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トランプ「FAKE」(「やらせ」メディア)論、その3: ダマシ政策が馬脚を現し始め、トランプ政権は持続困難 に?

 3月21日(2017年)同志社大学社会学部の卒業式があり、夕方に開催されたメディア学科生主催による謝恩会に招かれた。その席での挨拶で筆者は米国トランプ政権の政策について以下のように述べた。

 「トランプ氏の主要政策はとりわけその経済政策は基本的に矛盾しており、非現実的だからあのやり方では遅かれ早かれ挫折する。一期4年の最後までもつかどうか?メディア学科卒業生の皆さんは私、渡辺がこういったことを後数年は憶えておいて欲しい」と。

 その理由として第1、トランプ氏(以下、ト氏)の言っていることは、メディアの狡猾な利用(彼の場合は主としてツィッターとFOXなどの迎合メディア)と応援がいくらあっても、理論的に破綻している。第2、すでに破綻している米国内の製造業(ラストベルト(Rust Belt)地帯=米国の中西部から大西洋岸中部地域の旧製造業地域で閉鎖された工場や機械のこと)を復活させようとしても、たとえば車の場合、高度な技術者と部品工場が必要であり、それらの新規復活は簡単ではない、つまりト氏が生活向上を約束した下層労働者が再雇用され新規工場で働き、賃金が向上することなどがこれからの4年間で実現していくことなど、経済論としても必要な人的資源論としても考えにくい。第3は、それを知っているト氏とその取り巻きは気分としてだけの「アメリカファースト」論で欺そうと、景気浮揚を国防費の1割増額論と、軍人恩給の増額を含めたサービス論を振りまきごまかしている。しかし現実にはそれを裏切ることばかりが起き始めている。

 「アメリカファースト」(米国第1)といわれると米国人の多くにとって心地よいであろう。日本でもしょうもない金銭問題で都知事の席を追われた猪瀬直樹氏と舛添要一氏の後を継いだ小池百合子氏が「都民ファースト」を売りにして当選したが、「〇〇ファースト」 といわれた〇〇は心地よかろうが、米国でも同じで、手許にある英語本では1992年に上院議員のアル・ゴアとを組んで大統領選挙に出馬したビル・クリントンが選挙スローガンが「ピープルファースト」であった(下の本の写真)。

トランプ4


 つまり、〇〇ファースト・・・といくら言われても、実質としての政策が検証されなければならないということだ。逆に言えば、当時のアメリカ政治、そして2016年の東京都政がよほど、国民と都民を軽視して、政経権力(政治と経済が合同した権力)がやりたい放題していたと有権者が受け取っていたと言うことだろう。    

 さて、ト氏政治崩壊現象の制度的な象徴の第1は、トランプ流「ディール」の不発としてこのほど世界的に大きく報道された「オバマケア見直しの頓挫」である。米国には生活苦で保険にも入れず「治療が受けられない弱者」が5千万人以上いたのをオバマは保険加入できるような制度改革(オバマケア)を促進し、1800万人以上を救済してきた。しかし、ト氏はそのやり方が国家財政を圧迫するとしてその撤廃を公約とし、その実施案を議会に提出しようとしてこのほど議会に拒否され提案できなくなった(3月24日)。

トランプ5


 日本の国民皆保険制度も弱者切り捨て政策の進行で危うくなっているが、日本社会が米国に較べて安全度が高いのは、その悪用をする不埒な輩が少なくないとはいえ、保険制度その他の社会保障制度が安定確保されているからである。ト氏のような考え方の背景には、「社会の上層部が豊かになれば、金は下へ流れる」というごまかし論にある。金は特権層をますます金持ちにしているのは世界の現実なのである。 トマ・ピケティが「21世紀の資本」で論証しているように、労働者の賃金上昇率より、不動産や株式の上昇率のほうが高く、労働者は相対的にますます貧乏になっているのだ。

トランプ6

フロリダのトランプ氏別荘で会食するト氏、安倍氏両夫妻
(2017.2.20、AFP:時事)


 さて、前回、トランプ大統領は自分の経済的利益にならない情報をすべて「FAKE」呼ばわりすると書いた。そしてFAKE(フェイク)とは一般的に「うそ」「でたらめ」という意味で報道されているので本欄でもそう書いているが、メディア論的には日本語の「やらせ」に近いことばだ。

 かつて、NHKスペシャルがネパールの一地域であるムスタンを取材したドキュメンタリー番組「奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン」 を放映して後に「やらせ」として批判され、全面的にそれを認め謝罪した(1992年)。筆者もそれに関連し、以下の本をかいた。

渡辺武達(1995)『テレビー「やらせ」と「情報操作」』三省堂 

 学問的レベルでは’FAKE)は「作為≒やらせ あることに見せかけようと,わざと人の手を加え手直しをすること。ことさらに手を加えること。つくりごと」で、大辞林には 「-の跡が残る」 「 -を施す」といった例文が掲載されている。筆者の本では、

・演出=あるメッセージを相手に効果的に伝えるために成される工夫のこと。・「やらせ」=メッセージが真実ではなく、相手を欺すためになされる情報送出

 現実的・狭義的定義 「演劇化=ステージングが発生し、それが<やらせ>として批判されるのは、視聴者(受け手)が映像を含めその部分を真実であるととらえているのに<じつはそうではなかった>という送り手と受け手のギャップが利用されている。

 ト氏のFAKE論はそれほど考えられたものではない。一般的辞書にある「馬脚を現わす betray oneself; give oneself away」「あんなことを言ったので馬脚が現われた.He gave himself away by blurting it out.」程度のことで、ト氏そのものの日頃の言動そのものがFAKEであり、そのト氏にFAKEと批判されるメディアこそいい迷惑だが、ト氏のFAKE論に同調する米国民を作ってきた米国メディアは真摯に反省しなければならないし、これほど森友学園が日本会議や安倍政権・安倍晋三夫妻的(政治観)によって「許しがたき暴虐」行動をしているのに、「民主社会の向上に尽くす」「公共の福祉に適合する」情報を提供する責務を宣明している日本の新聞や放送も笑っている場合ではなかろう。

 第1、これらの日米国両国の議論には何かが欠けているかと言えば、小説家の村上龍氏が述べて以下のような簡単な人倫である。「企業には利益が必須だが、政治の役割は適正で冷徹な資源配分である。逆に両者に共通するのは説明責任を含む公正なガバナンスだ(」2016.10.06 テレビ東京番組『カンブリア宮殿』)

 第2、その結果、ト氏の政策には金持ちがより金持ちになろうとするとき、貧乏人をますます搾取して、ますます貧乏にすることによって、利益を自分の周りに集めることに奔走し、その構造に協力をしておこぼれに預かろうとする広告業者、そこから分け前を貰いながら、そうした構造を日々強固にするために人びとの社会像、社会観を歪めて恥じないマスメディアとその構造から逃げることによって自己満足する「SNS」(交流サイト)利用者がいるということだろう。

 そしてその代表的人物がツィッターの使い手、愛好者のドナルド・トランプだということだ。もちろん、それを小型にした人物は東京にも大阪にも・・・政界にも財界にもたくさんいる。

(2017年4月3日記)
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トランプ大統領にとって自分の経済的利益にならない情報はすべて 「FAKE」? トランプ「FAKE」(フェイク/でたらめ)論、その2

 今手許にトランプ氏が作家に書かせた一冊の本TRUMP How to Get Rich(トランプ 金持ちになる方法)がある。(写真)この本の裏表紙に「There are at least five billion reasonswhy you should read this book」(この本を読むべき理由がすくなくとも50億はある)この本は2004年の発行だが、その翌年に訪れたニューヨークのジャパン・ソサイエティでそこの職員に「これからアメリカで影響力を持つ人だから・・・」と奨められて購入したものだ。だが、よくもあしくも単純な金儲け指南本だと思ったし、今度あらためて手に取ってみてある意味でトランプ氏の原点があると思った。 

トランプ3

 さて、前回の問題提起(17.3.8付本ブログ)についてさっそく元ゼミ生を含む何人かの知人から感想をいただいた。それらに共通していたのは「トランプ大統領はなぜそんなに平気でうそがつけるのでしょうか?」という疑問。

 筆者の回答は「トランプ大統領」(以下、ト氏)は短期的に自己の経済的利益にならない情報はとりあえず、すべて「うそ」だと恥じらいもなく言ってのける。彼にはそれ以外の論理と倫理はない。ただし、後にそのままではまずいとなるとしだいに、巧妙に修正を図る、つまりト氏はそのやり方で「まじめにうそをついている」=「平気で反社会倫理としてのうそがつける」人間だということで、彼にとっての「うそ(FAKE)」とは自分に批判的か役に立たないすべての情報は「うそ」になるということである。

トランプ2

(上写真:FOXを褒め、CNN攻撃をするトランプ氏、下:2017.3.20付同内容のツィッター)
Donald J. Trump @realDonaldTrump
Just heard Fake News CNN is doing polls again despite the fact that their election polls were a WAY OFF disaster. Much higher ratings at Fox

 だが大事なことは、ト氏のついている「うそ」は何もト氏に特有のことではないということだ。そのレベルの「うそ」は証券会社の少額売買顧客(一般市民)担当、保険会社の外交員、不動産業者(とくに訳ありの土地や劣悪マンションなどの販売担当者)等であれば、自分の仕事による利益を高めるためにだれでもどこでもやっている口先「販売テクニック」にすぎない。宗教の勧誘でもその手のだましはすくなくない。だからト氏のついているレベルの「うそ」など私たちの日常生活のどこにでもあるし、その程度のうそに欺されるのであれば、「世の中にはそんなにうまい話がころがっているはずはない」から欺される人のほうにも責められるべき点がないわけではない。問題は一国の国民どころか世界に影響を与える経済力と軍事力を持った国家のトップをト氏のような人物が務め、誇大表現やごまかし言動をばらまき、常態化していることで、人類にとっての「災禍」だといってもよい。

 さらに問題なのはト氏がつく「うそ」のほうをファクトチェック(事実確認)して反論するまともなメディアのほうが信頼されないアメリカ型情報流通の内実である。ト氏の発言よりもメディアの発出情報のほうが信用されないという状況はこれまでのメディアの大半がト氏のいうような方法では社会改革は出来ないどころか、さらに悪化するということを具体的、説得的にしてこなかったことにより大きな原因がある。

 メディア・ジャーナリズム論としていえば、世界的に「言論・表現の自由」「公正・中立・客観性」ということばを「経営的観点も合わさって」意図的に誤解して、明らかに間違った言動にも発言権を与えてきたこともその1つだ。メディアは社会的にプラスになる情報を主体として、ごまかし文化(cheating culture)を助長してはいけないのに、スポンサーの意向を「忖度」してそうしてこなかったという深刻な罪を犯してきたことがその背景にあることを認めなければならない。

 このことは日本のメディアと読者・視聴者との関係においてもいえる。日本でも圧倒的にスマホが普及し、それを使った交流サイト(SNS)と参照系サイトにアクセスできれば情報アクセス面において日常生活にほとんど困らない。だが、そこでは政治と経済の根幹に関わる問題が軽視されているかアクセスされず、社会活動に関する情報取得が個人の生活範囲にほぼ限定されてしまっていることだ。そのため、個人的生活圏を超え世界中に広がり繋がっている私たちの社会の全体像をつかむ道筋が抜け落ちてしまっている。

 日本の例から説明すると、安倍晋三首相の言動は無責任きわまり、国民は対外的に恥をかき、社会保全的な危険にさらされているのに、そのことに大きなうねりとしての批判があまり出ないことがある。

 政治家の大半はこの社会構造をよく知っており、実際にもそれを悪用している者が多い。彼らはその時々に自分のやりたい政治的行動を自己利益第一主義で実行する。そのために「平気でうそをつく」が、その典型例を安倍氏の言動から挙げれば、2020東京五輪、パラリンピック招致演説がある(アルゼンチン・ブエノスアイレス、IOC総会演説、2013年9月7日現地時間10:30~11:40)。

 そこで彼は「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています(英語The situation is under control.)。続いて、「東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」。

 その演説後、ノルウェーのIOC委員が福島第一原発の状況について質問をし、安倍氏は「汚染水による影響は、福島第一原発の港湾内の、0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされています」と答えた。だが実際には 8月19日、福島第一原発の貯水タンクから、毎日300トンもの高濃度汚染水が漏洩していたことが後に発覚し、しかもこの高濃度汚染水は、1リットルあたり8000万ベクレルにも達し、合計で、これまで24兆ベクレルが漏洩した。原子力規制委員会は、この事故を国際原子力事象評価尺度(INES)の「レベル3(重大な異常事象)」に該当すると発表した(詳細は→http://iwj.co.jp/wj/open/archives/100898#idx-1)。

 繰り返すようだが、メディアがそれに有効な反撃をしていない(できないでいる?)ことだ。もっと根底的にいえば、メディアとジャーナリズムがト氏や安倍氏のような人物の嘘を見抜き、それに怒りを覚える情報購買者を作ってきていないことだ。言い換えれば、権力者たちによる巧妙な「うそ」に欺されにくく、「そうしたうそ許さない人たちを作るのがメディアの責任」という当然な情報提供活動をしてこなかったことだ。

 ト氏のような「うそ」つき人間が選挙で選ばれ、強大な国家アメリカの大統領を務め、その「うそ」を追認、拡販する幹部閣僚や側近、記者発表やリークでメディア操作するショーン・スパイサー大統領報道官(Sean Michael Spicer:White House Press Secretary )など、組織的な「情報犯罪集団」だといってよい。

 今、日本の国会とメディアは大阪の森友学園をめぐる「異常な」・・・というよりも「犯罪的な」値下げによるは国有地譲渡問題でもめている。学校法人「森友学園」の籠池泰典氏は3月23日(2017年)午後の衆院予算委員会証人喚問で、2015年11月に首相夫人付政府職員の谷査恵子氏からのファクスを手に「財務省に問い合わせ、回答を得た。現状では希望に沿うことはできないが、引き続き当方としても見守っていきたい。本件は昭恵夫人にも既に報告している」とあるとぶちあげた。昭恵氏は安倍総理夫人であり、その意を受けて財務省に問い合わせた結果報告である。社会常識ではこれを「口利き」という。そう関係が重なって、常識ではない「値引き」がされた。

安倍

(24日参院予算委員会で詭弁を弄する安倍晋三氏)

 また昭恵夫人が「安倍晋三からです・・・」といって100万円の入った封筒を籠池泰典氏に渡したことを同じ23日の証人喚問で証言すると、翌日の同じ参院予算委員会で安倍総理は恥ずかしげもなくこういった。

「密室のやりとりなど反証できない事柄を並べ立て、事実と反することが述べられたことは誠に遺憾だ」籠池氏による国有地の取得や小学校の設置認可申請の経緯を巡っては「私も、妻も、事務所も全く関与していない。そのことは明確に申しあげておきたい」。この記事を報じたある新聞の見出しは「首相、籠池氏を批判〈事実と反する〉」(日経新聞電子版)

 だいたい、世の中で困りごとがあり、自分だけでは解決できないとまず①家族や親しい友人に相談し、それがだめだと②専門家(弁護士など)の助力を求める。しかし理論的にも無理な場合に政治家に相談することはよくあることだ。もしその案件に社会的有意性があれば、政治家が役所の仕組みを説明しもっとも効果的なやり方を教えるのは公人政治家の責務だからそこまではよい。しかしそこで解決できない、つまり社会常識を逸脱したやり方でしかなんともならない時、ある人たちは反社会的集団(暴力団など)に頼む(民間では一部の金融機関が取り立てに関し、「間接的に」この手法を使っている)。相手が行政の場合はあからさまに暴力団を使うことが出来ないから、その政治家が自らの責務を逸脱して倫理に反するやり方で便宜をはかり、官僚が権力側にすり寄って出世の手段とすることになる。それが起きたのが今度の一連の森友学園問題である。

 安倍昭恵首相夫人から封筒に入った100万円の寄付を受け取ったなどと証言したことについても安倍氏は「密室のやりとりなど反証できない事柄を並べ立て、事実と反することが述べられたことは誠に遺憾だ」と籠池氏を批判した。

森友

 加えて、この安倍総理のお気に入り議員にはあまりにも幼く、論理とはとてもいえない暴論で自己防衛を謀ろうと「うそ」を連発する稲田朋美防衛大臣がいる。森友学園の代理人として裁判にまで出ているのに「直接出合ったことはない」国会答弁で断言した。後に「会ったこと、裁判弁護をしたこともまったく忘れていた」と恥ずべき弁明をした。しかし重大な局面に関わることでもあり、しかも事務所の記録をチェックすればすぐ分かることだ。つまり稲田氏は、私たちが日本の安全を委せることはできない「お調子もの」もしくは「安倍氏にえこひいきされている」だけの国民の命を預かる仕事を任せるには「適格性に欠ける者」だということだろう。

 次回はドナルド・トランプ氏や安倍晋三氏等、権力を持つ者たちが自分の勝手な解釈で人を欺すときによく使う「違法」「遵法」とメディア企業の依拠する「公正・中立・客観性」「アメリカ・ファースト」の矛盾などについてふれてみたい。(2017年3月25日記)

第45代米国大統領ドナルド・トランプの「FAKE」(フェイク/でたらめ)論をどう読み解 くか?

 自称不動産王のドナルド・トランプ氏が第45代大統領選に立候補し、当選し、就任した。そのトランプ氏(以下、ト氏)が今、米国や日本だけではなく、旧社会主義国を含め、多くの人たちを一国の指導者としては「常軌を逸した」言動で振り回している。しかもなさけないことに、「FAKE」(フェイク/でたらめ)呼ばわりまでされて罵倒されたメディアがト氏にまともに対応出来ないでいる。

トランプ


 その状況は彼が共和党の大統領選候補者に指名され、民主党のクリントン女史などと戦った予備選挙から、代議員による本選挙、2017年1月20日の就任式、またそれ以後の言動、とりわけ大統領に就任してからも止めないツィッターによる直接発信で継続している。しかもそのツィッターにはフォロワー(受信者)が2000万人以上(恥ずかしながら筆者もその一人)になり、今や全世界でいちばん影響力のある個人メディア(規模だけでは「マスメディア」)を持ってしまった新しいタイプの政治家(政治屋?)の登場である。

 ト氏は自らが行うホワイトハウスでの記者会見でも、自分に批判的な報道機関に対し、即座にしかも面と向かって「お前が偽報道機関だ」(You are ‘Fake News’!)といってこきおろす・・・たしかにメディアに誤りもあるが、ト氏とメディアの対立の場合、たいていの題材において、ト氏のほうに「社会常識的な基準での非」がある。つまり、ト氏にとっての「事実」と「真実」はメディア、ジャーナリズムあるいは私たちの日常生活で使っている意味とは違うということだ。

 もちろん、メディア企業やジャーナリズム、ジャーナリストたちの発出する情報がすべて正しいというわけではないし、そこに「誤報」や「社会的に許しがたい誘導情報」がないわけではない。しかしト氏の場合にはファクトチェック(事実確認)をしてみればすぐ判明する程度のウソがあまりにも多く、「社会のリーダー」としては許される限度を超えたものがある。

 こうしたトランプ氏の言動をそのまま許しておいたのでは、大きくいえば「人間社会への害毒」がますます拡大する。もっとも最近のメディア上では北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にとんでもない指導者がいるがそれはト氏に比較すればまだ「小型」。日本の総理大臣もあまり褒めたものではなく、どちらかといえば、その言論使用感覚としてはト氏に近い「ごまかし」も多い。日本語能力ひとつとってみても、いつも国会の予算委員会などでとなりに座っている麻生太郎副総理に近い(たとえば麻生氏は「踏襲」(とうしゅう)を「ふしゅう」と読んだが、安倍氏は「〇〇云々)を「〇〇でんでん」と言って平気!!」。

 横道へそれたが、我が安倍総理は一期目を不本意に終えて次を狙っていた時、「高橋是清のように、総理への復権より名財政改革者として名を残したい」といったそうだが、おそらくは歴史的には「自分が得になるかどうかですべてを判断する」トランプ氏と同じ運命をたどることになろう。いずれト氏にも安倍氏にも歴史の判断はきびしいものになるだろうが、メディアさえしっかりしておれば、人びとへの被害が極端化する前に起きることだ。

 しかし繰り返すが、一国のリーダーの誤りからは多くの国民が迷惑を受ける。メディア・情報学を学ぶ者としてはト氏や安倍氏のような人物をこのまま放置しておくことはできない。このブログ上で「トランプ大統領解析」のメディア学」を何回か書いておくことにする。(続く、2017年3月8日記)

「報道の積極的公正中立主義」の実践

  放送法とか各種報道機関の編集・倫理綱領などを取り上げて議論されている「報道の客観性と公平・中立」とは何かの議論はたいてい水掛け論か抽象的な言葉遊びの類いの議論で終わってしまう。高市早苗総務省による「政府が放送法や電波法に関して、どのような放送内容についてもなんらの意見を述べ、行動することを妨げるものではない」ということに関し、放送関係者や学者たちの多くが反論したその内容についても同様のことがいえるだろう。

 まず「虚偽はだめで、情報は正確でなければならない・・・」といっても、一見その通りだが、もうすこし踏み込めば、そうした議論では何もいっていないことに等しいことがわかってくる。「事実」「正確」「客観性」はジャーナリストによる取材だけではなく、メディア活動全体のキーワードである。また放送法や日本新聞協会倫理綱領には「不偏不党」「公正」「自律」などの言葉が並んでいるが、それらは方法論もしくは制作現場での初歩的標語であり、メディア企業の現場ではそれを目指した活動がなされているわけではない。それ以上に驚くべきことは業界関係者、多くの学者の間で議論される「不偏不党」「公正」「自律」などは現在議論されているレベルにおいては理論的にも存在しないのだ。

 例を挙げれば、この4月27日(2016年)、米国のバラク・オバマ大統領の広島訪問であらためて話題となった広島と長崎への原爆投下について、米国政府の公式見解だけではなくメディアの大半もそれを米国と連合国側の犠牲を最小に抑え、戦争の早期終結の手段としてやむを得なかったと位置づけてきた。対して、日本メディアは原爆投下被害のあまりの犠牲の大きさと悲惨さに注目し、「過ちは繰り返しませぬ」(広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とある)・・・と非戦・平和の誓いの原点として、戦後の「八月ジャーナリズム」を形成してきている。あらゆる「社会事象」は立場によって解釈が異なるということだが、メディア活動においても取材対象の選択、取材した情報の解釈、記者個人の能力、上司の判断、見出しのつけ方やアナウンサー(記者)のしゃべり方(書き方)、さらには広告主や政治権力の干渉といった不確定要素が必ず入ってくる。つまりメディア活動の現実的かつ重要な課題はそれら諸要因の存在をまず認識した上で、そこから次の段階として、いかにして国境の違いがもたらす国益思考を脱し、グローバルに通用する社会的利益=公益のある情報発出を努力目標としてメディア活動をしなければ、どだい話にならないということだ。

 このことはいかなる報道も次の三つの制約から免れることができないことからも説明できる。第一、特定メディアが機能できるスペース・時間・容量はかぎられている、第二、同時にそのエンドユーザーである視聴者・読者、あるいはパソコン等の末端利用者にも使用時間や能力に限界がある、第三、それにたいし世の中に存在する情報の量は無限大であることである。つまりすべての報道はネットも含めてこれらの制約にしばられ、利用者・受容者に届き、消費されているわけだ。

 そのため、メディア/情報環境の質を高めるには発出者が「公益性のある」情報を選択し、それらを多角的観点から紹介し、受容者(オーディエンス)がそれらの情報を適切に読み解く能力としての高い「メディアリテラシー」を持つことが大事になる。犯罪報道を例にしてこれを説明すれば、被害者と加害者双方の立場紹介だけではなく、全体の社会構造の中に事件をおいて発生過程を点検し直し、今後の同種事件の防止に役立つ情報提供が求められるということである。

 報道の要諦をそのように理解すれば、前述した「不偏不党」や「中立」の意味が違った面から見えてくる。筆者は「公正とは公衆の利益のために正義を実践すること」だと考えるから、メディアの公正とは「公的利益と社会改革のための情報活動と議論の場の提供」だということになる。筆者はそれを「メディアの積極的公正中立主義(Proactive Doctrineof Media Fairness and Impartiality)」名づけている。

 従来の「不偏不党」と「中立」論は以下の6パターンに分類できる。①左右の両極端を排し、その他の異なった意見をできるだけ多く並列的に列挙する、いわゆるNHK的公平。②さまざまな意見の真ん中をとる、いわゆる中道。③権力は腐敗し、その言動の裏には悪が存在すると考え、権力悪の批判をジャーナリズムの主たる使命とするウオッチドッグ(読者・視聴者に奉仕する番犬)機能。④少数意見(異見)を尊重し、出来るだけ多くの多様な意見を価値評価なしに紹介すること。⑤世論の大勢とその動向を重視し、視聴者・読者のニーズに対応すること。⑥非政治的、非政党的スタンスを保持すること。
 
 しかし、これらの六つの考え方は現行の一般的な報道における発出側姿勢の特徴把握としては役立つが、具体的な例によって分析していくとその非合理性=非現実性がたちまち判明する。たとえば、①のNHK的公平では、穏健な意見は何でもとりあげ検討素材とするから、はずされた左右のいずれかに正答がある場合には大きな誤りをおかす。②では、明らかな詐欺や泥棒行為の警察捜査を例にすれば、メディアが泥棒と警察の言い分を平等に紹介し、情報受容者に判断を委せるという珍妙なことになる。③ではたとえば南米や東南アジアの麻薬王が国家に対抗し、日本でも組織暴力団が暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)に抵抗してきたが、麻薬王や暴力集団が善になってしまいかねない。④では、意見はひとによって違うから、すべての意見の紹介など不可能である。⑤では、視聴率や販売部数が指標になり、人びとの興味を引くことが最重要視され、その危険がすでに現実化している。⑥世の中のすべてのことが政治的に動くか、政治的に利用されており、争点を避けた報道ではもはやジャーナリズムとは言えなくなる。

 つまり、メディアは市民生活の快適さ(アメニティ)と安全(セキュリティ)の増進をはかるために、個々の市民と各種中間組織や政府、国際組織等の協力によって自らのメディア活動の環境改善をしていくことが求められているということだ。もちろん、ここでいう「市民」とは、日常生活レベルから世界大にいたる問題のあらゆる次元で、悪に対してすくなくともノーといい、そう行動する自律的(self-disciplinary)で能動的かつ「自由で責任ある」行動している生活者のことである。(2016年6月7日)

(詳しくは以下を参照 渡辺武達『メディアリテラシーとデモクラシー』論創社、「序にかえて」pp.2-11、『メディア用語基本事典』世界思想社、pp.104-5、「積極的公正中立主義の情報政策とメディア活動」pp.154-169、渡辺武達・田口哲也・吉沢健吉編『メディア学の現在』世界思想社、2015年、などを参照されたい。)

「メディア倫理ミニマム」の思想

 1968年の予算編成に先立ち、東京都知事(当時)の美濃部亮吉は「『東京都中期計画』を発表し、その理論フレームとしてシビル・ミニマムを設定」した。この「シビル・ミニマム」概念を発展させて、71年に松下圭一は『シビル・ミニマムの思想』を著し、「自治体(に対する)中央政府による体制的制約を認めながらも、なお市民の地域民主主義的活力を基礎に、自治体の政治的自立性をいかに実現するかという観点から」のさまざまな政策提言をおこなっている(松下圭一『シビル・ミニマムの思想』東京大学出版会、1971年、pp.272-280を参照)。ただし松下は「〈自由権〉といわれる政治的自由については言論・結社の自由から権力分立にいたるまでの具体的保障をもつが、〈生活権〉はシビル・ミニマムという設定というかたちではじめて現実的保障となりうる」(p.278)といっている。

 〈生活権〉がかなりの程度まで人間の生存権としての生物体組織維持という点から数値的な計測になじみ深いことはたしかだが、日本国憲法21条の規定する「言論・表現の自由」(『メディア用語基本事典』世界思想社、2011年、pp.95-96)が政経権力(政治と経済が合同した権力)から日常的な圧迫をうけているばかりか、新聞社やテレビ局内においての社内的圧迫も増大している現実がある。つまり松下のいうほど、日常的な政治的自由の現実はそれほど楽観的に見られるものではない。それ以上に深刻なのはメディアワーカー(メディア産業の従事者)たちが経営と自己保身のために、唯々諾々とそれに従い、そのことに違和感を持たなくなりつつあると現実がある。

 筆者(渡辺武達)はメディアの公正・中立概念追究の思想的核として「積極的公正中立主義」を提起してさまざまなメディアの局面を想定して議論してきているが(『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』論創社を参照)、メディア自身の自律による市民主権に立脚した言論の自由の尊重がメディア活動の基本理念にならねばならないという意味での「メディア倫理ミニマム」(media ethics minimum)という考え方を総務省のメディア政策やメディアワーカーの「公準」とし、社会全体もそれを是としなければならないと考えている。(copy rights reserved byTakesato WATANABE)
By渡辺武達 2016年5月20日記
プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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