現実がある。今度の「全聾作曲家」の件でもことさらに問題が大きくなってしまったのはNHKスペシャル「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日放映)を代表とする18年にもわたる高い評価、絶賛があったからである。

「皆様の公共放送NHK」の場合、その「スペシャル」放送が結果として「やらせ」番組となり、内容が全面的に間違いであったとして「制作担当者」に謝罪させたのもこれが初めてではない。たとえば同じNHKスペシャル「奇跡の詩人」(2002年4月28日放映、文字盤を指すことによる(実際には母親が少年の手を動かしていた)執筆活動で、人々を驚嘆させていた当時11歳の脳性麻痺少年を絶賛した作品)がそうであった。今回も制作関係者は全員、「佐村河内氏が全聾」であったと信じていたとし、前作「奇跡の詩人」のときもそう言ってNHKは逃げた。そして両者とも結果としてメディアへの信頼を失わせた。

さて、「現代のベートーベン」ともてはやされた佐村河内氏がじつは音楽のコンセプトをメモ書きしただけで、実際に演奏するための楽曲・楽譜にしたのは別人(売れない音楽家の新垣隆氏)であり、その「作曲」過程の実相を佐村河内氏から金銭的見返りを受けて担当してきたその「別人」が今度は「正義の味方」として告発し・・・他メディアが「オモシロオカシク」取り上げた…しかしほとんどのタレント本(芸能人やスポーツ選手たちの自伝など)がそうした手法で作られているし、類似の仕組みはメディアや芸術を含め、社会のどの分野でも大なり小なり「ビジネスモデル化」している現実がある。ただ「佐村河内事件」は素材の性質から異常な規模で「メディア化」された、最近でいえば、前東京都知事の「せこすぎる政治活動費」問題報道と糾弾、そしてその陰で巨悪がほくそ笑んでいるという社会構造の中で「作られた」という意味でも両者は酷似し、「大衆娯楽的側面」を担った事件である。

どうしてそれほどまでに問題が大きくなってしまったかについてもう少し踏み込んでいえば、佐村河内氏が「天才作曲家」としてもてはやされ、次は「実際に作曲していた(楽譜にしていた)のは別人であった」、しかもそれを18年間も続けてきたというカラクリの面白さ。「開けてびっくり」の世界を暴露することで、メディアには2度美味しく、エンタメを求める聴衆にはしあし酔える素材となる・・・賞味期限が来るまで利用できるビジネスモデルとして、視聴者とメディアが「共同利用」したということである。

だが、今回の映画でも、「アイディアを伝授され、その伝授者と相談しながら楽譜にした」新垣氏の作業が「作曲」者の作業となるのか?」といった肝心の検討がない。森作品の「FAKE」にも佐村河内氏による「メモ」(妻の母親によると「妻の字」だという)なるものがはたして「最初」から存在していたかについての検証もない。

しかし、「〈やらせ〉を生む構造」に着目して『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)を書いた私、渡辺武達としてはこの問題を森達也のように情緒的に終わらせず、きちんと決着をつけておかねばならない。

肝心の「演出」と「やらせ」の違いだが、ひとことで言えば、

・「やらせ」=メッセージが真実ではなく、相手を欺すためになされる情報送出
・演出=あるメッセージを相手に効果的に伝えるために成される工夫のこと。

とすれば、佐村河内氏と告発者(新垣氏)の関係はどこにでもある「暗黙のセット」である。また全体とすれば、楽曲が生産され、その演奏に多くの人が感動してそれを聴くために喜んで金を出した。その過程で、少なくともその鑑賞者には「傷ついた人はいない」という事実。しかも題材が音楽という「音の芸術」であり、その表に出た本人が「全聾」を売りにしてきた、それを「売れない」が音符で表現することに長けた「音の技術者」である新垣氏が生活のために「音符」にした。そのことを新垣氏が「自分が作曲した」と主張して表に出てきた、そして世間はそれに興味を「持たされた」というだけ。だがそれこそが、多くの人びとが興奮し、メディアに応援されて持ち上げ、今度は叩くメディアを応援して溜飲を下げる…それが、現代メディア人気の製造過程なのだから、この一連の動きには「現代メディア社会の虚構の構造」がすべて詰まっているすぐれた研究素材であるといえる。

筆者は音楽をわざわざ関心をもってコンサートなどに行くほどの趣味はない。だから、「全聾の作曲家」がホンモノであるかどうかにはそれほどの興味はこれまでなかった。しかし今度の森達也作品をみて、なるほどこうした切り口があったのか…という点では森氏の「ドキュメンタリー」の作り方と時機(2年前ならごたごたに埋まり、数年後ならば事件そのものが完全に忘れられ、作品が無視される)を読む感覚には感心した。ENDIT

2016年7月6日 渡辺武達

「渡辺武達のメディア寸評」その3 「英国EU離脱」報道に代表される意図的誤導

  この木曜日6月23日(2016年)に行われたEU(欧州連合)離脱の是非を問う国民投票で、英国民は数パーセントの僅差で「離脱」を選んだ。以来本日まで、日本の、というより資本主義主要国のメディアはテレビも新聞もこの件に関する報道であふれ、英語圏では「Brexit」(ブレグジット、BritainとExitの短縮語)という用語まで出来ている。しかし筆者の見聞きする限り、それらの報道からはより多くの人たちが能力を開花させ平和な社会を選択、構築できるために必要な情報を提供するというメディアの「報道責任」というものへの自覚がみられない。

 つまり、人間社会の公正な運営をするために必要な基礎情報が提供されていないということだが、これは、民放でも主要新聞でも同じだし、困ったことに「公共放送NHK」でも類似だということである。

 NHKではわざわざ、ニュースで「在日英国大使」にインタビューして、離脱の理由を聞いたが「これで日英関係がわるくなるわけではない…」などという「何の根拠も意味もない」ことをしゃべらせた(27日)。離脱決定翌日(24日、金曜)のテレビ朝日「朝ナマ」に登場した金融/財政問題専門家は「英国民投票の結果は自分だけではなく専門家のほとんどが予測できなかった…影響はどうなるのか…」などと述べ、進行役の田原総一朗氏をふくめ、番組全体が「不透明」という流行(はやり)ことばを軸に進行した。これは過去一週間のマスメディアに共通した議論・報道の姿勢だが、問題なのはグローバル化という国境のカベの低下という流れへの逆行が起きた、それはどうして起きたかという観点からの自己確認がまずなされなければならない。

IMG_3021.jpg

IMG_3024.jpg


 この英国のEU離脱は大げさな言い方になるが、1937年、日本が国際連盟から脱退し、それをたとえば当時の朝日新聞「『連盟よさらば!連盟、報告書を採択し我が代表堂々退場す』と見出しに掲げ、政府とその決定への賛意を煽った世論操作を思い起こさせる。今から思えば、まさに「不正確」きわまり、国民を誤導したという点では大同小異だといってよいからだ。

 今回の場合、時代状況がそれほどの時代錯誤とごまかしを許さなくなっているだけのことで、英国を含めた欧米列強による長年の植民地収奪構造、軍産複合体が定期的に起こす戦争の犠牲となって難民が生まれ、その結果として彼らが国外に脱出せざるを得なくなった、その人たちの一部が英国に流入し、自分たちの職が奪われ、生活が苦しくなっているのだと信じこまされ、さらにはその原因がEU諸国間の「移動の自由」にあると思い込まされ、今回の離脱「賛成」となって現象したということだ。

 筆者の同志社大学大学院新聞学専攻時代の恩師の一人、和田洋一先生(1903年 - 1993年)は後に治安維持法違反の容疑で未決囚として3年7か月拘束されるが、治安維持法が国会で成立した日は天気がよく、社会も新聞もみな穏やかで、学校では運動会などが開かれていたと回想している。メディアがしっかりと歴史と社会とそれを支える国民・市民に社会の実相とその政経権力(政治と経済が合同した権力)と軍事産業がどのような互恵関係にあり社会を動かしているかを「勇気=ジャーナリスト魂」を持って伝えないと、米国大統領候補のトランプ氏のような躍進が出てくる。いずれもドイツ国民が1930年代から第二次大戦に突き進んだヒトラーによるドイツ支配の世論誘導がメディアの協調によって可能になった構図と酷似している。民衆だけがいかにも短絡的で、一見分かりやすい論理=短期的な損得論理でごまかされ、結局は自分たちがより大きな犠牲になることになってしまうことになる。

 つまりこういうことだ。必要な情報を与えられない人たちが多くなれば、その社会の安定と幸せ追求の社会的制度は選挙によってかならずしも実現されない、実現できない。現在の日米欧や日本のような諸国が採用している憲法や社会制度では、主権を有する国民の意思が絶対的に優先されるのが原則である。それこそが、投票結果が尊重される「選挙絶対民主制度」(Election-based Democracy)であり、だれもそれに異議を挟めない。それがメディアに誤導され、大半が「異見」を持った人たちを「革新的すぎる」として忌避することになる。

 つまり、北朝鮮のような「明白な暴力国家」ではないとしても、現在の私たちが是認している社会の仕組みには「一見民主制」という大きなカラクリがあるということだ。

 より具体的にいえば、その第1は、単純な多数決が絶対的になり、先述の構造のなかで生み出される移民、難民を、じつは自分たちもいつ何時そうなるかもしれないのに、「単純敵視」していることだ。カネやモノ、文化や思想・宗教、人が「境界」(文化的・経済的境)を越える「グローバル化」は国境がなかった時代から人間は経験してきたことで、国家の時代なんてものはローマ帝国や現在の中国の基になっている始皇帝時代の中国など、そして大航海時代のイギリスやスペインなどが「権力集中主義」「弱者支配主義」によって作り出したものに過ぎない。それはキリスト教、イスラム教などの世界の大宗教においてもおなじである。

 第2は、欧州連合といってもこれまでにも、たとえばノルウェーとスイスは欧州にありながらEU非加盟を決め込み、自国の農業や工業製品の保護や輸出促進にプラスになるときだけ、EUとの個別取り決めで問題をしのいできている事実がある。EU結成の思想にはTPP問題にも通奏低音としてつながる問題が内包されている、つまりほとんどのこうした国際関係が世間のどこにもある「損得勘定」を背景に動いているということだ。

 こう考えてくると、今回の「Brexit」(ブレグジット)報道にはメディア関係者による自らの「報道責任」への自覚不能という、潜在的メディア危機があることになる。それこそまさに現代の自由市場主義を標榜した諸国の「選挙絶対視政治決定主義」とそれに準じたメディア報道には「民衆生活の幸せ追求目線」が欠落し、ジャーナリストたち、もしくはメディアワーカー(メディア産業の従事者)全体に、根本から問題を問い直すことがむずかしくなっている、つまり社会全体の情報構造が人びとの心の憶測に「ヘイトスピーチ」を植え付けているということである。それこそが今回のEU問題で、メディア提起の巷間の議論もまたそれを後押ししているといってよい。ENDIT

2016年6月29日 渡辺武達

「渡辺武達のメディア寸評」その2 テレビ朝日「アリ追悼、対猪木戦再放映」

前回は、たとえ内容が事実だとしても、NHKが北朝鮮の批判だけに異常なほど熱心であることについてふれた。もちろん、その答えは大枠としていえば、NHK幹部が政権政党の意向を慮ってのことだ。そうしたやり方には現場の制作陣が結果として、現在のNHKの経営幹部が安倍政権から間接的に送り込まれている籾井勝人会長の意向を先取りしたといえる。そのことは最近の籾井会長による人事異動にも顕著に表れている。

今回は昨晩(2016年6月12日(日)20:58~23:10)放映された、テレビ朝日「モハメッド・アリ追悼緊急特番!!蘇る伝説!!アントニオ猪木VSアリ世界37ヵ国14億人熱狂完全ノーカット放送」(朝日新聞ラテ欄から)について述べておく。

IMG_2772.jpg


これは1976年(昭和51年)6月26日に行われた、新日本プロレスの企画した「格闘技世界一決定戦」として行われた試合を素材にして制作されたものだが、私の感想:第1に、アリはローマ五輪(1960年)のボクシング、ジュニアヘビー級の金メダリストで、スポーツマンとして一流だし、ショービジネスマンとしても傑出していた。それ以上に一人の社会人として「人間ができていた」。猪木も前2項目では日本では抜きんでているとはいえ、社会人としてはその行状からもアリに何歩もゆずるといわねばならない。

NEW.jpg

アリが尊敬されるべき第2点は、アリの生きる(生きてきた)哲学である。番組中でも随所に彼のことばが紹介される。たとえば、「何の罪もないアジア人の上に爆弾や銃弾を降らせなければならないのかまったく理解できない、俺たちに何も悪いことをしていない、絶対に拒否する…」(字幕から)といって、ベトナム戦争のための徴兵拒否をした。そして「STOP WORLDWAR Ⅲ NOW」(ただちに止めよう、第3次世界大戦)などとのプラカードも示される。

IMG_2791.jpg

そのため、米国政府から告発され、チャンピオンベルトを剥奪されたが裁判でも「自分はアメリカのチャンピオンではなく人類/市民(people)のチャンピオンだから…」と言い続け、3年後に無罪となった。その後のアフリカでのヘビー級の試合で、「チョウのように舞い、ハチのように刺し」、「キンサシャ(開催地)の軌跡」といわれる試合でチャンピオンに返り咲く(32歳)。また生きる姿勢については、「人間が困難に立ち向かう時、恐怖を抱くのは信頼が欠如しているからだ、私は私を信じる」「Impossible is nothing 不可能なんてない」など、と。

筆者は1976年当時、アリVS猪木戦をテレビの実況で見たが多くのメディアがそれを酷評した。しかし筆者にはそれが真剣勝負と思われ、とても感動した記憶がある。それを昨晩の再放映で確認でき、自分の目に狂いはなかったと確認できとてもうれしかった。そしてその後のアリの生き方を思い出し、アリの偉大さをも再確認できた。

番組を今回放映したテレビ朝日はビジネス的にそれを構成したのだろうが、それはそれとして歴史的イベントであり、ドキュメンタリーともいえ、学ぶことがじつに多く、現在のテレビニュースで連日あふれている「舛添要一問題」に較べ、舛添のそれとは正反対の意味で、あるべき人間の生き方の本質を再確認できるすぐれたものであった。

最後に、番組中で、猪木が米国でのプロレス修行中、プロボクシング界から誘われそのデビュー戦に1000米ドルを提示された(画面表示)と出る。しかし、その画面のナレーションでは「当時の金額では300万円以上…」と発言がかぶせられたが、当時の円/ドルは固定制で1ドル360円だったから、30万円以上(正確には36万円)が正しい。

まあ、これぐらいの間違いは大筋に関係はないが、なんでも金で計りたがるテレビの浅はかさであるとはいえ、その視聴者には誤解を与える罪深いものだろう。(2016年6月13日記)
プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。