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「全聾作曲家」佐村河内氏事件とドキュメンタリー『FAKE』

森田達也 FAKE 
 
7月4日、森達也監督の新作ドキュメンタリー『FAKE』(109分)を京都シネマで見た。2年前の2014年、「週刊文春」記事(2月13日、神山典士・『週刊文春』取材班「NHKスペシャルが大絶賛「現代のベートーベン」 全聾の作曲家佐村河内守はペテン師だった!」)によって始まった「ニセ」作曲家(とされた)佐村河内守(さむらごうちまもる)氏とその妻の日常に一年数か月にわたり密着、ほとんど自宅マンション室内での言動だけを記録、制作した「記録映画」(といっても「事実の記録」とは限らない・・・)である。

筆者はこれまで、森の映画はオウム真理教信者に密着した『A』(1998年)、『A2』(2001年 )テレビ番組では、『ミゼットプロレス伝説』(1992年)や『放送禁止歌』(1999年)などを見てきたが、今作はメディア享受者である大衆を告発した『放送禁止歌』とは違う意味で、傑作であると思う。少なくても人びとに自分たちがメディアに喰い物にされているのではないかと考えることを強いているからだ。

メディア界にはスポーツから音楽、ドキュメンタリー(と称するもの)まで、その実相が一般社会の常識とは違うものが極端な「演出」によって、その「実相」とは違う形で外へ発信されているという現実がある。今度の「全聾作曲家」の件でもことさらに問題が大きくなってしまったのはNHKスペシャル「魂の旋律 〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日放映)を代表とする18年にもわたる高い評価、絶賛があったからである。

「皆様の公共放送NHK」の場合、その「スペシャル」放送が結果として「やらせ」番組となり、内容が全面的に間違いであったとして「制作担当者」に謝罪させたのもこれが初めてではない。たとえば同じNHKスペシャル「奇跡の詩人」(2002年4月28日放映、文字盤を指すことによる(実際には母親が少年の手を動かしていた)執筆活動で、人々を驚嘆させていた当時11歳の脳性麻痺少年を絶賛した作品)がそうであった。今回も制作関係者は全員、「佐村河内氏が全聾」であったと信じていたとし、前作「奇跡の詩人」のときもそう言ってNHKは逃げた。そして両者とも結果としてメディアへの信頼を失わせた。

さて、「現代のベートーベン」ともてはやされた佐村河内氏がじつは音楽のコンセプトをメモ書きしただけで、実際に演奏するための楽曲・楽譜にしたのは別人(売れない音楽家の新垣隆氏)であり、その「作曲」過程の実相を佐村河内氏から金銭的見返りを受けて担当してきたその「別人」が今度は「正義の味方」として告発し・・・他メディアが「オモシロオカシク」取り上げた…しかしほとんどのタレント本(芸能人やスポーツ選手たちの自伝など)がそうした手法で作られているし、類似の仕組みはメディアや芸術を含め、社会のどの分野でも大なり小なり「ビジネスモデル化」している現実がある。ただ「佐村河内事件」は素材の性質から異常な規模で「メディア化」された、最近でいえば、前東京都知事の「せこすぎる政治活動費」問題報道と糾弾、そしてその陰で巨悪がほくそ笑んでいるという社会構造の中で「作られた」という意味でも両者は酷似し、「大衆娯楽的側面」を担った事件である。

どうしてそれほどまでに問題が大きくなってしまったかについてもう少し踏み込んでいえば、佐村河内氏が「天才作曲家」としてもてはやされ、次は「実際に作曲していた(楽譜にしていた)のは別人であった」、しかもそれを18年間も続けてきたというカラクリの面白さ。「開けてびっくり」の世界を暴露することで、メディアには2度美味しく、エンタメを求める聴衆にはしあし酔える素材となる・・・賞味期限が来るまで利用できるビジネスモデルとして、視聴者とメディアが「共同利用」したということである。

だが、今回の映画でも、「アイディアを伝授され、その伝授者と相談しながら楽譜にした」新垣氏の作業が「作曲」者の作業となるのか?」といった肝心の検討がない。森作品の「FAKE」にも佐村河内氏による「メモ」(妻の母親によると「妻の字」だという)なるものがはたして「最初」から存在していたかについての検証もない。

しかし、「〈やらせ〉を生む構造」に着目して『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)を書いた私、渡辺武達としてはこの問題を森達也のように情緒的に終わらせず、きちんと決着をつけておかねばならない。

肝心の「演出」と「やらせ」の違いだが、ひとことで言えば、

・「やらせ」=メッセージが真実ではなく、相手を欺すためになされる情報送出
・演出=あるメッセージを相手に効果的に伝えるために成される工夫のこと。

とすれば、佐村河内氏と告発者(新垣氏)の関係はどこにでもある「暗黙のセット」である。また全体とすれば、楽曲が生産され、その演奏に多くの人が感動してそれを聴くために喜んで金を出した。その過程で、少なくともその鑑賞者には「傷ついた人はいない」という事実。しかも題材が音楽という「音の芸術」であり、その表に出た本人が「全聾」を売りにしてきた、それを「売れない」が音符で表現することに長けた「音の技術者」である新垣氏が生活のために「音符」にした。そのことを新垣氏が「自分が作曲した」と主張して表に出てきた、そして世間はそれに興味を「持たされた」というだけ。だがそれこそが、多くの人びとが興奮し、メディアに応援されて持ち上げ、今度は叩くメディアを応援して溜飲を下げる…それが、現代メディア人気の製造過程なのだから、この一連の動きには「現代メディア社会の虚構の構造」がすべて詰まっているすぐれた研究素材であるといえる。

筆者は音楽をわざわざ関心をもってコンサートなどに行くほどの趣味はない。だから、「全聾の作曲家」がホンモノであるかどうかにはそれほどの興味はこれまでなかった。しかし今度の森達也作品をみて、なるほどこうした切り口があったのか…という点では森氏の「ドキュメンタリー」の作り方と時機(2年前ならごたごたに埋まり、数年後ならば事件そのものが完全に忘れられ、作品が無視される)を読む感覚には感心した。ENDIT

2016年7月6日 渡辺武達

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京都メディア懇話会7月例会ご案内と前回6月例会(第11回)のご報告

第12回例会

日 時 2016年7月28日(木)18:30~20:00

会 場 同志社大学寒梅館6階大会議室

演 題 「アメリカにおける日本のPOPカルチャー理解」

発題者 勝野宏史氏(同志社大学社会学部准教授)

・発題者の略歴 :1973年福岡市生まれ。獨協大学・アリゾナ大学卒。ハワイ大学で修士号・博士号取得。同志社大学社会学部助教、大阪経済大学人間科学部准教授を経て2016年度より現職。専門は文化人類学。研究テーマはメディア・テクノロジーの発展と文化の変容の相互関係について、さらには日本の文化商品の海外における消費など。

・発題概略:1990年半ば以降、アニメや漫画に代表される日本のメディア・コンテンツは世界的に人気を集めてきた。そして21世紀に入ると、アニメ、漫画、ゲームそしてファッションなどのPOPカルチャーは対外文化政策や経済振興のための戦略的活用の対象となり、コンテンツ産業は政府の公的支援を受けることになった。本発表では特に90年代以降の日本のメディア作品のアメリカにおける受容に注目し、グローバル時代におけるメディア・コンテンツの流通と消費のプロセスについて考えてみたい。

・司会者 中谷聡(京都光華大学短期大学部)

・コメンテーター:阿部康人(同志社大学)

なお、8月は夏季休暇のため月例会はなし 

第11回月京都メディア懇話会月例研究会
(会場:同志社大学寒梅館6F大会議室、16.6.23)

 第11回月例会では、 太田航平氏(NPO京都コミュニティー放送理事・京都ラジオカフェ株式会社代表取締役)が京都三条ラジオカフェを事例としてNPO法人によるコミュニティー放送局の社会的役割とその可能性について報告した。

 冒頭、太田氏は自身が日本初のNPO法人による放送局を開局するに至った経緯を話した。太田氏によれば、環境NPO活動に従事していた際に、自身の活動を日本のメディアによってゆがめて報道された体験が一つのきっかけとなって、市民がメディアを持つ必要性を痛感したという。京都にFM79.7京都三条ラジオカフェ(以下、京都三条ラジオカフェ)を開設した理由は「街中の機能を一つ増やしたい」と思ったため。「自分事を社会事にするプラットフォームとしての放送局」を目標にして、幅広い市民から資金を募り、2003年に市民が自分の番組を自由に制作できる 京都三条ラジオカフェを開局した。

 その後、太田氏は京都三条ラジオカフェによるこれまでの番組制作について紹介した。大学生の「地域に関わっていきたい」というニーズに応えるために大学と地域を結びつけるための実験をしたことなどを含めたさまざまな具体的な事例を通してコミュニティー放送局の現状を報告した。

 太田氏の報告を受けて、コメンテーターの十倉良一氏は、コミュニティー放送局をメディアの民主化運動/市民メディアの歴史的文脈に位置づけて解説したうえで、国家が放送局に法的側面などで影響力をもっている現状を指摘したのち、コミュニティー放送局が抱える課題を資金と人の問題であると述べた。

 太田氏の発表と十倉氏のコメントを受けて、会場のオーディエンスからも質問とコメントが出された。参加者の一人による「コミュニティー放送局はマスメディアとどのように関わっていくべきか」という問いに対して、太田氏はコミュニティー放送局の役割として①より多くのオーディエンスを求めることを目標にするのではなく②市民の一次情報を発信できるプラットフォームとしての機能を担うことに専念することと指摘したうえで、コミュニティー放送局でマスメディアには取りあげられない情報を地域の人に発信してもらうことの社会的意義を強調した。ほかの参加者からは、市民がつくった放送番組の放送内容に苦情が出た場合の放送局としての対処について質問が出たが、太田氏によれば聞いている人がほとんどの場合、市民自身が制作/出演した番組のファンということで、「ほとんど苦情はない」という。最後にコミュニティーラジオの課題としては、番組制作をしている人たち(学生など)があまりラジオを聞いていないことなどが挙げられた。活発な議論を通してコミュニティーラジオの可能性と課題が示された。(まとめ、事務局長:阿部康人)

<参加者の感想>
その1:
 何かを伝えたいと思う市民が、不特定多数の市民に向けて呼びかけられる。そんな情報空間は市民社会の悲願であり、わたしには京都三条ラジオカフェがその実験をされているように思っていました。ただ、太田さんの話を聞いていて、番組の「島宇宙化」がひとつの課題なのかなと感じました。番組は「送り手」の興味関心ごとに作られ、それぞれ固有のリスナーがついている。でも、苦情らしい苦情がない。その理由を問われた太田さんは、関係者しか聴いていないのではという主旨の応答をなさいました。わたしはそこにひっかかりを感じました。

  市民の情報活動は広がりにくいと言われます。市民活動のチラシを手に取るのは、結局、関係者だけという笑い話もあります。米法学者C・サンスティーンは、ネット空間で議論が島宇宙化し、「炎上」する問題を論究しています。パブリックな言論空間であるラジオカフェには、番組横断的あるいはリスナー横断的なオープンなコミュニケーションの仕掛けが必要なのかなと思いました。わたしはメディアとNPOとの「協働」を研究しています。その経験から、NPOのミッションやアドボカシーが、マスメディアのジャーナリズムに架橋できるものと信じています。
(畑仲哲雄、龍谷大学社会学部・大学院社会学研究科准教授)

その2:
  誰でもがラジオ放送の送り手になれる市民参加型のユニークな三条ラジオカフェの方式は、敷居が低くて良いと思うが、個々の番組が単発的でそれぞれのインタラクティブなつながりが希薄で残念だ。どこか貸し館業務を主とする地方の市民会館=ハコもの行政に類似してしまうのは勿体ない。微弱電波とはいえ公共の電波を使用する以上、地域貢献の視点もあればなお良いのではないか。特に学生時代、熱心に環境問題に取り組んでこられた経験の豊かな太田様ならではの今後の仕掛けに期待したいと思う。

  また、電波の範囲となる所謂「田の字型地区」は、錦市場・百貨店などを中心に京都市内でも有数の外国人観光客の訪問場所でもあり、インバウンドに向けた興味深い情報をラジオと親和性のあるメディア(街角情報紙、スマホのSNS、情報アプリ等)とのクロスメディアの形にすると面白いかなとも思う。勝手な妄想だがこれは、急な災害時などにも言葉のわからない外国人観光客救援に奏功するかもしれず、日頃からの訓練でFMわぃわぃのような機能ももたせることによって、京都の地元ジャーナリズムに厚みを持たせることにもつながると思う。
(永井るり子、立命館大学社会人学生)

                  以上
プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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