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メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その7                   2018年6月19日

はじめに

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6月12日、トランプ氏と金正恩(キムジョンウン)氏の米朝首脳会談がシンガポールで行われ、その取材・報道でメディアが右往左往、意味もないのにキャスターたちが現地に出かけ「現地からレポートします」・・・と。行っても行かなくてもジャーナリストならもっと基礎学力と洞察力をつけないといけないのにと思う。

日本の安部首相は今回もまたトランプ氏の周り(カナダG7会議と日米電話会談)でうろちょろ、「トランプ氏と一体である」と吹聴して歩き嗤われている。しかも「アメリカ第1主義=アメリカファースト」の国家主義で世界史を逆行させているトランプ氏に「シンゾー、移民は欧州にとっても大きな問題だ」と述べ、続いて「私は2500万人のメキシコ人を(日本に)送ることができる。そうすればあなたはすぐに退陣だ」(米紙ウォール・ストリート・ジャーナル)と述べて脅したという。(だから俺の言うことをきけ!)」ということだが、トランプ・安倍関係などそんなものだ。つまり二人とも、世界平和と日米両国民にとってのプラス価値などひとかけらも持とあわせていない輩(やから)だということだ。

本欄でも以前に繰り返し書いてきたが、トランプ・金・安倍のケミストリー(性格と思考・行動パターン)は酷似している。嘘を平気でいうところ、国民の幸せなどは眼中にない点が特にそうだが、その発言力と実行力については①ト、②金、③安倍の順番で、安部は麻生(この二人とも中国人・朝鮮人を徹底的に虐め、搾取した家系という点でもケミストリーが類似、そのためワルのセットと呼べる)と組んで始めて独り立ちできている「コワル」(小さな悪)にすぎない。だからといって、3人のうち道徳、倫理面に加えて、能力面でも程度がいちばん低い安部氏を首相にしている日本人はすべて諸外国の知識人たちからはいっしょくたにばかにされるからたまったものではない。

この3者がからんだ会談をふくめ、ブログ更新をしていなかったあいだに書き留めておきたいことがたくさん出てきた。まとめようとすると次にまたメディアのかかわる事件が起きてきて・・・新聞やテレビの記者さんたちが連日、理解不足のまま原稿を書いたり、しゃべったりせざるを得ない事情と苦しさの一端を皮肉なことにすこしだけ理解した。

☆ブログ更新遅延の言い訳はそれぐらいにして・・・まず、先月、この2年にわたって関係してきた次の共著本が出た。

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☆この本には鋭角性や問題発掘的姿勢こそないが、現時点で教育現場に関わる人たちに防災について何ができるか、何をすべきかの基礎資料として貴重な本であることは確かだ。図書館などに入って、教育関係者と市民の方々に読んでいただけるとありがたいと思う。大阪での地域としての最大の地震が昨日(18/6.18)朝発生し、幼児がなくなる学校事故が起きたから特にそう思う。

政治の現場

最近ある著名な政治家のツイッターをみていたら、次のように記している文章に出会った。

「立派な政策を述べる議員がいっぱいいるが実際に「話してみると違うんだね」「選挙は歩いた家の数しか票は出ない、握った手の数しか票は出ない。」「(党総裁選の)国会議員票も一緒で、そういう機会を増やしていく。ただ、歩けばいい」「手を握ればいいだけじゃなく、何かひとつ物語をつくらないとダメだ」

テレビや週刊誌はもちろん、一般紙でも「モリカケ」「公文書改ざん」「安倍総理夫妻の関与」などから「日本大学アメフト問題」「紀州のドンファン」「米朝首脳会談」「新幹線内の殺傷事件」それに「大阪の震度5地震」・・・とまったくおなじ重要さで話題が移行している。これは今にはじまったことではないのだが、こうして長い目で見て一番大事な、私たちの国、日本の国民益を守れる代表者=政治家をどう選ぶか、選べるかの基礎資料を提供するというメディアが「基準なく情報を垂れ流し人びとの時間を奪っている現実が変わらない・・・」、つまりメディアがその社会的責任がおろそかになってしまっていることがいくらかさみしい。

日大アメフト悪質タックル

この言葉は誰からの反論を食らうことはないから、メディアは遠慮なく叩いているが、そしてまた叩かれても仕方がないほど、この事件は建て前としてのスポーツとは真逆の関係力学から発生している。しかし実際のスポーツとその試合がすべて一般に理解されているほど「きれいなモノ」でないことも確かだ。半面、これまでのスポーツは娯楽的演出の多いプロレスでさえそうだが、「ルールのある喧嘩」であるという最低限のことだけは守ろうとしてきた。その詳細についてはまた書くとして、今度の日本大学問題が孕んでいる深刻な面にだけにしぼって記しておきたいことがある。

1.まずは日大教職員の責任である

事件が発覚してからしばらくしてやっと教職員職員組合が顔をだして、実質的支配者である理事長(元学生横綱)と直接のワルである常務理事(アメフト部監督)とそれら二人とその配下の者たちがやりたい放題やっている事実のいったんの批判を始めた。その動きの中で記者会見をした女性役員(この人は勇気と正義感がある!)が署名者/賛同者のなかに匿名希望者がおおいことを記者たちに聞かれて、「上部が怖いからだと言われればそれは否定しません」と返答した。
最高学府である大学内がそうだと民間会社がどうなっているかは推して知るべしだが、すでに官界/役所がどれほどひどい状態になっているかは「モリカケ問題」でいやというほど私たちは知ってしまった。

2.次は教職員の覚悟の問題である。今の日本の大学ではいったん専任職を得れば、たとえ上役ににらまれて昇進妨害されることはあっても、殺人や学生への破廉恥罪等を犯さなければ解職、退職を迫られることはない。なのに、「そういう実態は知らなかった・・・」などといい、大多数の教職員が「だんまりを決め込んでいるのは卑怯」だし、「そういう不誠実を学生たちは見抜いている!!」。だから、その親たちから「授業料返せ!」という批判、抗議が各学部事務室などに多数寄せられているのも当然だ。

3.しかしだ、問題がより深刻なのは、そのことを見抜いている学生たちも社会へ出て、同種の事件に自分が関係者として遭遇するとその多くが今回の日大教職員と同様の対応をする・・・せざるを得ない社会構造のなかで私たちは生きている。救いがあったのは「悪質タックル慣行者」が顔出しをして謝罪したことだ。日大の中にもそれだけの学生がいる。
私個人は日本大学に勤めながら時の流れがすべてを忘れさせるのを待つような生き方をしたくないと願ってきた。それがこれまで出来たのは幸運であったかもしれないが。

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6月3日、今年度のカンヌ国際映画祭(第71回)最高賞であるパルムドールを受賞した「万引き家族」(是枝裕和監督)を見た。表面的には「万引きが生活の糧」というとんでもない題材を扱っているのだが、そのコンペティション部門賞の受賞について、某野党国会議員が議会の委員会で林文科大臣にたいし、「(日本にとって)おめでたいことであり祝意を伝えたらどうか」と促したところ、大臣もそうしたいと答えたという。

 その報を知った是枝監督は文科相のその発言についてすかさず自身のオフィシャルサイトで発表した次のメッセージが奮っている。それにいたく感心した。氏いわく:

映画がかつて、「国益」や「国策」と一体化し、大きな不幸を招いた過去の反省に立つならば、大げさなようですがこのような「平時」においても公権力(それが保守でもリベラルでも)とは潔く距離を保つというのが正しい振る舞いなのではないかと考えています・・・

☆これにたいして、この「万引き家族」が文化庁からの助成金をもらっているのに何という言い草だ!という批判がネットなどにあがった。だがそれこそ、「日本の巨大メディアと教育が作り上げた誤解」だ。なぜなら、文化庁の助成金は税金が原資となっているからであり、文化庁は税金を納めた国民を代理して国民の金を有益な映画製作に補助する「代行」をしているだけなのだから。ここでもじつに見事な短絡思考がまかり通っていることが恐ろしい!

☆『平成30年度文化芸術振興費補助金による助成対象活動』の報告書には是枝監督の作品に対する2,000万円の助成金執行の記載がある。この助成金は〈作品〉完成後の 興業収益が一定以上あれば変換の義務も発生するらしい。しかしその実行があってもなくてもとりあえずの議論とは関係がない。

☆公式には6月8日から公開されている本作を私はなぜだか、6月3日(日)に自宅前の「ユナイテッド・シネマ大津」で見たのだが、自分にとって共感でき、ここ温まる・・・と同時にとても不思議な映画であった。とくに世の中の家族の暖かさはもはや万引きで生き、助け合っている「疑似家族」のなかにしか存在しないということの意味は文科相をはじめ、それを「祝意の表明という観点から取り上げた」若干スタンドプレー的な国会議員、アイススケートやレスリング選手などには支持率が落ちると決まって国民栄誉賞を乱発して国民の注意点を反らしているシンゾーが「万引きにまで追いやられている家族」が日本に居ることを示す映画には、自分の「アベノミクス」が根底的に批判を受けていることを直感し、ダンマリを決め込んでいるおぞましさ。これまた彼の人間としての「小ささ」の表れだし、映画の評判が上がることがよっぽど困ることなのだろうな。

映画「万引き家族」が世界で注目を集めると「日本の恥を世界に晒していることになる」となどという意見もネット上にあるが事実の総体を理解して社会を理解していくことでしか、社会改革などできはしない。権力者と金儲け主義者たちにいいようにされるだけなのだ。

学界だけで完結する学問に社会的意義はない!

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社会学者、日高六郎さんがこの6月7日、京都で101歳の生涯を閉じた。マス・コミュニケーション論の資料集などの本でもお世話になったが個人的にも何回か直接に教えていただいた。とくにその生き方が同志社大学大学院新聞学専攻で教えを受けた鶴見俊輔さん(2015年没)と通じるところがあり、お話しさせていただいていてとても心が落ち着き、勇気づけられた。二人とも「学問を大学という職業空間における技術とその成果としての飯のタネにするだけ」(どんなことをしても科研費などを採りたいことなど)という考え方と行動には無縁で、その「悪しき常識」を拒否されていた。

言い換えれば、お二人とも学問に意味があるとすれば、私たちが生きる社会の構成員として、メディアを例に挙げれば、メディアの直接事業者もその研究者もともに、人びとの相互理解に資すること、世界平和、民族差別の解消といった公共善(public good)拡充する情報を採りだし、いっぱんに分かりやすく提供する為に存在していると考え、その実行をされていたと思う。

ご冥福をお祈りする。(この項、終わり)


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プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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