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メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その2                2018年1月31日(水)記

アジェンダ・セッティング機能、その2:「北朝鮮」報道の誤導

はじめに
 前回、日本の北朝鮮報道を素材にメディアの「アジェンダ・セッティング機能」について書いたところ、何人かの方から、自分もそうした疑問を現在の新聞やテレビの解説、各種の時事評論に接して感じてきたというお便りをいただいた。私は新聞を複数紙購読、ビデオレコーダーを5台持ち、そのうち2台は指定した地デジ局番組をすべて自動的に2週間保存できる。しかし、BS(衛星放送)には対応しておらず、事前に録画予約が必要だ。だから、予約忘れや自分に関心がないものはBSだけ自宅では見直すことができない。もちろん、録画してあっても時間がなければそのまま見ないままのものも多い。

 そうした物理的条件はあるが、今は「オンデマンド」を使ったり、ネットで探せば、とくに中国系(たぶん闇設置?)のサイトにはドラマでもドキュメンタリーでもほとんどの番組が無料で見られるから、後で「番組が検証できない」ことなどまずない。

本稿ではテレビ番組についてもしばしば触れているがその素材は上記いずれかの方法でチェックできたものをベースにしている。ラジオの場合でも同様で、「問題になった番組はほとんどネットで探せば見つかる。その意味で、ネットの功罪はその使いようだ。

このことについては別の機会にふれる。
☆「アジェンダ・セッティング」agenda settingという用語については、いったいどういうこと?言葉そのものをもうすこし説明してほしいという要望があった。日本語で「議題設定機能」といい、「マスメディアによって人びとがその社会認識の枠組みを決められている」「マスメディアが人びとが議論すべき方向性を指導している」のではないかという枠組みのこと。私、渡辺武達が共編者になって出版されている『メディア用語基本事典』(世界思想社、2011年刊、p.156)にも収録(筆者は山口巧二氏)してある。

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政治的「配慮」と政治的「偏向」

私たちが知っておくべきことを糊塗している現在のメディア報道による北朝鮮報道のアジェンダ・セッティングはどういう力学によって作られているのだろうか?

2018年初頭現在の日本メディアによる北朝鮮報道の主要トピックは第1:核開発とミサイル発射、第2:日韓(韓日)「慰安婦」問題、第3:拉致問題である。また一時的現象ではあるが、第1議題が作り出している(正確には利害関係国によって「作り出されている」)緊張とその緩和との連関で、第4が「平昌/ピョンチャン五輪の南北統一チーム参加」が挙げられる。そして「ネトウヨ」(ネット右翼)の間ではいまだに「在日韓国人・朝鮮人への誹謗中傷」がなされており、それが第5に来るといってよい。
それら全体が合わさって日本人多数による「危険な北朝鮮」というイメージが形成される。

☆断っておくが、筆者は北朝鮮が「危険ではない」とか「金正恩(キムジョンウン)体制がその国民にとって幸せだ」と言っているのではない。現在の日本メディアの報道の仕方は「北朝鮮の無毒化」実現の方向とは逆行している、その流れを止められないにせよ、その仕組みを理解しなければ前に進めない・・・といっておきたいだけだ。

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上記5つと順番そのものがアジェンダ・セッティングだが、そのうち慰安婦問題についてすこし掘り下げると「好ましくない」ありていにいえば、報道の「社会的誤り」がある。まずは、見出し表現が「韓国との慰安婦問題・・・」といった表現になっていること。第2は「日韓両国の政府間で、完全かつ不可逆的な合意により解決した・・・」という表現に関わるもの、である。

理由は、「日本が朝鮮を植民地化し、日本軍がそこに侵攻した当時、南北の分断はなかったから、慰安婦にされたコリアン女性には北朝鮮女性も当然含まれていた」のに、そのことがまったく抜け落ちた「字面」になっている。しかも、そのコリアの北半分とは国交回復さえできていない・・・両国には現時点でそんな話ができる雰囲気さえない・・・のはたしかだ。しかしその事実の認識に立って報道しないのでは「敵視」するだけという誤った北朝鮮(DPRK朝鮮民主主義人民共和国)観を形成するし、実際そうなっている。まさにその結果が現在の日本人の対北朝鮮観の誤りの一因となっている。どうしてそうなってしまい、そのことへの疑問さえ出されないのか?そのことを認識しない(国民に認識させない?)報道とはいったい何なのか。

☆こういうと「貴方は北朝鮮の味方か?」といわれそうだが、これは敵か味方か・・・という次元の話ではなく、厳密は学問的議論のためのイロハのイであろう。

答えはそうした「報道力学の発動源が日本の歴代政権のコリア問題観にあり、そのほうが都合がよいという日本の執権層の思惑がそこにはある」からだ。またそれに従ったほうがなにかと都合がよいメディアや学者・研究者たちの「日和見的、利己的な態度」にもその責任がある。その典型例が、研究費の獲得と世間的出世のために中国で人体実験を繰り返し、敗戦後はアメリカに迎合して犯罪行為を繰り返した「731部隊の関係幹部たちで、それと類似の学問、研究環境が現在の日本にもできあがりつつのではないか。

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この仕組みについて、2017.8.13放映のNHKスペシャル「731部隊の真実 エリート医学者と人体実験」「関東軍防疫給水部731部隊」)に見事に描いたが、その忌むべき実験を実行した医学者を率先して軍部と結托してもっとも多く送り込んだのが東京大学・京都大学・慶応大学であった。さらにはそれらの医学者たちの上層部は敗戦直後の現地でアメリカ側に研究成果を差し出すことによって「戦争犯罪者」になることを免れたり、戦後ものうのうと学者人生を満喫した。軍事国家では政界・官界だけではなく学界も腐るが、その無責任さは今日も続いている。

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第2点「不可逆的な合意」の意味について。
誰かに強制されることなく合意された二国間協定は基本的かつ致命的な御認識といった、それ相応の理由がなければ合理的な有効性をもつ。民主的国家では十分に話し合われたうえでの決定であれば、つまり、そこに至る過程での反対者が少数であり、合法的な手続きでのなされた合意はすくなくとも「国家間の約束」として有効である。しかし同時にそれに反対の国民はいつでも、納得できるまで反対の声を上げ続けることができるし、次回選挙でその政権打倒を叫び、活動することができる。それがデモクラシーというものだ。
その点では前朴槿恵(パク・クネ)政権による合意を次期文在寅(ムン・ジェイン)政権が引っ掻き回すのは「国家としての品格に欠ける」といってよい。

半面、倫理観なき安倍政権の面々はともかくとして、政府と国民をつなぐマスメディア、とりわけ「公共放送」を標榜し、「皆様のNHK」と連呼するメディア組織が国民とではなく、国家・政府権力と同じ感覚であれば、それこそ放送法(昭和25年5月2日法律第132号)違反であり、受信料など払いたくなくなる。

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先述した第3トピックの拉致問題でもこのアジェンダ・セッティングの誤りが密接に絡まっている。NNNテレドキュメント(日本テレビ)「拉致と言えなくて~寺越さん母子の55年~」(テレビ金沢制作、2018.1.29放映)を具体例に説明しよう。この日テレドキュメントの提出した寺越さん母子の悲劇の遠因も実はそこにあるからだ。
 
この番組内容は地味だし、わずか30分弱の短い、しかも日曜深夜(24:55分~25:25)放映のドキュメンタリーだ。しかし、「拉致被害者」報道の具体的問題点の一つを見事に描いた。しかし、この時間帯では平均的勤労者には翌日の仕事もあるだろうから、リアル時間での視聴がむずかしい。現在、民放の場合はとくにこうした価値ある良心的ドキュメンタリーのほとんどが①視聴率がとれない②スポンサーが好まない③制作費がかかる④制作時間が長い・・・等の理由で深夜帯に追いやられている。

 ☆筆者は従来から、こうした良心的番組の放送を週に一定時間、プライムタイムでの放送を義務づけることを提言している。それは「言論・表現の自由」「編集の自由」等の侵害ではなく、放送事業者の公共的義務(duty)、公益行為となるのだから。

さて、このNNNドキュメントそのものは1970年スタートの報道ドキュメンタリーで、最近でも東日本大震災時に海上から食料などの支援活動をした「トモダチ作戦」の米空母ロナルドレーガンが被爆し、乗員ら402人が放射能による健康被害を受けたと東京電力を提訴、すでに死者が計9人に達し、しかも法的にそれを米政府に訴えられず、東電を相手にしながら、死亡していく現状を報告した(2017/10/09)。日テレは読売新聞社が主体となって作ったテレビ局だが、本体が現在、自民党右派系と連動の度合いを高めているにかかわらず、このシリーズだけはその制約をものともせず、敢闘しているのがうれしい。

本作「拉致と言えなくて」は能登半島沖7キロの地点で無人の漁船が発見され、そこから行方不明となった寺越武志さん (当時中学生で13才)が24年後に北朝鮮で生存していることが「日本で」確認された。するとその武志さんが急に北朝鮮の労働組合幹部に抜擢され、2002年には北朝鮮訪日団の副団長として一時帰国した。その彼を取り巻く環境を20年以上追いかけているテレビ金沢(日テレ系列)記者による制作番組である。

拉致そのものは小泉元首相の訪朝の結果として北朝鮮側(金正日総書記=当時)が公式に認め謝罪した(2002年9月17日)。だが「被害者」だけではなく、その他にも拉致が疑われるものが「特定失踪者」の中にも相当いること、そして必ずしも日本側が被害面だけからの注目をしているだけでは本質に迫れないことをも可能な限り描いている。
武志さんの居所が判明後、65回も訪朝を続け息子を物心両面で援助してきた母親の友枝さんは北朝鮮での息子の処遇と日本国内であまりに「政治的に利用されて動く」拉致被害者の「家族会」等からも離れ、「北朝鮮に暮らす息子には妻も子どもも孫もいる… 」「この子の胸のうちを私は知っています」と。母と息子の「心の叫び」を伝わってくる、すぐれた番組である。

☆北朝鮮での生存が確認されてから30年が経過した今も、自由に日本に帰国できない寺越さんのケースも「中学生が漁船に乗って一人で北朝鮮に行くはずがない」から99%は「拉致被害者」といえることに間違いはない。

ここからも報道とはなにか、真実とはいったい何のためにあるのか・・・というジャーナリズムの政治性と倫理性の問題が出てくる。また、種々の押し返せそうにないほどの力の制約を押しつけられている現代のマスメディア企業、ジャーナリストたちにも隙間をぬって情報送出に努力している作品が最近多くなっていることにも同時に気づくし、以下のような外国制作番組の輸入によって自己の欠陥を補うことも行われている。

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たとえば、ソビエト連邦(現在のロシア)は冷戦時代、「核開発、核兵器製造都市」を各地に作り、技術者などを家族ごと移住させた。都市に名前はなく、地図にも記載されず、その存在を口外すれば命の危険もあった。その一方で住民には豊かな生活が保障され、「知られざるユートピア」でもあったという。アメリカの取材チームがカザフスタンに存在するそのCity40というコードネームの秘密都市「オジョルスク」の町に入り、今も放射能汚染に苦しむ現状を描いた。

NHKは自分で取材が適わないときはこうして外国製番組を購入して流す手法をとる。この番組と先述した日テレ番組にはジャーナリズムの心意気を示す通奏低音として響くものがある。しかも、こうした核開発に関わる秘密都市(地域)は旧ソ連だけではなく、アメリカにも中国にもあったし、戦争中の日本にも毒ガス開発が行われた瀬戸内海の島でもあったから他人事ではない。
加えて、現在の日本ではほんとうにフクシマ第1ゲンパツ(東電福島第一原発事故現場)で何が起きているかはきちんと報道されていないというのが「まじめな学者」たちの常識であり、上記NHKスペシャルが告発していることが現在の日本にも起きているという想像力が求められる。

☆NHK番組の原題は「CITY40旧ソビエトの秘密都市」、元の制作は D.I.G.Films(アメリカ 16年)BSで2016年9月9日放送、最近ではこの1月15日(月)にも再放送された。 

これらのことから、国際問題を関係国民の幸せとグローバルな平和秩序構築を志向する報道とは何かの問題があぶりだされてくる。残念ながら、少なくとも日本の場合は大半の政治家たち同様、主流メディア幹部たちの多くがそうした認識と責任観、倫理観を欠いている。(この項つづく)



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第26回京都メディア懇話会定例会(2018.2.22)

演題:若者の性意識と性情報リテラシー
場所:同志社大学寒梅館6F大会議室(寒梅館は烏丸今出川を北に100メートルほど上がった烏丸通西側の7階建てビル)
時間:18:30~20:00(2018年2月22日)

発題者:NPO法人SEAN理事長 小川真知子氏


略歴:立命館大学・神戸大学大学院卒。
1984年設立の「コマーシャルの中の男女役割を問い直す会」で吉田清彦氏と活動。
特定非営利活動法人SEAN(〈ジェンダーと暴力〉人権講座と授業・調査研究)理事長、大阪市立大学非常勤講師
発題概要:
1. NPO法人SEANの事業とポルノ被害相談を請け負うまでのおおまかな流れ
・私の活動とNPO法人SEAN
・ポルノ被害とはなにか 
*NPO法人SEANのHPより*
わたしたちの日常には、「性」を商品として扱うモノがあふれかえっています。特に、女性は男性に比べ、そのように扱われがちです。 ここでは、ポルノを性表現一般のことではなく、
「女性、子ども(時に男性)を見世物的に扱う、また虐待的に扱う性的描写物(実写およ非実写)」を指す言葉とし、その制作から始まって、流通、消費、社会的流布などを通じて発生している性被害を「ポルノ被害」と呼びます。
商業ポルノとして流通する性的描写物の中には、カップル間で撮られたものや、盗撮や強姦などの性被害で撮られるものも含まれています。
*PAPS https://paps-jp.org/aboutus/harms/)
①制作被害
 制作過程で、契約や同意に反する撮影を強要される。撮影時に暴力を受ける。
 裸体や性行為の盗撮や、性暴力被害を撮影される など
②流通被害
 制作被害物のネットなどで流通される。カップル間で撮った性的画像を無断で流通される。
 いやがらせや報復のために、性的な写真や合成写真を流通される など
③消費被害
家庭や職場などで意に反して、ポルノを見せられたり、ポルノ的な行為を強要される。
そのポルノの影響を受けたものから、痴漢やレイプなどの性暴力を受ける など
④社会的被害
公共の場で不意にポルノ的なもの目にし、苦痛を感じる。女性を性的消費物とする見方を一般化または環境化し、女性の尊厳を傷つけ、社会的地位を低下させる など
⑤.存在被害
ポルノが他人に所持され、使用され続ける。また、脅迫やいやがらせに使用される など

2.性情報リテラシーと現代のメディア

3.デートDV予防教育からみたジェンダー規範と若者の性意識「女性性の商品化」

4.リベンジポルノ被害、児童ポルノ事件とポルノ被害 (AV出演強要)

5.子どもの問題は社会の問題、社会の問題は国の責務
「誰もがありのままを大切にされ、活かされる社会」のために今日からできることは?

コメンテーター:齊藤修(「京都メディア懇話会」理事長)
司会:永井るり子(京都光華女子大学非常勤講師)

                (以上)



メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任 2018年1月25日(木)記

はじめに

 私たちは四六時中メディアに取り囲まれて暮らしている。このときの「メディア」はテレビや新聞、スマホといったものだが、メディア論はその考察領域をもっと広く深く、人間生活のすべての領域を想定した中での個別事象考察の対象にしていかなければならない。そうでないと、140字以内のツイッター発言やコンピュータでかき集めて作った通称「ビッグデータ」などに簡単に騙されやすくなってしまうからだ。

社会と情報について個々人の日常生活とその行動のふり幅、そしてそれら個々人の言動が何に影響されて作られているか?それにたえず注意していかなければ、私たちはこれからどういう社会を作っていけばいいのかが見えてこないし、すくなくとも主体的にその作業に参加していけない。ジャーナリズム理論としていえば、日々の出来ごとを追いかけ、決められた時間内に報道する「ファストジャーナリズム」だけではなく、スロージャーナリズム(人間の情報行動の根幹を一人一人の生活次元からグローバルな展開までを射程にとらえた「生の生活」リズムで描く「ジャーナリズム」)に等しく軸足をおくものでなければいけない・・・と私は考える。

とすれば、それはいったいどういうメディア・ジャーナリズムないしはそれらの研究のことをいうのであろうか。
まず、「メディア」という用語は私たちの日常用語としては一般的に新聞やテレビ、ネットなどのことで情報を私たちに運んでくるものだ。ここ20年ばかりはそれにコンピュータに依拠したインターネット技術が各種の通信技術を発展させてきた。その代表が各種新アプリを備えたスマホである。

原理的にいえば、何から誰かが何らかのメッセージを感じ取れば、その「何か」が「メディア」、そのメッセージ/情報の移動過程が「コミュニケーション」である。つまり情報を運び移動させるものが「メディア」で、二者以上の複数者間での情報移動が「コミュニケーション」だ。ただし、人が個人で思い悩んだり、自分で書いた日記を読んだりするケースではその日記がメディアで、その日記とそれを読む人との情報の流れがコミュニケーション行為だ)。その意味ではトラック輸送などの物流も広い意味での「コミュニケーション」行為で、その内面コミュニケーションの活発な人ほど、自己省察ができ、安定している場合が多いということになる(詳しくは「メディアとは何か」渡辺武達・田口哲也・吉澤健吉編 『メディア学の現在〔新訂第2版〕』世界思想社、2015年、第1章)。

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概論的なことがそれぐらいにして、ここでは私たちが日常的に接しているテレビや新聞、ネットなどが社会でどのような役割をし、そのことによって私たちがどのような社会観(倫理観・歴史観・世界観)を形成し、「社会行動」をしているのか・・・あるいは現実にそうして暮らすことを強いられているのか・・・果たして現在のままで私たちは社会を正確にとらえ、問題点を摘出し、改善していける学問としてのメディア学を構築できているのか。
そうしたことについて、具体的な例としてまずは「北朝鮮」報道と取り上げ記していくことにしよう。

「北朝鮮」報道  その1:アジェンダセッティングはこれでいいのか?

この一年ばかり、日本のテレビや新聞がほぼ毎日取り上げている「北朝鮮」問題だがこれについては確実に現在のマスメディアは情報操作機関化している。
たとえば、「北朝鮮」の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」で、れっきとした国連加盟国。英語ではDemocratic People’s Republic of Korea= DPRK。そのことを知ったうえで、本稿でも省略して「北朝鮮」と呼ぶ。

☆詳しくは以下を参照。渡辺武達「メディア操作される北朝鮮像」(『評論・社会科学』第50号、同志社大学人文学会、1994年9月30日発行。

「北朝鮮」報道のアジェンダセッティング

 一口に「北朝鮮問題」といってもいろいろある。たとえば、2006年1-9月、NHKは北朝鮮関係放送原稿約2000本のうち、約700本が「拉致関係」であった(原田豊彦放送総局長の会見による発表)。だがそれだけ多くの報道があっても、拉致被害者家族の中にも、報道が数だけではなく、質的にきわめて大きな問題を抱えていることを指摘した本があり、たしかにそこには私たちが知っておくべきことが数多く書かれている。

☆蓮池透(2015)『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』講談社
☆たとえば、旧日本軍が朝鮮半島で「拉致や殺害をしたことを朝鮮人が忘れておらず、「その事実が北朝鮮政府の強硬(凶行)政治を支えていることなど。このことは現在の韓国文在寅=ムン・ジェイン政治にもいえることだ。

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だが、昨年(2017)秋のトランプ大統領来日の際に拉致被害家族の横田夫人が面会したことを除けば、過去一年の北朝鮮報道は新聞もテレビもネットも核とミサイル問題についてがほとんどである。そしてその視点の第1は、「あの無慈悲な拉致を行った北朝鮮の核兵器とそれを運搬するミサイル開発は日本にとってとんでもないもので、それを即時中止させるには・・・」「それには北朝鮮への圧力を高め・・・アメリカとの軍事協力が必要だ・・・」という戦略=安倍首相の米国追従政策が合法化され、米国から莫大な兵器/軍装品を買わされることになってしまっている。それにトランプ大統領と親しい関係が演出され、安倍自民党が衆院選で大勝してしまった(2017年10月22日投票)。麻生副総理兼財務相がいみじくも述懐したように「選挙の勝利は北朝鮮による貢献」(暴虐イメージが造られそれに有権者が踊らされた)があったからであった。

麻生副総理はある意味で正直だが政治と経済の特権階級の育ちで、戦争の実相を体験的に知らない(安倍晋三も同じ)。こうした暴言を繰り返してまさに「国民益」の阻害要因となっているが、問題は、その騙しに簡単に乗ってしまう有権者を作っているのが圧倒的多数のマスメディアであるということだ。

☆これに関しては以下を参照、SANKEI EXPRESS 2013年8月7日号掲載、渡辺武達「良識と常識が欠如した麻生発言問題」

 さて、北朝鮮の核とミサイル問題はどのような決着をするのか・・・それは過去の歴史をひもとけばすぐ分かることだ。

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核とミサイル問題でのステークホルダー(直接の関係者)は上記の6人(金正恩の左に習近平・プーチン・文在寅=ムン・ジェイン、右に安倍晋三とトランプ)である。このうち韓国(ムン大統領)と日本は「非核保有国」とされているが政治力学でも軍事論としても、とりわけ左サイドの3人からみれば、「日本(と韓国)は核保有国」である。なぜなら、両国とも米軍基地として広大な土地を提供し、そこには核兵器がいつでも持ち込める設備が「日本のばあいは思いやり予算」で整っている(しかも実際には日韓ともに核兵が常備されている可能性が高い←最近公開されたNHK番組「沖縄と核」からもほぼそれは確実)。

つまり、北朝鮮がやっていることはかつてロシアと中国が核兵器を開発し米国の一国世界支配から脱したように、北朝鮮は核クラブの横暴に異議を唱え、核とそれを運搬するミサイルを開発したにすぎないから・・・。つまり現時点での解決は北朝鮮をどのような形で「核クラブ入りさせるか」ということでしかないわけだ。

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この問題は南北朝鮮がいくら話し合ってもそれはきっかけにはなっても完全解決ではないし、政治的にはあり得ない!問題は南北問題を超えた世界の力のバランスにあるのだから。
その点での理解がいちばんできているのがプーチンであり、最近もかれは「キムジョンウンは優れた政治指導者だ」と公言している。もっとも可哀想なのは少しでも体制批判をすればすぐ処刑されてしまう北朝鮮国民だが、その無慈悲さでは他の4人も大同小異だろう。

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今、平昌冬季五輪に関して南北朝鮮間での話し合いが進行しているがこれは北のペースですべてが進むのは政治的な常識だ。なぜなら、北の政治体制には「ワルはワルなりにぶれがない」からである。

 筆者は縁あって、北朝鮮への訪問体験が4度あり、うち2度、南北朝鮮の分岐点の話し合い場所、板門店を訪れ、「ここから南には人間本当の幸せはない・・・」、南からは10回以上訪れ、「ここから北には自由がない・・・」とった話を聞かされた。国際政治に翻弄される両国民に同情せざるを得なかった。(この項、続く)




トランプ米国大統領、安倍晋三総理、金正恩委員長のケミストリー その3 2018年1月10日記

新年5日、トランプ大統領の政治姿勢だけではなく、「理知的でない!」などと国家指導者としての氏の資質そのものを痛烈に批判する本Fire and Fury: Inside the Trump White House『炎と怒り~トランプホワイトハウスの内幕~』がアメリカで出版され、ネットを含め、各種の報道はその題名「炎と怒り」通り大騒ぎになっているようだ。


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いつものことでもう誰も驚かなくなり、アメリカの政治家なんて・・・と思うだけだろうが、書かれた本人がツイッターで「自分はきわめて安定した天才だ」(自分でいうところがあまりにも子供じみており、理知的でない証拠だが!)などと反論するだけではなく、訴訟をはじめあらゆるやり方で出版差止を求めるなど、必死に打ち消そうとしているのも滑稽だ。関係者のすべてを巻き込んだドタバタ大騒ぎのおかげで、主要書店に平積みされた本が即日完売したそうな。
Michael Wolff. 2015. Fire and Fury: Inside the Trump White House. NY: Henry Holt and Company.

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筆者は未読だが、出版社自身が明らかにしている宣伝文などにはこうある。「トランプ政治の狂気の内幕をあますところなく描いた・・・」「米国の分断を招いた男の素顔」「自分では何も考えられない非理知的な男」等々。あまりの反響に、トランプに首になった前側近のバノンがネタ元の一人と分かると、「取材を受けたことを後悔している・・・その本に書かれているようなことはしゃべっていない!」などと言い出すなどしっちゃかめっちゃか。日本から見ていると、安倍晋三と夫人の昭恵の森友・加計学園がらみの騒動とそっくりで、こんな人たちに日米の政治が牛耳られていると思うと情けなくなってくる。

トランプホワイトハウス暴露本の効果

でもそういうことがあってはじめて、発売翌日の6日にはトランプ本人が「自分は決して金正恩(キムジョンウン)との直接対話を拒んでいるわけではない・・・」といいだすなど、本のなかでは「非理知的・・・」とこきおろされている本人が自らの「外交・防衛言辞」まで転換せざるを得なくなったのだから、本に若干の誇張があったとしても、トランプ本人のごまかし言動に比べればたいしたことはないのだから、悪いことばかりではなさそうだ。もちろん、トランプも金正恩も、ネタ元のバノンも同類の人物だとみればこれもまた茶番であるかもしれないということを前提としなければならないが・・・。

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「言論・表現の自由」論の基本

トランプの滑稽さは米国憲政史上最大だ。だが、ここで問題になってくるのは「言論・表現の自由」(Freedom of speech and expression)は何のために存在しているのかということである。
この検討でのキーワードは一般的に「民衆の知る権利」(People’s right to know )と「メディアの報道する自由」(Reedom of reporting)だが、この議論のなかでともすれば経営的観点による政府やスポンサーへの遠慮などでマスメディアやメディア学者たちが忘れたふりをするのが「市民に知らせる義務」(Duty to let people know)である。それを補完してあまりあるのが今度の『炎と怒り~トランプホワイトハウスの内幕~』であり、その実践のためにはトランプのような「自分に特にならない情報はすべてFAKE(フェイク/でたらめ)で、得になるのは真実だといって恥じない男には、今度の本はいまだトランプ支持を続けているアメリカ国民、あるいは減税をしてもらって喜んでいる米国内外の企業家たちにもその跳ね返りが予測出来る警鐘となったのではないか。

その点でも日本のマスメディアが書きにくい(忖度して書けない?)ところを実行してみせるライターが現れ実行したのだから、日本でのあたらしいRight to knowとDuty to let people knowのジャーナリズム実践となればいいが・・・と思う。

いうまでもないが、政治家を含む権力層により悪徳行為の事実があれば、いくらそれを批判しても今の日本ではそのことだけをもって逮捕され、投獄されたりはしない(ただし、事実であっても名誉毀損で民事訴訟を起こされると対応しなければならず時間と経費がかかることになる)。だからというわけではないが、「アメリカや日本の言論状況は北朝鮮よりはまし・・・」などという「いい加減な」メディア関係者にしばしば出会う。しかもそのレベルの人たちは現時点での自由をもたらすことにこれまで努力してきたわけではないから二重にずうずうしい。

現在程度の言論の自由の状態にまでもってくるのに多くの人の犠牲があったし、現在でもメディア企業の中で苦しんでいるジャーナリストが多くいる。社内方針を批判して社を去らざるを得なかった人たちも少なくはない。

社会的言論のコントロール

さて、国家はマスメディアを通してどのような形で「社会的言論状況=世論」の「コントロール=言論統制」行っているのか?

それには2つの方法がある。一つは国民が政権につごうの悪い情報をやり取りできないようにすること。最近の筆者の訪中時には通常使っている二つのメールアドレスのうち、gmailがつながらなくなり、LINEも同様になった。

gmailはアメリカ発グーグルの無料メール送受信システムだが、LINEは日本のLINE株式会社が提供するSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)である。つまり二つとも中国国内に本拠がないから運営者の管掌/干渉が容易ではない。干渉ができないわけではないが、そうした場合に「言論統制」という批判を受けかねない。

しかし、gmailもLINEも便利でしかも無料だからそうしたアプリは誰にも好まれる。その不満解消のため、中国国内では同種の機能を持つ無料プリが開発され、使われていた。WeChat(微信)という中国の大手IT企業が作った無料インスタントメッセンジャーアプリである。
筆者は中国滞在中、その利用を薦められたがまだ実行していない。

ゆるやかな情報コントロール

どこの国の政府も自分たちのやっていることは正しいことばかりだという角度からの広報の一環としてメディア発表をする。そのことを知ったうえで、国民の利益、グローバルな平和構築などを念頭に置いて、国民の具体的な幸福度の向上と社会理解の深化という観点から報道する・・・それがメディア、ジャーナリズムの責任だろう。

本稿の第1回でもふれたが、昨年11月末に訪れた中国で入手した新聞CHINA DAILY(11月27日号)の例では、北京で開催された会議に出席した南スーダンのアジア・オーストラリア担当局長が中国の政治社会システムがいかに優れているかについて語ったことが一面トップ記事になっている。その見出しが Foreigners learn secrets of China’s success (外国人が中国成功の秘訣を学ぶ)。

同紙1面の第2見出しがCHINESE TV SHOWS WIN FOREIGN FANS (中国のテレビ番組が外国で受けている)。そして第3見出しがIP office signs agreement with EU as both sides share goals (中国のIP事務所がEUとの契約に合意)で、同様の効果を狙って編集されている。

また同紙の経済面の特集はThe coming green power tide (緑の革命がやってくる!)。
ここからは中国がいかに他国からの手本になろうとして努力しているか、環境保全への中国の政策的実行への意気込み・・・などが伝わるようになってくる。これはもちろん、政治キャンペーンだがどこの国でも大なり小なりある。日本ではそうした面がすこしだけオブラートに包まれているわけだがメディアにはそうした態度が「政治・経済合同利益獲得システム」から期待され、メディアもそれに応えた紙面作りをしている点では中国も日本も本質的には変わらない。
 
どこの国にもいろんな考え方をもった人がいるが、その考え方を公に言った場合、その人が不利になる。違うのはその程度だけで、北朝鮮では逮捕されたり、生命さえ奪われかねないということだけである。(この項 ここで終わり)


トランプ米国大統領、安倍晋三総理、金正恩委員長のケミストリー             その2、2018年1月3日記

2018年が明けた。だが、今年もまた年末年始のテレビ番組の多くは娯楽番組と表層的な社会時評番組であった。しかもそれらの番組に共通しているのは今私たちが生きている社会にはどのような矛盾があり、その矛盾を小さくしていくにはどうしたらよいかをきちんと説明しようとする内容をもったものがないということである。

☆放送法は「教養番組又は教育番組並びに報道番組及び娯楽番組」をバランスよく・・・などと規定している。しかし私にいわせれば、ほとんどすべての番組が娯楽の要素を入れての制作で、その比重の多寡が違うだけである。たとえば、アスリートたちのたゆまぬ努力を紹介する「スポーツ番組」でも、そこでのアスリートたちの役割はたとえていえば、「サーカスの演技者」のようで、社会的機能としては芸人たちと同様の役割を演じさせられている。しかもそれら「サーカス団員」たちの多くが身体に故障を抱えているのに、視聴者には画面を通して「笑みを売ること」によって、視聴者が社会的な問題を根本から考える時間を奪う作業に加担させられている。たとえば、現在の日本には1000兆円(国家予算のほぼ10年分)を超える「国家による借金(負債)があり、しかもそれが年々増えているのに、その解消法どころかその存在とその意味について国民は知ることがなく、そのもたらす結果を考える時間をそれら「娯楽的番組のオンパレード」によって奪われている。

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さて、私たちの記憶や知識の社会的側面は主として①生まれた家族環境②学校教育③各種メディアを中心に、④本人の理解能力・能動性の4つ組み合わせによって作られる。今、社会的側面といったのは、その他に個人が祖先から受け継いだ遺伝的要素も無視できず、生まれて以後の本人の努力だけでは克服したり、コントロールすることがむずかしい面があるからである。

その枠組みを認めたうえでいえることは、これらの「記憶や知識の合算」がその人の生き方の基本をつくっているということだ。加えて、実人生の過ごし方においてはさらにそれらを功利的に使うか、利他主義との整合性を図りながら使うかによってその人の社会関係性の性格が出来あがることになる。そのすべての過程が人間形成と諸活動に関わる「コミュニケーション活動」なのだ。その過程の多くで、「マスメディア」が果たしている役割がきわめて大きいということはいうまでもない。

本稿のテーマに関連していえば、トランプ(米国大統領)だけではなく、安倍(日本国首相)も金(朝鮮労働党委員長)も巧妙にメディアを操り、それにメディアも乗っているもしくは乗らざるを得ない状況ができている。それが「政治・経済合同利益」に組み込まれているメディアの現実だといってよい。

メディアと権力

マスメディアにそうした意図的な干渉をすることによって人びとの社会認識を歪めようとする者は誰か?ここでややこしいのは権力者がメディアを操っているのかといえば、必ずしもそうでははなく、メディア組織とその従事者たちが積極的にそれに加担していくことが往々にしてあるという事実である。

その仕組みをナチス時代のドイツの例から、ピエール・ヴィダル=ナケ(P.Vidaru-nake)の以下の本が見事に描いている。
『記憶の暗殺者』(ピエール・ヴィダル=ナケ著、1995[91]年、和訳は石田靖夫、人文書院刊)
 
 本稿に取り上げているトランプ、安倍、金正恩の3人には国民に知られたくないことを、程度の差はあるにせよ、人びとに記憶させず、記憶し行動の下地にしようとするものには圧迫を加え、他者への伝達を許さない・・・という点での共通性がある。つまり、三者の共通点の第2は、3人がそれぞれの国民と世界にとってはどうなのかという点において、手法に違いがあったとしても、いずれも自らの行動を人びとの記憶を多角的な次元で「抹殺」しながら政治を行っていることである。違う面はやり方と関係性だけである。トランプと安倍が親分子分の関係にあり、キムが安部と似ているのは親族・親の対社会活動をいずれも真似して活動していることである。

安倍の「ケミストリー」をもうすこし踏み込んで述べておけば、彼は自分の尊敬してやまない祖父・岸信介が日露戦争から続く朝鮮、中国との戦争に続き、東南アジアに突っ込んでいく南進の過程は明らかに他国への侵略である。日米戦争は日米のアジア地区支配の覇権戦争ともいえ、日本の政治家と軍幹部には冷静な判断力と自省がなく、打開の途は対米戦争しかないとした愚劣、低劣な社会認識であった。その結果、300万人もの自国民を殺し、その侵略先でもそれを大幅に上回る人々の生活ばかりか命まで奪ったのが日本の戦前体制であった。それらが「戦争犯罪者」(A級=戦争開始の共同謀議をした人びと、B級=戦時下の残虐行為を指揮した人びと)、C級=残虐行為を実行した人びと)であり、末端の兵士はそうせざるを得ないところに追い込まれたという意味で半分は犠牲者であった。またその構造を社会的は絶対思想として国民に受け入れさせ、女性や子供までが旗を振って戦地に「侵略者」を送り出すという世論づくりに協力したのがマスメディア(当時は新聞が主流でラジオもそれを助けた)であったことに疑いの余地はない。(この項続く)
プロフィール

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Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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