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アメリカ時代の「終わりの始まり」~米国横断の旅から、その3~

1.質問への回答

「トランプ政治検証」アメリカ横断レンタカー旅行について、2回のレポートをしたがそれらを見た何人かの方からお便り/質問をいただいた。また、この7月15日から25日まで南米コロンビアの首都カルタヘナ(国際メディアコミュニケーション研究学会出席)と元大使館員の知人がいる中米ホンジュラス共和国の首都テグシガルパ訪問をし、またその際、アトランタ(米国ジョージア州)を乗り継ぎ点として往復とも1日ずつ宿泊、その際もトランプ政治についてのインタビューをした。そのことを含め、途中だがまず最近の状況にも触れながら、代表的質問に答えることから始めたい。

Q1.毎日5時間/500キロ以上もレンタカーを15日も連続して運転されたのですが、道中の体調維持はどうされていましたか?またアメリカのドライブ事情は? 

A1. 私は小学4年から高校まで柔道をしていたし、今も週に2~3回ジム通いをしていることもあり、比較的体力があるということ、そしてあまり小さなことに拘泥しないという性格もあります。また今回は同行してくれた妻が助手席から左右の車や信号に注意してくれたのですが、運転そのものは一人なので体調には気をつけました。
 
白人支配中心のアメリカはその歴史的社会発達の特性と地理的広大さで人口密度が全体として高くないため、長距離列車は経済効率が悪く、貨物中心(実際100両以上が3台以上の機関車で引っ張られる)で移動が制約される。そのため人間の多くは東部の大都市間もしくは通勤圏内を除けば、列車よりもフリーウェイ(無料高速道路)の車移動が多い。
 
また小さな街にも日本に較べ、飛行場が近くにあることが多い。そのため長距離移動では相対的に経費と時間節約のため、ビジネス関連では空路利用が多く、車の場合は個人的自由とゆとりが欲しいとか、若者による経費節約を重視したグレイハウンドなどのバス旅行(ルートが決まっており、動きが制約される)になります。筆者の場合はふつうの市民の意見をその人たちの居住場所で、移動手段に制約されることなく集めたいということを最優先したからレンタカー利用をすることになった。

加えて、レンタカー利用者に便利なのは小さな街にもたいていモーテル(車移動者の簡易宿泊所:といっても清潔なベッドとシャワーがあり、朝食付きが多い)があり、1泊100ドル以下のところでもたいてい、小さなプールやジムが併設されている。今回のアメリカ大陸横断中にも水泳を4回、ジムを2回利用した。そのため、朝出発前か夕食前に身体をほぐし、長時間の運転にも肉体的には無理なく耐えられた。

また、路傍にも休憩施設(REST AREA)やマック/Subwayなどのチェーン店、それにアメリカではたいていガソリンスタンドにコンビニが併設され、そこのイートインで・・・というように、2時間おきぐらいにそれらを利用してリフレッシュできた(あるところではコーヒーが一杯たったの50セント(≒55円)だったのはさすがに驚いた!)。

☆今の筆者は定年で、大学講義などの決まった制約から比較的自由になっており、これまで出来なかった活動ができるようになった。今、先述した南米との飛行機乗り継ぎ地、アトランタで書いている。そしてここでも、空港・ホテル間のタクシー運転手と30分あまりの会話をして、トランプ政治について聞いてみた。即座に「‘自分ファースト’のトランプなんて話にならない!」という答えが返ってきた。その男性はジョンさんといい、45歳、7年前にエチオピアから働きにきたという。

2.本文:

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写真1 スタインベック記念館(サリーナス)

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写真2 故・スタインベックの生前居宅(サリーナス) 

5月30日(火)(以後、いずれも現地時間)午前中にマンザナー日本人捕虜収容所跡に建てられた史跡ミュージアム(フリーウェイを10マイル〓1.6キロほど北上、左側)を参観した後、その向かい側(道路右手)にも広がるバラック住宅撤去跡(そこには今は草の生えたコンクリート打ちの飛行場跡もあった)に車で乗り入れ、付近を歩き、当時の日系人の苦しみに思いをはせた。

あれこれ、3時間ほどそうして過ごした後、ローンパイク方面(南へ)に引き返し、車でそこから7時間ほどの太平洋岸中核都市の一つ、サリーナスSalinas(同じくカリフォルニア州)に向かった。この地にはジョン・スタインベック(『怒りの葡萄』The Grapes of Wrath、1939年刊で1940年度のピューリッツァー賞を受賞。その後、1962年にノーベル文学賞受賞)の記念館と生前の居宅がある(現在、居宅は財団がレストランや売店として運営し、家の中も案内してくれる)からである(写真1と2)。

さて、マンザナー日本人捕虜収容所跡から次の目的地サリーナスSalinas(太平洋岸)までの道中。ナビに従い移動したが山地の曲がりくねった細道が続き、途中一時間ばかりは中央分離帯なしの片道一車線・・・細心の注意で運転。ガソリンを入れながら、スタンドに併設されたコンビニイートインでコーヒーとサンドイッチでランチ。

ヒマそうな店員だけではなく、お客さんにも時間のある限り話しかけた。日本でなら、こういうところで見ず知らずの人が政治問題について話すことなど考えられないが、トランプ大統領に関する質問だけではなく、アメリカ人たちの多くは政治観についても日常的に気楽に語ってくれる。ロスから来た家族連れ(韓国系アメリカ人で40代、娘2人と一緒)の奥さんが、「トランプ氏は経済と政治の仕組みを変えるといったが、彼は富んでいるものをより富ませるだけで、なぜあんな人がアメリカの大統領になれるのか?・・・韓国系コミュニティーでは彼に期待しているという声など聞かないよ・・・それよりも多くの移民労働力がないとここカリフォルニアの農業、スモモやぶどう、イチゴやブロッコリーの収穫などできっこない!!」とにこにこしながらしゃべってくれた。

たしかに道中、砂漠地帯を除いて、両側にワンブロック数キロ平方もある果樹園や野菜畑が続いている。その収穫は移民労働者がいないとほとんど不可能だし実際そういう人たちが働いていた!

その圧倒的大規模農法を見ると収穫物の値段では日本はアメリカには勝てない!同時にそうした大規模機械農法は多量の農薬散布と安い労働力に支えられて初めて成立し、モンサントなどの遺伝子改変(操作)会社などが歴代政権中枢と結びついている要因がよく理解できる。途中のスーパーで「種なしぶどう」の大袋(3kgほどの大きさ)を買ったがたった4.5ドル(約500円ほど)で、遺伝子操作の他にTPP問題の別の面を理解することになった。

☆8時間ほど運転してサリーナスに着いたときは午後9時前だったが、ホテル付近には適当なレストランがなく、車で10分ほど離れたメキシコ料理店に行った。メキシコからの労働者(スペイン語を話す)が多いため、ここでオーダーした小エビ料理(1000円ほど)はスパイスがほどよく、絶品であった。

翌朝、前の日に買ったぶどうやチーズ、食パン、コーヒーで朝食後、50年前の学生時代に卒論のテーマとしたダウンタウンにある「スタインベック記念館」(National Steinbeck Center)を訪れた(展示詳細は同記念館ホームページ→ http://www.steinbeck.org/)。

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写真3 スタインベックとそのサイン

スタインベックは写真(3)の通り白人である。同時にその父は貧しい農民で「生活のため」に西部開拓に向かわねばならなかった(この点は行き先には豊かな農地が自分のものになると結果として欺されて現地に向かった満州での開拓農民やブラジル移民らにも似た面がある)。つまり、かれら貧農は結果としてネイティブアメリカンの土地を収奪せざるをえなかった。その経験と聞き書きが彼の作品にリアリティと歴史的記録価値、苦しさをまぎらす「ユーモア表現の巧みさ」をもたらずことになった(ということを卒論に書いた)が1967年当時は複写がむずかしくその卒論原本の存否を当時の英文学科事務室(現同志社大学文学部事務室)に問いあわせたがすでに「廃棄」されていた。
 
スタインベックは小説家だが先述のように、ノーベル文学賞を受賞するまえに、全米のジャーナリストたちが憧れるピュリッツァー賞を受賞している。それは彼が自ら動き、温かい目で観察して読者の心を突き刺す筆致で描くことができ、ドキュメンタリーとしても価値の高い〈作品〉を世に出せたからである。たとえば『キャナリーロー、缶詰横町』(1944年作、和訳は福武文庫刊)でも、サリーナス市前の太平洋モンテレー湾に表れた大群の鰯(イワシ)を材料にして栄えた缶詰製造街の悲喜こもごもを描いたが現在はそれらの工場はレストランや劇場に姿を変え、観光客で賑わっていた。そして、美しいモントレーの海はいまも昔のまま「美しく」、ビーチは当時のそのままに息づいていることを裸足でビーチを歩いて確かめた(写真4)。

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写真4「缶詰横町」Cannery Rowのあったモントレーのビーチ

☆もちろん、ジャーナリストは地理的、歴史的(年代的)に移動するだけではなく、そこで得た知識を鍛えた社会性のある眼力で位置づけなければならない。スタインベックの場合、自分の住むアメリカをよりよく理解するため、ノーベル賞をもらった1960年、大都会ニューヨークでの便利で豊かな生活に飽きたらず、愛犬プードル、チャーリーを連れて、当時住んでいたニューヨークを基点に北上してから西へ、そして南へくだり、また東部へと戻るという、キャンピングカーによる全米一周をしている。その旅行では「ふつうのアメリカを知りたい」ということで1泊を除いてホテルではなく牧場主などに頼み、その軒先で駐車させてもらい、自炊していたという(豪華ではないがモーテルに泊まった私は贅沢に過ぎた?しかしレンタカー旅行という方法は彼からも学んだと思う)。

いずれにしても彼の移動跡を見れば、その実践が半端でないことがわかるであろう(『チャーリーとの旅~アメリカを求めて』和訳はサイマル出版会)。

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写真5 スタインベックが米国一周をしたルート
(記念館内掲示ルートは電飾だがここでは強調線で補記)

☆サリーナスでは二泊し、下着の洗濯をし、つぎは大阪のIR(統合リゾート構想→平たくいえば「賭博場」の行く末予測とその現状視察を兼ねて、全米でラスベガスに次ぐ規模のリノRenoへ。予約しておいたのは当地最大のカジノホテルで不夜城の「サーカスサーカス」。またこのリノ近郊にはかつての金鉱山で、今度の大統領選挙では圧倒的にトランプ支持票の多かったヴァージニアシティがあり、そこでのインタビューもしたかったからである。

 (「サリーナス」編はここで終わり、2017年7月30日記)

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アメリカ時代の「終わりの始まり」〜米国横断の旅から、その2〜

 5月29日(日本時間、米国東部より13時間早い)大阪伊丹空港発、成田経由のJALでロサンゼルス国際空港へ着き、予約しておいたALAMOレンタカー事務所へ。ミニバンのリクエストをしておいたが最初に案内されたそれにはナビの設置がなく、変更して少し大型だが前回写真掲出したダッジ/デュランゴを借りることになった。

 アメリカではこれまで何回も知人の車やレンタカーでボストンからカナダなどへの長距離運転をしているものの、いつも最初の2日ぐらいは左折の時に逆方向車線に入りそうになってヒヤッとする。

また今回は最初、ナビの入れ方とその読み方が英日語の違いだけではなく、図示の仕方が日本で私が使っているものとは違うので習熟するまでに時間がかかった(発行年次にもよるだろうが、日本のナビのほうがはるかに親切に作られている!)。

そのため、ロサンゼルスは何回も来ているのに市街地を抜け出し最初の目的地のManzanar National Historic Site (Manzanar War Relocation Center/マンザナー日本人捕虜収容所跡)のある「ローンパイン」(Lone Pine)まで、距離上の予測では4時間なのに高速(フリーウェイ)の出入り口を何回も間違えて出入りし、到達するのに6時間もかかった。一回ジャンクションを間違えると元の道路に戻るのに少々時間がかかるのだ。この米国カリフォルニアでは日没が8時ごろで、暗闇を走らずに済んだのは不幸中の幸いであったが。

 さて、私はなぜ、今回米大陸横断の最初の訪問地にこの山間の小都市をえらんだのか?それは日本軍による真珠湾攻撃(1941年12月7日=日本時間12月8日)直後からハワイだけではなく全米における日本人観がスパイ視にまで険悪化し、つぎつぎと日本人が敵性外国人として拘束され収容された最大の施設がこのローンパイク中心部から車で20分ほどのところにあるマンザナーに設置されたからである。その収容所に入れられた家族を持つ日系二世が元の勤務校京都産業大学での同僚で、その娘もその後異動した同志社大学で修論指導をしたという経緯もあったからである。

 もちろん、現在、その史跡を訪れただけで、日本で資料をあたるよりも多くの「知的」情報が得られるわけではない。しかし私の信念では、学者もジャーナリストも情報と体感によって地理的な横移動と時間的な縦移動を柔軟に繰り返さないとその知識は他人様に責任をもって伝えられるような「まともなつまり社会的有益性のある知識/情報」にはなり得ない。

 また今回、レンタカー旅行を採用したのは、ここまでの6時間の道中だけでも、ロスを初めとする米国巨大都市に共通する「中間層の枯渇と貧困層の増大」という病弊が地方にも広がりつつあることを実見したかったからである。途中で道路際の休憩所(REST AREA)でトイレ休憩とコーヒーブレイクで休息しながら乾燥/砂漠地帯を北上、改めてアメリカの広大な土地を実感した。ローンパイクに着くと、25度を超えエアコンを入れていたロスよりも気温が10度ほど低い。10キロほど離れた左手側の山を見ると頂上と警告には雪が残っていた。この時期にこれほどの残雪だから、収容所の冬がどれほど寒かったのかと心が痛んだ。

あ

 加えて、今回のレンタカー旅行で真っ先にここの訪問を決意したのは日本人たちが徹底的に差別された跡を見ることによって、日本にいくつもの顔を見せるアメリカの冷酷な面と犠牲になった日本人移民(その半数以上がアメリカの市民権をもっていた)への施策の実相を知るため(このことはトランプ大統領の移民排斥観の不当性にも通じる)、さらには同様の扱いを白人入植者他から数百年に渡って受けてきたネイティブアメリカンたちの気持ちに少しでも近づきたいと思ったからである。

 さらには、日本もまた朝鮮半島や中国本土から連れてきた、もしくは生活困窮に追い込まれ、労働のため宗主国日本へ渡らざるを得なかった人たちに同様の呻吟苦難を味わわせた祖国日本の政治行動を忘れないでおきたいと思ったからある。この点でも現在の日本政府/安倍政権と韓国政府/ムン・ジェイン(文在寅)政権の関係は不幸の極みだし、非人道的なトランプ大統領の排外制作はその繰り返しをまさにしているからである。

い う

 さて、ローンパイクで1泊し、翌朝、そこからおよそ20分(25キロ)の道路左側に当時の資料を収納した近代的な資料館(写真2)と収容所住宅の模造建築がある(写真3)。またこのレプリカ写真とは違い、実際のバラックは密集して建てられており、その居心地の悪さは想像以上に悪かったという(史跡館管理人の話、写真4)。

え

 これらを見て、アメリカ政府と非日本人たちの悪さ、悪辣さをいくらでもあげつらうことは出来る。しかし何が当時の普通の米国人がそうした行動に突き進んだのかといえば、メディアが政権政府に迎合した報道をしてきたからである。しかし日米政府のこの件での違いはレーガン政権時代、上下両院での議論を経て、大統領がその政策の誤りを認め、日系人に公式に謝罪、補償を支払ったことである。一方で、このマンザナー収容所の件と日本政府が日本国内において「政治・社会・経済構造的に強制連行してきたといってよい中国人や朝鮮人に謝罪、そうした場所を公的に遺跡として残し、日本国民への自己教育の場にはしていない」という違いがある。

 しかし米国は今なお、愚行を繰り返している。たとえば、米国は自国に刃向かうイスラム過激派を含む人たちを今も簡単に殺しているし、捕虜にした彼らを「家畜同様に貶め、爆撃し生命さえ奪ってきた、そして今もそうしている」事実を私たちは忘れてはいけない。

 その点では人間社会はどのようにしたら進歩するのかを必死で考えるのが大学教育の根本になければならないし、それを咀嚼して人びとに伝えるのがメディアの役割であると思うが現実は情けないというか・・・残念なことにそれとはほど遠い状態にある。

 ところでこの史跡を管理している職員の半数ほどは日系人に見えたが、訪問者の多くは日系人ではなく、白人、アフリカ系、アジア系など多様であった。そこで、活動をまとめた映画も鑑賞したがその日、11時からの入場者はアイオワから来た親子5人と私たちだけ。館内全体としても入場者は30名前後であった。その白人訪問者家族にトランプ大統領についてたずねしばらく意見交換してみたが、両手を広げて「ひんしゅく」の身振りをしながら、「テラブル(どうにもならないね!)」と答え、その理由をとくとくと答えてくれた。第1はト氏はアメリカという国家を自分の会社、国民を従業員としてしか見ていない・・・政治を自分の利益のために行っているからアメリカ民主主義の破壊者であるというきびしいものであった。もちろん、白人でこういう所に来る人たちの社会観は市民権を相互の尊重したい・・・と考える人たちだから、当然のトランプ大統領(以下、ト氏)嫌いだが、この後も、滞米中のインタビューした30名ほどのふつうのアメリカ人たちの半数以上がここ半年のトランプ政治の実相をすこしづつ理解しはじめているようだ。ただしそれはヒラリーを含むこれまでの軍産複合体政治のほうがよかったという意味ではなく、政治にある種のあきらめを感じているという意味も含まれている。

 またこの収容所跡への訪問客には犠牲になった側ではなく、かつてこの件に関する限り加害者であった白人がほとんどであったことは米国人の良心を見る思いであった。ただし日本のアジア侵略メモリアル(たとえば広島平和公園内にある朝鮮人被爆者慰霊碑)を訪れる人がまばらであるように、その数は多くなかった。(レポート、その2はここまで)
プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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