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アメリカ時代の「終わりの始まり」~米国横断の旅から、その11~ (キーストーン、ラピッドシティからスーフォールズ(サウスダコタ州)へ

この日(6月10日/土)は早朝にラシュモア山史跡を再訪してから、ラピッドシティ経由で次の宿泊地スーフォールズ(Sioux Falls/South Dakota)へ向かった。運転時間は合計6時間ほどであった。
☆I-90 E(国道インターステイト90-東行き)経由で366 マイル(約580km)。スーフォールズ(Sioux Falls)での宿泊はMicrotel Inn & Suites。

アメリカ大陸の横断貨物列車

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写真1. 大草原を走る貨物列車 赤い矢印の先が先頭車両のディーゼル機関車。長すぎて最後尾が見えない。

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図1.アムトラック鉄道網。今回、何回も見た列車はサンフランシスコ→ソルトレイクシティ→デンバー→シカゴ間の路線。

空は快晴で、快適なドライブであった。リノ(ネバダ州)を出て、ユタ州のソルトレイクシティへ向かう頃から何回も出会ったがこの日もフリーウェイ(高速道路)に沿って大陸横断の貨物列車が走っていた。車が時速100キロ(約60マイル)だとして判断すると列車はその半分ぐらいのスピードだとわかる。しかしなかなか追い抜けない。妻が数えると132両もが連結され、先頭部分に2台、真ん中部分と最後尾にそれぞれ1台づつのディーゼル機関車がつけられている。一度だけ駅に停車中の列車に近づくと天蓋がない貨車では石炭が積まれていた。雨が防げる屋根付きでドア施錠貨車の積み荷は不明だが、今でも値段がそれほど高くなくて重い荷物、たとえば石炭のようなものは列車を利用することが多く、配送に正確な時間が求められる高価な品の場合は大型トラックが使われている。実際アメリカの道路では大型貨物輸送トレーラーが多く、それらが猛スピードで走っている。

☆アメリカは陸地面積が日本の14倍近く、人口が3倍ほどだから、西海岸や東海岸などの人口稠密地域を除けば、旅行や通勤用の列車網は日本ほど発達していない。2001年、ハーバード大学の客員研究員としてキャンパスのあるケンブリッジ(マサチューセッツ州)に住んでいた時、そこからボストン中心部までは30分ほどで電車利用が便利だった。ときおりニューヨークやワシントンD.Cへ出かけたが訪問先での移動が多いときはレンタカー、そうでないときは列車(上記アムトラック)をボストン乗り換えで利用していた。日本にくらべて座席予約などの事務対応効率がえらく悪かったが乗ってしまえば楽だったからである。

 さて、ラピッドシティからスーフォールズまでのドライブ中、数回、休憩所(Rest Area)を利用したが、何組かのネイティブアメリカンとおぼしき家族に出会った。ネバダ州の砂漠地帯ではこれまで多くの核実験が繰り返されてきて、今も放射能汚染とその被害に苦しむ人たちが多い。その多くがネイティブアメリカンである。彼らの境遇が日本においても北へ北へと追いやられていったアイヌ人たちに重なり、弱い者、社会・政治情勢を知らされないことで、犠牲にされやすい日米共通の現代社会特性について考えさせられた。

スーフォールズの風景

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写真2.スーフォールズの中心街、アメリカの街の中心部には教会(真ん中の尖塔部分)があることが多い。

☆スーフォールズはサウスダコタ州東端に位置し、人口はおよそ17万人、州内最大の都市で、標高は 448m。本田真凜(まりん)がシニアデビューでいきなり優勝して話題になったフィギュアスケート/ISUチャレンジャーシリーズUSインターナショナルクラシック(17年9月)が開催されたソルトレイクシティや長距離走の高地トレーニング地ボウルダー(コロラド州Boulder)などに比較すると標高は1,000mも低い。

スーフォールズ(Sioux Falls→直訳すると「スー族の滝」)へ着いたのは陽が落ちかけた8時ごろ。チェックインしたモーテルには夕食用レストランがなかったから(たいていの
モーテルにはパンとコーヒーなどの朝食用の無料小食堂が出入り口近くにあり、ここもそうであった)、フロントで付近のレストランについて尋ねた。安くて美味しいものならやはりメキシコ料理だね・・・との答えで、そこから車で5分ほどのレストランへ向かった。取り放題のサラダと肉料理(ビーフ・マトン・チキンなど)、ソフトドリンクの注文で一人13ドル(1500円ほど)、味付けは日本人の日常的食事より辛めであったが満腹、確かにお得感があった。

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写真3.サラダバーからの野菜と注文したアスパラとポテト付きビーフ

たいていのガイドブック(ネットの案内情報でも同じ)はこのスーフォールズの見どころの第1に滝公園(フォールズパークFalls Park)を挙げている。翌朝、宿舎を出て、スポーツセンターでインタビューしたシーナさんもこの公園だけは見ておいたほうがいいよと薦めてくれた(後述)。

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写真4.スーフォールズ(Sioux Falls/South Dakota)の景勝地、滝公園Falls Park


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写真5.子ども(左下に2羽)のために餌をさがす親ガモ、滝公園にて。


高台にある駐車場にはすでに数百台の車があり、通路には多くの人が歩き、歓声をあげながら写真を撮っていた。そこから下を眺めると岩場が広がり、その中心部には何段かに分かれた滝が連なっていた(写真4)。しかし近づいてみると、水が黄色く濁り、ゴミまで浮き、なぜだか、悪臭までしていた。

水の濁りや匂いの原因はわからないが、かつてネパールのカトマンズにある名所の滝に案内された時、同じように水が黄色に濁り、悪臭がしていた。原因はその水がカトマンズ市内を経由してきており、家庭排水で汚れているということであった。ここでは何が原因なのかはわからないが、観光用の人気スポットだと宣伝しているわりにはケアがないのでは?とやや惜しい気がした。しかしそうした環境条件でもエサになるサカナや水草があるらしく、2羽の子供を連れた親ガモがときおり水中に首を突っ込んで何かをコガモに与えていた(写真5)。

シーナさんとのインタビュー


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写真6. ペプシがスポンサーとなったスーフォールズスポーツセンター

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写真7.スポーツセンター前でインタビューに応じてくれたシーナさん。

 アメリカでは多くのモーテルがフリーウェイの出入り口近くにある。車移動でのビジネス旅行者には時間の節約になり便利だからだが、経営するほうにとってもそのほうがパーキング用地を含めた土地取得が容易でもあるからだ。同じ理由で、ショッピングセンターやスポーツ施設などの広い土地を必要とする施設も郊外にできるようになる。それはここスーフォールズでも同じであった。

そこで翌朝(6月10日、日)、この日は日曜でもあり、まずサッカー場や各種スポーツのトレーニングセンターが集中しているところへ出かけた。施設はまずまずであり、それらをのぞき見程度に観察したあと、センター前の公園で本を読んでいた若い女性、シーナさん(28)にインタビューした(こういう時、妻と同行していると相手は安心してくれる)。

「こちらの高校を出てから、電子部品関連の工場で働きはじめたの・・・その工場が日本との取引があり、私は日本の九州の工場へ研修に行って、半年ほど福岡に住みました。日本人はみんな親切で優しく、とても楽しかった。会社の友だちとは仕事の後や休みには食べたり飲んだり、4月には満開の桜の下で宴会もしたけど、びっくりしたのは誰も政治のことを話題にしなかったこと。アメリカでも政治の話ばかりしているわけではないけど、集まれば、地元の知事選挙などでも親しい人だけではなく、他の人が混じったグループでも政治はどうあるべきか、だれに社会運営を託すべきかといったことが話題になるわ・・・米日のその違いが私には驚きでした。アメリカだったら、現に私の工場でもみんなが集まれば、次の大統領には誰がいいのかという話で盛り上がるわ。日本の工場でもパートの人が多くいるし、その人たちの生活が安定しているわけでもないのに・・・。もちろん、アメリカではツイッターやフェイスブック(Facebook)といった交流サイト(SNS)中心の情報に基づいた情報で議論しているにすぎないんだけど・・・ 
  
今の工場はまあまあの経営のようだけど、年収は2万ドル弱(200万円ほど)だから、ぜいたくなんて出来ないわ。別にトランプがよいとは思わないけど、ヒラリーでは今までと同じだから、いまの生活から抜け出したくてトランプでもいいか?と私は思ったの。でもあの人はテレビのワイドショーでは面白いキャラだけど、私たちの仕事の現場や待遇について関心があるとは思えない・・・状況が変わりそうにはないし、彼に期待して損したわ。アメリカではやっぱり特殊な技術を身につけているか、いい家に生まれて高い教育を受けないとチャンスというものがなかなか回ってこないの・・・」

たしかに現在の資本主義社会では巧妙に仕組まれた「経済的不平等Economic inequality」が進行している。もちろん、ロシアや中国などの旧社会主義国では別の意味での「社会的不平等」、汚職が横行する深刻な〈忖度社会化〉が現実にある。日米社会でシーナさんのいうような社会の仕組みに多くの人びとが気づきにくいのは「人は努力すればしただけの成果が得られる」という言い方の一面だけが教育でもメディアでも強調され、「努力しただけではどうにもならない」ことが多いという実態と「それを生み出す社会的仕組みに触れること」がある種のタブーになっているからだ。

☆フランスの経済学者、ピケティがいうように、世界中で金持ちたちが巨大資金を元手にその巧妙な運用で利益をあげ、貧富の差がますます拡大している。その仕組みから得られた収益は自分たちの仲間だけに配分され、その関係者だけの生活がよくなること、同時にその金をメディア操作にも使い、時にはメディア企業への投資をおこない、世論操作をしている。このことはパナマ文書に関わる報道で、税率の低いところに本社所在地を移すなどの手法で実質的「脱税」(彼らのいう「節税」をしていることの一部だけが明らかにされた。

また教育制度にしても、ハーバード大学などの授業料は日本の私立大学の3倍以上だが、それでも金融の専門家集団による資金運用で授業料のわりには学内施設がよいし教員の報酬も悪くない。しかも、大学全体の収益のうち授業料の占める割合は3割ほど。つまり、富裕層が金の操作によって社会的優位を保つ仕組みが学問の分野でもできているということだ。他の企業もそうしたやり方で資産を増やし、そのほんの一部をボランティア活動に寄付し、メディアがそれを取り上げ、対外イメージを「寄付社会のプラス価値」を喧伝するということを行っている。

そのことはNHKが放映したパリ経済学校教授、トマ・ピケティの「新資本論講座第5回」(←オンディマンドで視聴できる)でもデータを基に証明されている。同じことはクリントン政権時に労働長官を務めたロバート・ライシュの著書『ザ・ワーク・オブ・ネーション 21世紀資本主義のイメージ』中谷巌訳(1991)ダイヤモンド社刊、を読んでも分かる。

☆日本でいえば、ソフトバンクグループの孫正義氏がトランプ大統領、プーチン大統領、それにサウディアラビアの王様から信頼され、相互に親交があるのは4人には①金を増やし、②権力を維持するために従業員と国民を自らに奉仕させ、犠牲にすることなどなんとも思わないという点での共通性があるからだろう(街中のソフトバンク代理店勤務を経験したことのある元従業員の話を聞いてみよ!)。それに比べると我が国の宰相、安倍晋三氏はトランプとプーチンに利用され、そのことさえ自覚できない愚人であり、国民にとっては迷惑な「トンデモ人」というしかない。

本稿「米国横断の旅から、その11」はここまで。2017年9月25日記)
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アメリカ時代の「終わりの始まり」~米国横断の旅から、その10~ (シャイアン/ワイオミング州から大統領岩石彫刻のキーストーン、そしてラピッドシティへ)

シャイアンから次の目的地/宿泊地キーストーンKeystone(サウスダコタ州)に向かった(2017年6月9日)。街を出てしばらくは道路の両側に緑の草原が多かったが丘陵地に入るとしだいに寒冷高地特有の針葉樹林(マツやヒマラヤスギ類)が多くなった。今日の目的地では高校のときの教科書にも出ていた4人の大統領の顔が花崗岩の山の側面に直接彫られたラシュモア山が見られるということで心がはやった。

☆シャイアン(Cheyenne, Wyoming)~キーストン(Keystone, South Dakota)はUS-18 W、US-85 S、4WY-210 E 経由で4時間30 分、270 マイル(約430キロ)。

ラシュモア山史跡で4人の大統領に・・・

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写真1. 岩山に彫られた4人の大統領の顔:左からジョージ・ワシントン(初代)、トーマス・ジェファーソン(第3代)、セオドア・ルーズベルト(第26代)、エイブラハム・リンカーン(第16代)。 詳しくは https://www.nps.gov/moru/planyourvisit/index.htm

そのラシュモア山史跡にいちばん近い街キーストン付近には家族連れでキャンピングカーでそのまま宿泊できる場所が多くあり、その近くにあった小さな牧場のいくつかには牛にまじって黒いヒツジが飼われていた。アメリカへ来て以来、ヒツジの飼育を見たのはここが初めて・・・なぜだかわからないが、推定するに、キャンプ場利用者のバーベキューやジンギスカン料理として「役立っているのでは?」と勝手に想像した。宿泊ホテル前に着くとまだ6時で、日没までに2時間ほどあり、チェックイン前に、15キロほど離れた史跡見学を済ませておくことにした。

史跡訪問用に作られた道路を登りきり入り口に向かうと広い駐車場があり、表示では一台10ドルとなっていた。が、私の風貌を見た係員が私がなにもいわないのに、「シニアは5ドルです、同じ車でなら向こう一年間、何回来られても無料になります・・・」とナンバーを書き込んだ領収書をくれた。といってもレンタカーなので同じ車での再訪はもうありえない・・・と思った。が、その領収書が翌朝役立つことになった。

 というのは、山に彫られた4人の大統領の顔は西を背にして、つまり朝陽(アサヒ)を受けて輝くように彫られている。だから、この時刻では背後からの日光があまりもきつく、顔面が陰になり写真がうまく撮れないばかりか、まぶしくて肉眼でも見にくい・・・それでももう二度とここには来れないと感じたので、回りの他の観光客もそう思っているようでお互いに頼んで記念写真を撮りあった。しかし素人写真では調整がうまくいかず残念な思いが残った。そのため、退場するとき、入口のビジターセンター職員に「明朝は何時からオープンですか?」ときくと、「5:30からですよ」。ラッキー!と翌朝早起きして出直すことにした。同じ思いの訪問客が多いためそうした早朝開門措置がとられていることに感心した。

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写真2.翌6月10日朝の写真、朝6時過ぎにもうこんなに人がいる。

資料にはそれぞれの大統領の顔が8メートルほどもあり、足場を組み、不必要な大きな岩にはダイナマイトを使い、その他はツルハシとノミで彫刻したとある。そのため、直下には砕けた岩が残滓として今も残されていた(希望すれば、直下まで行けるツアーが組まれている)。事業そのものは専門家の指導で不況で仕事にあぶれた労働者の失業対策事業としてなされたといい、それらの関係者の名前まで記念館前の銅板パネルに記されていた。

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写真3.大統領を彫った労働者たちの名前。[ラシュモアの労働者たち1927~1941]とある。

☆ただし、この岩山は先住民族には神が住むところで、そこに人間が生活に必要以上の人工物を造るのは神への冒涜である・・・という訴訟が起こされている。ヨーロッパからの入植者とその末裔たちと先住民たちとの宗教と生活哲学の違いから来ていることでとても難しい問題である。

ネパール人経営のモーテル

宿泊のモーテル・ダコタカウボーイDakota Cowboy Innはキーストンの中心部をすこし外れていた。だが、この近辺にはラシュモア史跡訪問者が多く、この街を出ると次の都市ラピッドシティまでは田舎道がつづくためであろう、街中にやたらとガソリンスタンドが多い。1キロ平方ほどの場所に10軒以上あり、私たちが宿泊したモーテル前にもコンビニ併設のスタンドがあった。モーテルの経営者はチベット人で、その夫婦と話す機会があった。
「ラシュモア史跡を見に来る日本人にはあまり出会わない・・・だけど、ときどき、グループのツアーがあるときいている。日本人の多くはロサンゼルスやニューヨーク、ボストンなどの大都会のほうが好きなのかな?ここへ来るアメリカ人たちはもちろん、ラシュモア史跡に行き、自分たちの歴史を勉強しているけど、付近でキャンプや登山を楽しみ、2~3日ときには1週間以上も滞在していくよ。ここではトランプ大統領の話題はあまり出ないけど、個人的には好きになれないね。なんでも利益だけで考えるのがアメリカ的ビジネスだから仕方がないけど、彼のやり方は言葉でなんといっても、自分が有名になり、結局は自分とその仲間が金持ちになればいいのだと思うよ」

ラピッドシティのホコテンでは「ミセスコンテスト」も

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写真4.ラピッドシティのホコテン(歩行者天国)

この地域の中心都市ラピッドシティまではラシュモア史跡から車で田舎道を北上すること40分ほど。この日6月10日は快晴、しかも土曜日だったから街では各種の催しがあり、市教育委員会City School Administration Center近くがホコテン(歩行者天国)でいくつかの道路が車禁止になっていた。そこにはテントなどを張った軽食店や青天井でのドリンク売り場などが作られ、また「美人コンテスト」・・・といっても水着の若い女性がシナをつくるミスコンではなく、「ミセスコンテストMrs. Contest」などもあり、参加者が愛嬌を振りまいていた。

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写真5.右がMrs. ワールドコンテスト サウスダコタ代表

 私はかつてセイシェル共和国政府観光局日本代表をしていたとき、ミスインターナショナルの審査に関わったことがある。その時のパーティで、世界の「美女」の何人かとおしゃべりしたがたしかに会話はうまかったが紋切型で、おまけに近くで見るとあまりにもお化粧が濃くて、サイボーグのごとく「人工的」で、相手をしていても落ち着かなかった。だがここで出会ったミセスサウスダコタは気さくで、過剰な露出もなく、日常生活的で親しみが持てた。

「誰が大統領になってもアメリカはアメリカだわ、私たちの国は私たちがみんなで作っているの・・・ワシントンやニューヨークで何が起きていても地元がいちばん大事なのよ!トランプさんはやっぱり都会好きで金持ち願望、心の貧しい人かもね!」と笑いながらしゃべってくれた。聞けば、「ミセス」コン世界大会には日本からも参加があるという。

☆帰国してからネットで調べてみると、日本にも「一般社団法人 ミセス日本グランプリ」というのがあり、定期的に大会が開かれていた。それに応募できる「ミセス」としては次のように記されていた。
・現在ミセスである方、あるいは独身でもお子様を育てている方。
・現在独身でお子様が居ない方でも過去に結婚経験がある方。
・タレント事務所やモデル事務所と専属契約が無い方。
・2017年10月27日において30歳代・40歳代・50歳代・60歳代になられる方。

 この歩行者天国の設営はボランティアの人たちの協力によって担われていた。そのなかにユタ州の大学から夏季休暇で地元に帰ってきたケリー君がいた。彼のアメリカ政治観はこうである。「トランプが自分たちの大統領というのはちょっと恥ずかしい・・・だけど、今のアメリカ型選挙ではメディアを使ってうまく自分を売り込んだものが勝つわけだから仕方がない。でもこれまでの政治家たちが言ったりやったりしてきたことが人びとの間に受け取られたことが「印象として積み重なって」トランプが選ばれたのだから、それに不満であればつぎの選挙でベターな政治家を選ぶしかない・・・オバマが選ばれた時、彼がこれまでのやり方を変えてくれると期待した面があるけど、保険制度を含めた社会保障制度面や実質的な人種差別撤廃問題でもイスタブリッシュメント(既得権益層)にはばまれて中途半端になり、トランプがまたそれらをひっくり返している・・・これからアメリカはどうなるでしょうか?」と逆に聞かれてしまった。

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写真6. ホコ天手伝いの大学生ケリー君(左)、ラピッドシティにて

本稿「米国横断の旅から、その10」はここまで。2017年9月22日記)

アメリカ時代の「終わりの始まり」~米国横断の旅から、その9~ (ボウルダー/コロラド州から、ララミー/ワイオミング州経由、シャイアン/ワイオミング州へ)

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写真1.ボウルダー市内の朝(コロラド州Boulder

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写真2. コーヒーとサンドイッチで朝ごはん

この日(現地時間2017年月6日8日[木])の移動距離はララミーLaramie(ワイオミング州)経由で宿泊地シャイアンCheyenne(ワイオミング州)までというトータルで約260kmほど、3時間弱という比較的短いものだったので、ホテルを出て市内中心部でパーキング。朝食は街を歩きながら気に入ったカフェで・・・ということにした。冒頭の写真1・2で理解いただけると思うがこのボウルダーは散策にも最高の環境を用意している。
☆ボルダー~ララミー:2 時間 ほど、110 マイル(180km)US-287 経由
ララミー~シャイアン:1時間ほど、50.6 マイル(81km)I-80 E 経由

ララミーへの道路両側は草原と牧場

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写真3. ボウルダーからララミーへの道の両側には草原が続く。

ボウルダー(コロラド州)を出てしばらくするとララミーまでずっとフリーウェイの両側は緑の草原が多い。だが、放牧された牛がところどころで草を食んでいるだけで、馬はあまりみかけず、ニュージーランドとは違いヒツジは一匹も見られなかった(後に訪れる4人の大統領の顔が山の壁面に掘られたラシュモア史跡Mt. Rushmore National Monument 付近で黒毛のヒツジをすこし見かけたが)。この地を舞台にカウボーイたちが「仕事と恋」に躍動し、子供のころ興奮してみていたアメリカからの輸入映画「ララミー牧場」(LALAMIE)の情景とはまるで違う雰囲気であった。  

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写真4. おだやかに草をはむ牛たち

☆『ララミー牧場』(LARAMIE)は、1959年から1963年にかけてアメリカのNBCで放送されたテレビ映画の西部劇。60年代前半のテレビ西部劇の黄金期にローハイドと並んでもっとも視聴率が高かった番組で、日本でも大人気であった。主演はジョン・スミス とロバート・フラー。(参考:Wikipedia)

フリーウェイもまっすぐなところが多く、左右の緑の草原に癒されながら快適に運転できた。大草原の所どころに小さな電柱が立ち、細い電線が伸びている。そこをたどるとかならず、牧場主の家がある。あまり裕福とは見えなかったし、率直にいえば、あまり住みたいとは思えない情景であった。筆者は決して田舎が嫌いではない。しかしその情景は今日の「テレビの中のアメリカ」とも違うものであった。

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写真5. ララミー地区(郡、county)の牧場主の家

道路から仔馬が見えたので側道に車を停めて写真を撮っていると飼い犬が吠えたためか、ジーンズとTシャツ、50前後に見える男のひとが出てきた。「日本から来て、妻とレンタカーで旅行している」と柵越しに挨拶し、テレビドラマの〈ララミー牧場〉の話しを持ち出すと・・・

「あのロマンティックなテレビドラマは都会では評判になったようだけど、当時でさえ現実とはちがったし、今のここはあんな雰囲気などまったくないよ。あの頃だって、かっこよい西部劇なんてなく、テレビの中だけだよ。父親の代からここで牧場経営をやっているけど、だんだんと生活がしにくくなってきた。聞けば、オーストラリアなどの肉やヨーロッパの酪農製品のほうが安いから日本ではアメリカのものはあまり歓迎されてないらしいね。政府は自分たちのような小規模の牛飼いのことなどかまってくれないし・・・うちは昔から共和党支持だ・・・民主党政権ではなんにもしてくれなかった・・・共和党のトランプが大統領になって何か変わるかと思ったけど、彼はどうも政治をおもちゃのようにして遊んでいるだけで・・・結局、金持ちや教育の高い者たちには牧畜や農業の現場なんて初めから興味がなく、理解しようとも考えていないんだろうなー・・・」

とりあえずは「日本では牧畜はもともと多くはないし、あっても小規模だから、農業全体が安い輸入品などで大変で、仕事のきつさのわりに収入が少ないから、若い人で親の仕事を継ごうとする人は少なく、全体的に高齢化し、農村は疲弊している・・・」と答えざるをえなかった。「どこでも同じなんだな・・・」というあきらめぎみな返事であった。
 
「教育」はネイティブアメリカンの今日的武器~Battle of Two Hearts~

ララミーはアメリカ大陸の東西を結ぶ鉄道初期の拠点として栄えた街であり、後にその位置をシャイアンにゆずることになるが今もワイオミング州最大のララミー大学(学生数約13,000人)の本部学舎があり、それなりの活気がある。知人の紹介でそのキャンパスを歩いた。図書館や学生寮、食堂、それに教員ラウンジなどを参観したがどこも金がかかっており、アメリカの著名大学の学費が日本のそれの3~5倍である理由が実感できた。普通の家庭に生まれた若者は大学進学のローンを組むことが多いが卒業までに2~3千万円の借金をする。当然、返せなくなることが多く、それもまた今日のアメリカの貧富の差拡大の原因になっている。

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写真6.ララミー大学の豪華な教員ラウンジ

外へ出ると正門に向かって左側に薄い皮を鞍代わりにし、裸馬にまたがった男性の銅製彫像があった。一目でネイティブアメリカンの族長だとわかるいで立ちで、近づいてみるとその人物は勇者ワシェーキー族長で、台座に彼の言葉が刻まれていた。

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写真7. ララミー大学正面左手にあるワシェーキー族長の騎乗姿

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「私はこれまで自分たちの郷土、自分たちの水源、自分たちが狩猟をするための土地を守るために戦ってきた。だが、それらを守るための武器としてこれから私たちにとって必要なのは教育である」
 人間社会のこれまでの歴史が闘いのそれであったとしても、それだけでは人間社会の歪みは矯正できないし、進歩もない・・・ヘイトスピーチがいまだに続いていることの背景にはそのような現実があるのだろう。しかし現実に向きあいながら、理想に向かって進むことを静かに、そして真摯に考え抜き、行動に移すことによってしか明るい未来は見えてこない。それには人びと全体が社会を見る目を教育によって鍛える必要があるということだろう。
 ここララミーでは大学前のピザ屋でランチをとった。ここのピザもまた巨大!1枚で十分で、水を2本買っても全部で12ドル(約1,300円)。二人でもすこし残してしまい、夜食用に持って帰った。

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写真9.2人でも食べきれなかったピザ

シャイアンCheyenne (Wyoming)という街

ララミーからシャイアンへの途中までは朝来たのと同じルートを戻った。午後3時ごろであったが、来た時以上に大型トラック、トレーラーが多く、しかも同じ会社のマークを付けた車列が続く。晴れだったからよかったが雨なら大きなタイヤから飛び散るしぶきで運転がむずかしかっただろう。ここまで「ひょう」(hail雹)に一度見舞われただけで天候はおおむねよく幸運であった。
シャイアン市はワイオミング州の州都であると同時に、ララミー郡の郡都でもある。といってもワイオミング州は全米50州の中で最も人口が少なく、州都といってもその人口は10万に満たない。ネイティブアメリカンのことを調べたいと思い、まずララミー郡立図書館を訪ねた。日本の同規模の都市のそれに比べて、この図書館には書籍だけではなく、音楽や映画のCDも充実していた。また喫茶室やキッヅルーム、貸し出し用セミナールームなどが完備され、入口から反対側の喫茶室までの通路にはソファが置かれ、借り出した本をコーヒー片手に読むことができる。

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写真10.ララミー郡立図書館

外観からネイティブアメリカンだと分かる白髪の男性が静かに本を読んでいたので、「失礼ですが・・・」といって、ララミ-大学前のワシェーキー族長の話を持ち出し、すこし話を聞いた。いわく、「自分はシャイアン族だ・・・今のアメリカには法的には大きな差別はないが自分たちの立場はアフリカ系黒人たちと違い、もともとの土地所有者であったというプライドがある、それが災いして、現在の私たちには心理的にアメリカ社会に溶け込みにくい面がある・・・役所も自分たちについては観光面での売り出し方しか考えてはいないようで、若者が希望を持ちにくく・・・」とぼぞぼそと話してくれた。いわば、オーストラリアのアボリジニーのような悲哀を感じているようであった。

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写真11.シャイアンにあるララミー郡立図書館4階から州議会議事堂(中央の尖塔)を望む。

シャイアン到着の翌日、市役所や州議会議事堂周辺を散策しながら、役所へ書類を取りに来た白人女性(40代)にインタビューすることができた。

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写真12. ジョアンナさんとシャイアン市役所前にて

「私の一家は昔から共和党支持者でした。ここらあたりの多くの家庭がみなそうで、家では民主党の悪口ばかり・・・私はとくに今度のトランプが好きになれないから家では政治の話はできないの・・・」「日本ではどうなの?」と聞かれたので、日本のふつうの家庭ではあまり政治的な話はしないし、選挙でも業界団体やその種の関係者を除けば、あまり党派性はなく、〈無党派層〉といわれる人たちが半数以上だから、各政党とりわけ政権政党は大金それも政党交付金という税金を使ってメディア利用の世論工作をするという選挙活動をしている・・・アメリカでも北朝鮮問題がメディアの大きな話題だがいまのところ、日本政府は国際政治的にはアメリカの下請けをしているようにみえる」といっておいた。

追記:この項を書き終えたところで、安倍首相が北朝鮮のミサイル発射と核開発問題で、トランプ大統領との連携を強調した強硬姿勢を表明することで、落ち込んだ支持率を上げ、衆議院の解散を考えているという報道がいっせいに流れ出している。私のテレビ制作(「なるほど!ザ、ワールド」のセーシェル取材)でプロデューサーをしてくれた寺本俊司氏がブログにこう書いている。まったくその通りだ。

寺本俊司 9月15日 7:36 ·本当に着弾したら何の意味も無い国民を馬鹿にしたような警報、国民の事が心配ならサッサと北朝鮮に行って解決して来い!全部のテレビが大騒ぎ、この状況の方が空恐ろしい!こんな人災より迫り来る天災台風18号の方を騒ぎましょ!全く頭可笑しいんじゃないか⁉︎

(本稿「米国横断の旅から、その9」はここまで。2017年9月17日記)

アメリカ時代の「終わりの始まり」~米国横断の旅から、その8~(モルモン教本山都市ソルトレイクシティ/ユタ州からボウルダー/コロラド州へ)

 6月6日(2017年)、次の目的地ボウルダー(コロラド州Boulder)までは8時間ほどの長距離運転である(I-80 E 経由で530マイル=835キロ)。朝早く起きて、部屋でコーヒーを沸かし、前日にコンビニで買い込んだパンと野菜サラダで朝食をすませ、まだ見残しているテンプルスクエア付近の宗教関連施設を見て回った。州や市などの施設はその多くが豪華な近代建築か古い石造りの教会風のものであった。とりわけモルモン教を中心に街が動いている様子が事務本部棟やそこへ出入りする人たちのいで立ちを含め、全体の雰囲気として伝わってくる。

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写真1.モルモン教本部棟Saltlake Capitol Hill

 たとえば、上の写真(1)で見られる大会堂ホールや事務的組織の入った「ソルトレーク寺院」Saltlake Capitol Hillだがご覧のとおりの壮大さである。おまけにこのモルモン本部は日本でいえば、規模はもちろん、放送内容においても宗教・布教関連はわずかで、一般ニュースからスポーツ、エンタメ系のディスクジョッキーまでなんでもござれの番組を提供する、日本でいえば在大阪の準キー局規模の放送局Deseret Newsまで有している。

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写真2.一般放送局とほとんど変わらない番組を提供するモルモン教のDeseret News社

ボウルダー(コロラド州Boulder)へ到着(6月6日)

 ソルトレイクシティ内をあれこれ見ているうちに時間がたち、そこを発ったのは昼過ぎになり、つぎの目的地ボウルダー(人口約9.5万)に着いたのはすでに午後10時すぎで、アメリカへ来て初めてライトをつけて走ることになった。
 今回、この地を訪問地の一つに選んだ理由は、アメリカの高級住宅地、避暑地、世界の長距離走アスリートたちの高地訓練地として日本を含め世界的に知られていること、州内最大の大学・コロラド大学ボウルダー校があるなどからいきおい、学生と高学歴者が多く在住し、アメリカ政治についてのインタビューをするのに欠かせない場所だと考えたからである。加えて、10年ほどまえになるが州都デンバー在住の知人(後述)の案内で一度おとずれたことがあり、街の雰囲気が気に入り、今回は2泊することにした。

☆ボウルダーの標高は1,655m、今年も5月初めまで通過予定の道路には雪が降っているという気象情報があった。しかし到着してみると山地にはまだ雪が残っていたが、市内は暖かく、25度ほどもあった。翌朝起きるとホテルの回りには春の花が咲き、天気もよかったから、プールで泳ぐことになり、さっそくアスリート(スイマー)の気分を体験できた。

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写3. モーテルだけではなく、シティホテル一般のプールもこんな感じ(ボウルダーRodeway Inn and Suites Boulder Broker)。

☆コロラド州にはもう一つ、世界のアスリートと競技関係者が集まる場所がある。ボウルダーからデンバー経由で南へ下ったコロラドスプリングスColorado Springs(標高1,840m)で、アメリカオリンピック委員会(USOC)本部があり、各種スポーツトレーニング施設がそろっている。ここを利用する日本の競技団体も多い。
☆なおこのボウルダーの日本での姉妹都市提携先は山形市だという。もう30年以上前、「姉妹都市と国際交流」についての本を書こうと300枚ほど原稿を書きためたが、今になって見えてきたことも多く、時間ができたらまとめたい。

ビル・マッキーさんと政治談議

 ボウルダー到着2日目の夕方、旧知の友人のビル・マッキーさんがホテルに迎えに来てくれ、彼の案内でボウルダーの目抜き通りにある日本風炉端焼きレストランで歓談となった。

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写真4. 日本風炉端焼き店でビル・マッキーさんと夕食して歓談

 ビルさんはビジネスをやりながら、日本社会、とりわけメディアと宗教の平和活動への関わりについて研究し、日本にも何回もきている。その関係で筆者は日本メディアのヘイトスピーチ問題での国連記者クラブ(ニューヨーク)会合や京都や東京での研究会でもつごう10回ほど出会ってきた。そのビルさんがいう。
「ボウルダーの街の特徴はコロラド州一番の大学(ビルさんもここの出身)があり、私もこの街で下宿しながら通いました・・・ここは観光客を除けば、学者たちと学生、その頭脳集団を利用したいビジネスがらみの集団で形成され、ここではどこへいってもトランプ大統領が好きなひとをさがすことはむずかしい・・・ここの人たちの関心はトランプがいつ大失敗をして大統領職から転落するかです・・・だから、治安がよく、豊かで落ち着いた生活がふつうにできているここだけを見ていてはアメリカ社会はわかりにくい・・・今のアメリカには生活が苦しいことから逃れられればどんなことでも正当化する人たちが増え、都市の富裕層への憎しみを持つ人がトランプの表面上の言動を結果として支えている、それらの人たちはトランプの発信するツィッターで社会を理解させられており、地球温暖化問題でもパリ協定離脱がどういうことなのかを考えようとはせず、実際には徐々に進行している「温暖化」などは考えたくはなく、信じることなどない。たとえそうした考え方を耳にしてもその原因を科学的に理解しようとしないし・・・理解するためのチャンスさえない・・・その反対にここボウルダーの人たちの大半がトランプを馬鹿にして、相手にしないから、トランプは中間層で常識的な判断ができるひとが社会の多数ではないことをいいことに好きな行動ができている・・・これが現代アメリカ社会の分断の実相でとてもむずかしいところです」

コロラド大学ボウルダー校学生とのインタビュー

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写真5. コロラド大学キャンパス

宿泊したホテルの道路を挟んだ向かい側がコロラド大学であった。すでに夏休みに入り、キャンパス内を歩く人も図書館で勉強する人たちもまばらであったが、男女2人の学生がインタビューに応じてくれたのでとそれぞれ30分ほどおしゃべりした。

女子学生との対話

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写真6. カナさん(左、看護学専攻生)

「自分(カナさん)はここの3回生で看護学を勉強しています。父は台湾出身、母方は日本からの移民です。日本語はすこししか話せませんが行ったことがあり、一回で大好きになりました・・・トランプ大統領ですか?あんな人がアメリカの大統領になるなんてちょっと恥ずかしいです。でも彼を選んだひとたちの気持ちもわからないではありません。今のアメリカはみんなが勝手なことをいい、勝手なことをやっている気がします。私が大学で看護学を勉強しようと思ったのは生活のレベルから多くの人に接し、そういう人たちのために働きたいと思ったからです」

男子学生との対話

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写真7.ジョン君(右側、経営学専攻生)@コロラド大学ボウルダー学舎

 大学ゲートを入ると右側に学生・教職員共用のフィットネスセンターがあり、そこを覗いてみると受付アルバイトをしていたジョン君がひまそうにしていたのでおしゃべりすることにになった。
「自分はデンバー生まれだけど、先祖はアフリカからです。ここボウルダーはリベラルで人種差別はあまりなく、生活がしやすいです。裕福な家庭出身の学生たちの多くは故郷に帰ったり旅行に出かけたりしているけど、自分は早く独立したいし、学費が高いからこうしてアルバイトをしています。トランプ大統領はいったん選ばれたのだからアメリカを代表して活動するのは認めざるを得ない・・・だけど、あの政治のやり方mode of operating politicsがアメリカの民主主義だと思ってもらいたくはないよ。アメリカはネイティブアメリカンの土地を最初はヨーロッパの移民が奪い、アフリカ人奴隷を利用しながら金を儲け、次第に世界中の覇者になってきました・・・ヨーロッパ列強が南北アメリカを支配するようになったのはみんなそんなやり方でした。その意味では、アメリカは現在のグローバル社会の実相を表しているモデルともいえるでしょう、その善悪はべつにして・・・」

ボウルダー市民たちの夕刻の楽しみ方

 街並みは美しく、治安もよいから、散歩中心地区ではゆったりとカフェでくつろいだり、散歩を楽しむ人たちが多い。夜はいろんな出し物があり、歌やダンスなどに興じる人たちも多い。


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写真8、9. 平日の夜でも観光客も交じり、ストリートパフォーマンスなどでにぎわうボウルダー市内

 ☆このような雰囲気がここの一般的印象だが、今回はそうした中に物乞いをする「妊婦」ホームレスが居てびっくりしたことは前に記した(本稿第4回レポート)。

トランプ・安倍晋三・金正恩(キムジョンウン)の政治的類似性:ビル・マッキーさんとの会話の続きから:

 ビルさんとはアメリカと日本を含む現代世界政治の運営特徴についての議論もしたが、私たち二人の結論はすくなくとも政治のやり方については日米だけではなく、北朝鮮のそれも似ている部分があるのでは?ということになった。トランプ大統領と安倍晋三首相は北朝鮮の核実験やミサイルを取り上げて、そこだけに人びとの関心を歪んだ形で集め、人びとが自分たちの生活の視点からその質的向上をきちんと考え、政治家たちに要求することを困難にしている・・・つまり執権層は人びとのまともな思考回路をあらゆる方法で遮断しているという点では金正恩とも結果として連携しているのではないか?と。
 金正恩が異母兄half-brotherを、その前には叔父を殺したのは自分の立場を安定させるためだけの残酷きわまることだが、「殺し」という物理的行為だけをとってみれば、アメリカでもロシアでも時の権力につごうの悪い要人を外国でも自国でも暗殺することぐらい平気でやってきている。トランプと安倍晋三が「愛国者」のふりをして「うそっぽい」言葉を吐き、それに対抗する金正恩が同様の言動で繰り返し反論するパターンは「明白なお芝居」で、いずれも人びとが生活の場から社会の質的向上問題に立ち向かうことを妨げている・・・、それは軍需産業だけではなく、社会の実質的コントロール層を喜ばせ、そのことに人びとが気づくことを抑え、自分たちの立場の安定を謀ってはかっているのではないかと。また3人とも、仲間内だけを大事にそれらの人たちの利益の露骨な優先によって、それにあずかりたい人たちをひきつけ、支配力を強化している、それこそ究極的な「利権誘導」「忖度社会」ではないか・・・。

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☆このことがどれほど社会益を害し、歴史を逆行させてきたか。それは日本でも目立たないかたちでずっと行われてきた。そのことはかつて政府税制調査会会長を務め、保守的論客として政界にも大きな影響力をもった元慶応大学教授、加藤寛が書いた本『公私混同が国を亡ぼす 政・官・業の改革を阻むもの』東洋経済新報社(1995年刊)に体験的に書いてある。安倍晋三と森友・加計両学園問題はそうした仕組みのほんの一部だけを露見させているにすぎない。

本稿はここまで。2017年9月14日記)



アメリカ時代の「終わりの始まり」~米国横断の旅から、その7~ (エルコ/ネバダ州からモルモン教都市ソルトレイクシティ/ユタ州へ)  

フリーウェイ(高速道路)の両側に広がる塩湖の風景

 6月4日(2017年)、エルコを出てしばらくすると砂漠地帯に入る。ときおり、道の両側に「軍所有地」と英語で書かれた看板を見るようになった。ネバダは日本に落とされた原爆実験場があるところで、これまでアメリカが行った300回以上の原水爆実験の多くがここで行われのだと実感した。実験そのものはビキニ環礁などでも行われたが秘密保持のためには国内でのほうがよかったし、原料のウラン235もこの地で発掘できたことにもよる。

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写真1.エルコからソルトレークシティに向かう道路の両側に拡がる真っ白に乾いた塩の平原

 つぎの目的地、ソルトレイクシティ(直訳すると「塩湖都市」、ユタ州)に近づくと、フリーウェイ(Interstate 80)の左右両側に塩が干上がって真っ白になった地域がしばらく続いた。筆者は都会としてのソルトレイクシティにはもう20年も前、国際財団が企画し外務省が後援した「日本メディアはどこまで信用できるか」という連続講演の1つをここの商工会議所ホールでしたことがある。そこへ聴講しに来られた日本語新聞の発行者から「(この地での)新聞発行でいちばん苦労するのは経営問題ですよ」と言われたことを思い出し、日本新聞界の窮状に思いを重ねた。そのときの訪問はポートランド(オレゴン州)からの空路での往復だったから塩湖のことは実感としてはない。しかし今回は陸地を這うレンタカー移動だったから、その地名の由来を「なるほど!」と納得することになった。

 ☆エルコからソルトレイクシティまでは3時間あまり、ランチもゆっくりできた(アメリカの高速道路出口付近にはたいていレストランがある)。宿泊のモーテルにも夕方早めに着いたから、ホテル内にあるプールですこし泳いでリラックスした。日本では自宅近くにあるスポーツジムに通い、25メートルの温水プールで年中泳いでいるが、ここのは10メートルほどの家族向けレジャー用で頼りなかった。それでも一定姿勢の運転で一部しか動かさないこわばった体をほぐすことができた。

  ☆チェックイン時にホテル従業員から注意されて気づいたのだが、エルコとソルトレイクシティとの間には時差が1時間ある。オマハ(ネブラスカ州)からの帰国日までにもう一度時差調整ラインがあり、アメリカの大きさを思い知らされた。

 さて、着いたソルトレイクには酒もたばこもやらないことで知られる末日聖徒イエス・キリスト教会(通称:モルモン教)の総本山がある。人びとはとても勤勉で、荒野を開拓しカリフォルニアから馬車で花崗岩を運び、30年以上をかけ教会を建設し、そのテンプルスクエアを中心とする現在の高原都市の基礎を作り上げた。彼らはヨーロッパからの移民のなかで宗教に関わった人たちの一部だが、政治的には保守的な共和党色が強く、多くのガイドブックにはこの地に移住してきたモルモン教徒にその辛苦を耐えさせた宗教がこの地をアメリカの資本主義・保守主義の原点にしているなどと書いてある。移民してきたヨーロッパからの人たちは時代的にも社会的特徴としても大きく2つに分かれる(他にもそれらの人たちが底辺労働者として利用したアフリカを中心とした奴隷黒人がいるが後で触れる)。第1は、アメリカ大陸に権威主義的カトリック的ではなく、新しいキリスト教=プロテスタントによって新天地を創造しようと燃える思い(=勝手にそう考えた部分がある)で渡ってきて、その多くが現地の先住民/ネイティブアメリカン(通称:インディアン)にも布教した「清教徒」と呼ばれる初期の人たち、第2は、故郷が貧しくて、アメリカ大陸に新天地を求めざるを得なかった、主として東ヨーロッパ諸国から人たち・・・である。

 大聖堂の近くのパーキングに駐車して(料金は1回5ドル)、教会エリアに入った。別料金を払うと教会の建物内部にも入れるが信者でもないからやめて、付近を歩く、ジョージアから来たという、上品な60代夫婦にトランプ政治についてインタビューした。いわく、「自分たちは共和党を支持してきたから、民主党オバマ政権は頼りなく政権が共和党に代わったのはよかった。だけど、トランプ大統領にはやることに一貫性と合理性がないnot consistent and not systematic 。しゃべりがうまくテレビで有名になっただけの人間には大国アメリカのかじ取りは無理だね・・・」と手厳しいものであった。

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写真2.モルモン教各種施設の並んだ地区は「テンプルスクエア」と呼ばれ、中心に大聖堂がある。

 さて、入植がどこからであろうと、またその動機がどちらであってもやわなことで新天地など拓けるはずはない。明治以降、真珠湾攻撃の1941年までにアメリカやブラジルに渡った日本人にも同じことがいえ、その多くは日本での生活が貧しく、「見知らぬ土地に夢の実現をかけた(かけさせられた)。また1930年代に開拓民として満州などへ渡った(政府によってそう教育され仕向けられた?)農民たち(計約30万人=満蒙開拓団)も目的地(旧満州地域)には自分たち用の「家と土地がある!」(実際には中国農民から奪うことになった)と思い込み、日本での貧しい生活から逃れようとした点では同じであった。だが、彼ら開拓農民の活動は当時の日本政府と軍部による旧満州地区への侵略の先兵役を担ったものであり、現地の中国人から見れば「731部隊=関東軍防疫給水部」による中国人を人体実験材料にしてまで中国支配を試みた勢力の「別動隊」とされた人たちであった(ただしそれらの農民は昭和恐慌による貧しさはあったが宗教的背景は希薄であった)。

 それら開拓民に対する現地中国人の思いは今も複雑で、その意味でも今回のアメリカ旅行で知りたいと思い、先住アメリカ人の多い街、ララミーやスーフォールズを訪れたときに出合ったネイティブアメリカ人たちとも繋がるものがあった(後述)。

ソルトレイク市内とユタ州議会

 シティ到着翌日昼前(6月5日)、知人と約束していたユタ州議会庁舎を訪れランチをした。この州の人口はおよそ300万、州都ソルトレイクのそれは20万ほどである。しかしこの州はかなり豊かなようで、筆者の住む滋賀県庁と比較して、その庁舎は外観こそ地味であったが(写真参照)、内部の通路には絨毯が敷かれ、ゆったりし、豪勢で、建物内全体に一流ホテルのような豪華な雰囲気が漂っていた。また建物に囲まれた中庭は手入れが行き届き、カンナなどの花が咲き、噴水が吹き上げ、じつに見事であった。

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写真3.ユタ州議会庁舎

 庁舎内はどこも豪勢なつくりだったし、1000~500人規模の宴会のできるボールルームがいくつもあった。また行きかう正装のサービス担当者がみな笑顔で挨拶してくれるから、旅行いで立ちの私たち夫婦は文字通り「異邦人」であった。

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写真4.ユタ州議会ゲスト食堂でランチをしたがハープの生演奏付き、向こうにはシャンデリア。

 ランチだったから、オーダーは野菜サラダとハンバーガーにしたが、そのレストランでは蝶ネクタイをしたウエーターがサービスし、入口の内側には女性ミュージシャンがハープの生演奏をしていた。合間に話しかけると音楽学校を出たばかりだがプロとしてやっているということだった。

 ☆もちろん、このソルトレイクにも肉体労働者階級はいるし、外観でそれとわかる人たちも多い。モーテル近くのコンビニ横手ビルには質屋(pawn-broker)の看板もかかっていた。それぞれに生活で精いっぱいで、コンビニなどで買い物をする人たちには「裕福そう」には見えない人も多かった。しかし、2泊3日の短時間ではあったが車で街中を回ったかぎりではこれまでの訪問地ではときおり見かけた「ホームレス」風の人には出会わなかった。

ボウルダーの手前でヒョウhailstormの襲撃をうけた!


  6月6日、ソルトレイクシティを出て快適なドライブを続けたが次の目的地ボウルダー(コロラド州Boulder)近くにくると、突然に前方の空に暗い雲が増え始め、その中央だけが縦に真っ白になって近づいてきた・・・と思うと突然、車のフロントガラスに1.5~2cm大の氷の塊がものすごい音を立てながら猛烈な勢いでぶつかり始めた。ヒョウhailstormであったがこれまで日本で数回、経験したものは2~3mmのもので、いわゆる「アラレ」hail。

 これほどの大きさのものは初めてであった。他のアメリカ人たちの運転する車も事故を恐れて次々と右側の路肩に緊急停止してやむのをまった。私たちも車のガラスが割れたらどうしようか?と一瞬心配した。ところがそうした中を巨大な運送用トラックが平常通り高速道を駆け抜けていった。日本でもアメリカでも到着予定時間に荷物が届けられないと仕事にならない運送関係者/の実情をあらためて知ることになった。止んでから車を点検したが窓も屋根も傷つかず大丈夫であった。

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写真.5 ソルトレイクからボウルダーに向かう途中で2cm大のヒョウhailstormに襲われ、思わず路傍で駐車、止むのを待った。

豊かな社会とは?そして、今問われる「何のための豊かさ」?
 
 1950~60年代、「社会的性格理論」の確立者として、アメリカ社会学界だけではなく、日本をはじめ世界的な影響を与えた社会学者にデイヴィッド・リースマン(1909~2002年)がいる。彼は『孤独な群衆』(1950年刊、ネ―ザン・グレーザー、デェル・デニ―との共著、初和訳は55年、加藤秀俊による改訳は64年)という本で、当時の「豊かな」アメリカ的産業社会を支える中産階級を①家族②周囲③マスメディアとの関係から分析し、その特性を「他人指向型」outer-directedと名づけた。それは社会の垣根を超え、現代人の特徴としてマスコミを含め各方面での流行語となった。
そのリースマンが続いて書いて評判になったのが『何のための豊かさ』(原著1964年、和訳は68年)で、そのタイトルそのものが当時の米国社会の最大の現象と解決すべき社会的課題を示すものであった。それは今日の世界の富裕層の存在が社会の平和と安定に役立っているのかという設問を立てたときにも私たちが真摯に取り組まねばならない仮説を提起している。そのことが今回のアメリカ旅行で私自身が「メディアの社会的責任」として考えざるをえなくなった課題でもあった。

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写真6.D.リースマン著、加藤秀俊訳(1968[64])『何のための豊かさ』みすず書房


 筆者がそのリースマンの『何のための豊かさ』Abundance for What? に最初に出合ったのは1966年で、後にそれを日本語に訳した加藤秀俊先生が京都アメリカ文化センターで「アメリカ社会論」セミナーの講師をしておられ、そのセミナーを受講していた筆者が、加藤先生によるみすず書房からの翻訳作業の一部として、当該書の「註」部文の訳を私に依頼された時である。当時の私は同志社大学英文学科の3回生で、加藤先生はその訳者あとがきに「註の訳は、同志社大学学生の渡辺武達さんにおねがいした」(同書p.316)と書いてくださった(そのことから、以後、私自身が自分の著書、編書などに手伝ってくれた学生、院生たちの名前をかならず記し、謝礼も支払うようにしている)。またそのご縁で、そのころ、同志社大学での学生自主組織アジア研究会公開講演会にリースマン先生がメッセージを寄せてくれたこともいい思い出になっている。

 さて、あらゆる国、あらゆる政治家たちがスローガンとして、社会の「豊かさ」を目標に掲げているが、彼らのあいだで『何のための豊かさ』ということがまじめに議論されているとは思えない。アメリカでも日本でも政治家たちはそう言いながら、それが何のためで、どういう状態をいうのか?を具体的に説明せず・・・というよりも意図的にその議論を避け、情緒的にごまかしている。

 Abundance for What?それには多様な答え方とレベルがあるだろうが、筆者にとって「豊かな人間社会とは利他主義(altruism)と悪に対する懲罰主義で結ばれる人間社会」のことで、そうした社会哲学(倫理観・歴史観・世界観)が社会運営思考の基底になければ話にならない。リースマンはその著の第1部11章を「豊かさのゆくえ」とし、アメリカの豊かさの源泉を軍事産業の隆盛に見ており、奢侈と軍事産業依存経済に批判的であったG・ハンフリーを評価していない。氏の論では米国経済はもたない・・・と考え、その原因を「アメリカはひと昔まえの社会思想にある福祉と正義のレベルの実施を延期してしまった」と記した。加えて、「実際、ものを持つことのよろこびというのは歴史を通じて、まわりに貧しい人びとがたくさんいたからこそ得られたものなのであった」といった記述もまた、残念ながらアメリカの・・・というよりも、これまでの社会集団のいずれについていえることなのだろう(その意味では先にふれた高級住宅地ボウルダー(コロラド州Boulder)で見た妊婦ホームレスも社会維持に役立っているかもしれないという人間の弱さの典型例かもしれない、本稿その4を参照)。

 ☆メディア学における筆者の大学院時代からの師匠は和田洋一、城戸又一、鶴見俊輔の3人で、まだこの訳書に関わった頃は鶴見による大教室での講義を受けていただけで、それらの3先生とは個人的な接触はなかった。

本稿はここまで。2017年9月7日記)

アメリカ時代の「終わりの始まり」~米国横断の旅から、その6~ (エルコElko/ネバダ州で途中泊してモルモン教の総本山ソルトレイクシティへ)

権力者たちの茶番劇
 
8月29日(火)早朝、またまた北朝鮮(DPRK朝鮮民主主義人民共和国)がミサイルを発射した。しかも今回は日本の北海道上空を飛び越え、日本にとってきわめて危険だということで、政府はただちにJアラート(警報システム)を使って関係自治体にその発射を伝え、NHKを中心にテレビなどがそれに呼応、関係地区では新幹線や通常列車まで止まった。

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写真1.北朝鮮ミサイル発射を日本政府/米軍が探知し、その警報を流すNHKニュース(29日朝)

本稿第4回でも書いたが、北朝鮮による自国民への弾圧政治は当然非難されるべきだが、北朝鮮の玄関先で北朝鮮を攻撃するための軍事演習を繰り返す米国と韓国(ROK大韓民国)、それを政治的にだけではなく、自衛隊に対応させ、北朝鮮をつぶそうと威嚇する側が批判できるのか?じっさい、北朝鮮国民は可哀想な状態にあると私も思うがそれを批判する側による「世界の軍事支配性向」の強化にも同様の問題がある。すくなくともマスメディアはそうした構図の実相を報道しなければ、北朝鮮だけがワルになり、「あらゆる選択肢はテーブルの上にある」というトランプ氏や「北朝鮮の暴挙は許されない」と叫ぶ安倍晋三氏が正義の人になってしまう。それこそ、カリカチュア(風刺マンガ)で、世界平和実現への方向とは違うものだろう。

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写真2. 避難訓練する小学生たち(TBSテレビから、30日)

またそんな情報に踊らされ、まったく役に立たない「避難訓練」が繰り返されている!そうして恐怖心を植えつけることは安倍政権支持者が増えることにつながり、日本の国防費の拡大を支えるから、日本の財界が大喜びして保守政治家たちをますます支えようになるということにすぎない。この構造は3.11震災後に好景気に沸いているのが大手建設業界であることを知れば納得がいくであろう。

☆ 原爆(核兵器)はドイツから亡命してきたユダヤ人学者たちを使ってアメリカが真っ先に製造し、ソ連がそれに続いた。その後、中国やその他の国々が国際社会での発言権確保のために核クラブ入りをし、その枠組みでの世界支配をするための「必需品」であった。私は、1975年に初めて北朝鮮を訪問したが、その時、日本から「祖国」に帰国したある青年から日本にいる両親あてに「手紙」を持ち帰って欲しいと頼まれた。しかもその依頼された場所はピョンヤンのある施設のトイレの中であった。そのとき、私は北朝鮮の思想統制の激しさ、「言論・表現・通信の不自由」など露ほどもないことを知った。

さて、現在の国際秩序は核とその運搬手段所有の2つによって支えられているものだから、「のけ者にされたくないが・・・かといって、核クラブにも支配されたくない・・・」とある国が考えれば、現代の世界政治力学ではその国は核兵器を保有し、その運搬手段を独自開発せざるを得ない。日本の場合は、アメリカによる支配に隷従することを選び、中国の場合はそれがイヤで、いくら批判されても核爆弾の開発を継続し、核の先行保有国である米・英・仏などからその枠組みでの「大国」としての地位を与えられ、米ロと対等に渡り合えている。

つまり、安倍氏のような口先だけの「核不拡散」ではなく、核廃絶による世界秩序の再構築の方向に向かうことでしか恒久平和への道は開けない。その点でも「汚職と忖度、利権行為・・・など」、やりたい放題の安倍政権と財界、高級官僚の腐敗構造が現在の日本社会の末端まで及びつつある。それは森友・加計(かけ)学園問題、地方自治体首長や議員の腐敗だけではない。それらの問題で「記憶にない」「事実とは確認できない」などと国会審議で言い続けた現国税庁長官など例を挙げるまでもない。だから、テレビや新聞も北朝鮮のミサイル発射や地方議員とアイドルの不倫・・・などにかまけている場合ではなかろう。

ちなみに「安倍政権応援メディア」として知られる読売新聞8月30日付(朝刊)は全32頁のうち、8頁にこの「北ミサイル通過」について書いている。そして一面トップ記事の見出しが「北ミサイル通過〈暴挙〉」「首相〈圧力強化求める〉」「安保理緊急会合へ」、社説の表題には「日本通過は許されない暴挙だ」「国際社会は新たな脅威に警戒を」とある。

☆ソフトパワー論で知られる国際政治学者のジョセフ・ナイ(元ハーバード大学教授)が8月28日付読売新聞朝刊、つまり北ミサイル発射前に書いた原稿に「欧州のトランプ観、 不人気だが〈良い大統領〉」という論を展開している。ト氏がEU(欧州連合)をバカにし、温暖化対策のパリ協定離脱を表明し、「アメリカファースト!」と叫ぶたびにヨーロッパの政治家と国民は団結するから・・・というわけだ。しかしナイ氏も日本では誤解されている。彼は軍事力を背景とした国がその他の政治や文化といった他分野で他国、他民族の尊敬を集めることによって社会的地位を高めることを同時にやるべきだという「変形軍国主義者」だからだ。彼は日本では「力よりも平和的手段で・・・」主義者と誤解されている。その点で、私はナイ氏が好きではないが、彼程度の国際政治力学の読み方でさえ日本のマスメディアには難しいことも事実だからなさけない。

本稿執筆の動機と視点:
「アメリカは大きな国でどこを切り取るかによって見えてくるものが違う・・・」というコメントをある方からいただいた。まったくその通りである。本稿は、初回に書いているように、アメリカ社会の概論ではない。トランプ氏の選挙活動と大統領就任前後とこれまでの実相を日本人の観点から現地に探ろうとしたものである。

筆者はこのブログの著者紹介にあるように、「メディアの社会的責任」についての研究者である。その観点からみて、米国の新大統領トランプ氏とその政治行動についてのマスメディア報道(アメリカも大なり小なり同じだが、日本のメディアではとくに)は日米関係の重要性にかんがみ、読者・視聴者がその問題点を包括的に理解し、自ら適切な社会行動を起こすために役立つものになっているのだろうか?この設問を立ててみるとはなはだ疑わしく、どうも自分でアメリカを歩いてみて確かめてくるのがイチバンではないかと考えざるを得なくなった。

筆者はアメリカに何年も住み、その日常生活を「肌感覚」で経験したことはない。しかし、平均すれば年に一回、トータルではもう50回ほどの訪米体験がある・・・英語力についても言いたいことがだいたい言え、書けるし、聞くことも出来る・・・今回のようにレンタカーを借り、フリーウェイでガソリンを入れながら移動、インタビューをして歩いても語学的にとくだん困るようなことはない。また、2001年にはハーバード大学エドウィン・ライシャワー研究センターの客員研究員Visiting Scholarをしていて、同大学ニーマン・ジャーナリズム研究所(ウォルター・リップマン・ハウス)の各種勉強会にも出席し、関心をおなじくする世界各地からの人たちとの談笑から得るものも大きかった。

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写真3. ハーバード大学ライシャワー研究所における筆者、渡辺武達の研究発表掲示

《本文》

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写真4.ラスベガスは砂漠の人口都市だがリノは緑豊か(ホテルの窓から)

前回レポートしたリノにあるのはカジノだけではない。そこに2泊したが、カジノ地区から1キロも離れていないところにはネバダ大学リノ学舎があるし、市内にある自動車の発展史を実物展示している「自動車博物館」なども見学。その間にヴァージニアシティなども訪れ、そこから、次の目的地であるユタ州のソルトレイクシティとの間にあるエルコ市に向かい、途中泊した。

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写真5. ネバダ大学リノ学舎図書館前に咲くシャクナゲ

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写真6.自動車博物館入口に置かれたスポーツカー「コルベッティ」、入場者に当たるという。どこまでもカジノ都市だ。)

アメリカ入り以来、天気は連日の快晴で、風もおだやか、昼間の気温は平地で25度前後。ここでも快適なドライブで夕刻に、フリーウェイ出口近くに予約したエルコのモーテルに入ることができた。この経営者はネパール生まれの移民(米国永住権取得)で従業員もほとんどが同国出身者。20年近く前、全電通近畿(NTT関西関係企業の職員労組)が財政負担、筆者もアドバイザーの一人として建設事業に参加したネパール子ども図書館(Nepal-Japan Children’s Library)のことを従業員の一人(女性)が知っており、話がはずんだ。当然、トランプ大統領についても意見交換することになった。

 オーナーを含め、3人の意見をまとめると、①トランプ氏はカジノ付きホテル、高級ゴルフ場の経営者であり、企業家志望の若者を茶化すテレビ番組で有名になっただけで、アメリカ社会の将来をまともに考えてはいない、②東部のエリートを中心としたイスタブリッシュメント(既得権益層)がトランプ政治を邪魔しているという人がいるがそうかもしれない。しかしト氏の「アメリカファースト」政治が貧困層を少なくするとは思えない、③アメリカ社会は自分たちのような移民がいなければ動かないのに、彼の政治はその事実に目を向けない非現実的なものだし、彼の政治は貧しい者たちをますます貧しくする・・・。

☆アメリカ料理の定番、ステーキの大きさについて
ヴァージニアシティでのランチ時のハンバーガーが巨大であることに触れたが、ここではこの国のステーキの大きさについても書いておきたい。

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写真7.手前左がステーキ、右がその添え皿。上は妻がオーダーしたシーザーズサラダ。

これ(写真7)はソルトレイクシティに向かう道路(80号線)沿いのチェーン店で食べたTボーン(真ん中上部に骨がついている)だが、600gほど。右側の添え皿がつき、妻が頼んだ上部のシーザーズサラダ(鶏肉とチーズが野菜の上に山盛り+スープ)と合わせて27ドル(約3,000円+チップが3ドル)。自宅のある大津市内にも有名な「肉食堂―最後にカツ」があり、200gで800円だが、私はランチに400gに挑戦したことがある。だがその日は夕食をあまり食べられなかった。一度、サッカー部員のゼミ生を連れて行ったが彼は600gをたいらげた。

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写真8.スーフォールズ(サウスダコタ州)で食べたリブステーキ、大きなものが3枚も。

これは後半に訪れたネイティブアメリカンの街、スーフォールズで注文したリブステーキ(あばら骨と肉が合体したもの)で、重さは1kgはある・・・が肉はその半分程度か?それでも、3枚のうち1枚は残した(北米アメリカでも中米ホンジュラスでも、アジアのホンコンなどでも残したものはパックしてもらって持ち帰ることができる)。

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写真9.南米ホンジュラスの首都テグシガルパで出てきた1kgのステーキ(2017年7月22日)

アメリカレンタカー旅行(17.5.29~6.14)の翌7月、国際メディアコミュニケーション研究学会で、カルタヘナ Cartagena(南米コロンビア)を訪れ、その後、日本大使館関係者に知人のいる中米ホンジュラスの首都テグシガルパTegucigalpaを訪れた。そこで出てきたビフテキの大きさは優に1kgはあり(写真9)、さすがにこれも食べきれず、3分の1ほど残した(この国でも食べきれない分はプラの箱をくれるので、その知人は自宅へ持ち帰った)。

☆アメリカ人は太り過ぎだといわれ、国内でもそうした医学的キャンペーンが行われ、街中でも優に130kg以上あると推察される人がかなり目につく。かくいう、筆者も15年ほど前には100kg超あったから大きなことは言えないが、今はこの10年ばかりの1日おきのジム通いで70kg前後に落とすことに成功した。

本稿はここまで。2017年9月1日記)


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本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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