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メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その3  2018年2月7日(水)記

前回は北朝鮮による「拉致」問題を素材にメディアによる誤導について書いたが、これにも何人もの方から感想をいただいた。大方が拙論に賛同するものであった。しかし、反対する人はスルーしているか、初めから議論する気がないのだから・・・という前提で本稿を続ける。

繰り返すようだが筆者は「北朝鮮の言動が正しい」といっているわけではなく、「北朝鮮叩きだけでは本質を見誤る」、それだけでは「戦争の危険を煽るだけでまともな社会観(倫理観・歴史観・世界観)を歪め、人びとから熟考・熟議の時間を奪っている」「大方のマスメディアのそうした現況は矯正されるべきだ」、そこからしか本件についての前向きの議論はできはしないといっているだけだ。
問題はメディアとそれが形成する人びとの社会観にあるということである。

そのためにも紹介しておきたいテレビ番組がある。「対談:瀬戸内寂聴×美輪明宏 2018年1月29日(月、BSプレミアム)15:30から60分、初回放送:2015.8.16)である。

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☆作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんは、「戦争が人を一番不幸にする」と説き続けてきた。歌手・美輪明宏さんは、自らの被爆体験、戦争反対への思いを音楽で表現してきた。“旧知の友”の2人が戦後70年の夏、長崎市で公開対談。二人が語ったのは戦時中の体験から、文学、結婚、恋愛、老いまで。会場からのお悩み相談にも答えながら、情熱的に語り尽くした。(NHK広報)

この番組が発信する哲学が現代社会できわめて重要だと思うのは二人が「戦争を避けるために役立つことはなんでもやろう」という考え方で一致しており、それが二人の(少なくとも「現在」の)生き方の基点になっていること、そしてその生き方が二人の戦争体験の自己省察から来ているからである。二人には個人の生き方の価値は社会矛盾最小化への努力いかんにあり、それが人間社会を進歩させる最低限の責務(duty & obligation)であるという信念がある。その点では我が国の宰相、安倍晋三氏や米国大統領ドナルド・トランプ氏らのいい加減さは真逆の位置にある。なぜなら、この二人はごまかしcheatingの常習者で、民衆の安全と幸福の向上など考えたことがないか、もしくは考えようとする思考様式を身につけていないからだ。公平のためにいっておくが、もちろん、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長も同類の人物である。

☆美輪については「美輪明宏 ヨイトマケの唄. その愛と秘密」(BSプレミアム 2月3日(土) 後7:30~8:59)も放送され、働く母の姿が感動的に歌われ、その背景が美輪の生き方とともに描かれたが、関心のある方はオンデマンドなどで見てほしい。「 歌が生まれ、人々の心に届き、名曲となるまでの軌跡を追う音楽ドキュメンタリー」(NHKの宣伝フレーズより)

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北朝鮮報道の誤導とメディアのアジェンダ・セッティング

安倍首相による言論のデタラメ

安倍首相はこの1月8日(2018年)の党首討論会で、「北朝鮮は核を保有している。核保有国だ」と明言したうえで、「核保有国が日本という非核保有国を脅したのは初めてだ。(金正恩(キムジョンウン)総書記が)日本列島を消滅させるという趣旨のことを発言したのは・・・十分に〈国難〉だと思う」とも述べたという。その支離滅裂さにはあらためて驚いた。次の4つの事実との整合性がまるでないからである。

第1は、前回のブログにも書いたが、沖縄だけではなく、日本全土に多くの米軍基地があり、それらのいくつかには核貯蔵施設がある。核兵器装備可能な爆撃機も常時飛来してきている。しかもこれまでに日本の米軍基地には核兵器が持ち込まれていた(ことがある)から、日本は「非核保有国」とはとてもいえない。1967年12月、佐藤栄作(岸信介の実弟)が核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」と定義した非核三原則はまったくの「うそ」であること。

第2は、日本は事実として「米国の核の傘」の下にあり、北朝鮮から(だけではなく、中国やロシアから見ても)は「核保有国」そのものである。この安倍発言は、ポケットにナイフを持った者」が「このナイフは自分のものではないから、私はナイフを所持していない!」というようなもので、99%以上の詭弁である。

第3は、日本はこれまで政府の公式見解として、「北朝鮮を核保有国として認めない!」としてきた政府公式見解とは正反対のことを「政府を代表する」首相が堂々という、そこには「整合性」「合理性」がなく、「この人の頭の中は混乱している=正常ではない!」としかいえないこと。

第4は、朝鮮戦争時の1950年、「核保有国」アメリカ」が「非核保有国中国」に対し、「核攻撃を排除しない・・・」といい、中国を恫喝した。その悔しさから中国は核開発を急ぎ、1964年の東京五輪の真っ最中に初の原爆実験を行った。世界で最初の核開発国はアメリカだが、それはナチスドイツから逃避してきたユダヤ系ドイツ人たちの協力によるものである。第二次大戦後、核爆弾を保有したアメリカから会談/交渉で数々の苦渋を飲まされた核非所有のソ連(現ロシア)がスパイ行為でアメリカの原爆設計図を盗み出し、自国で核爆弾を製造し米国に対峙することになった。それらの小型版行為を現在の北朝鮮がしているにすぎない。

だが、メディアが一連の経緯としてこうしたことにふれることはまずない。ただし、池上彰だけがそうした状況に穴を穿こうとしているように見えるが隔靴搔痒の状態である。

☆「櫻井翔×池上彰と知る“教科書”で学べないニッポンの“想定外”」(日テレ、2018.2.6)での「夜の渋谷でキャッチ 北朝鮮の“暗号放送”」コーナーでも北朝鮮問題ではいいところまで行きながら、最後は日本政府の見方に迎合し、北朝鮮悪玉観を増幅するだけのものになっていた。

☆筆者がネット上でのメディア批評で参考になると思うのは元朝日新聞記者、今西光男が主宰している「メディアウオッチ100」(http://www.mediawatch100.com/)と国際問題ジャーナリスト、田中宇が発行している「田中宇の国際ニュース解説」https://tanakanews.com/。前者が主として日本の新聞とテレビを対象にしているのに対し、後者は世界のネット情報を渉猟し、自分の見方でまとめている。

本稿関連でいえば、田中宇のいうTPP問題を素材にした以下の論評はアメリカのグローバルな位置関係の指摘としてその通りだ。

「通信1月23日、日本、豪州NZ、東南アジア、カナダ、中南米の、米国の同盟諸国である11カ国が、米国抜きで構成する自由貿易圏である交渉がまとまり、3月に発足することが決まった。その大きな特徴は、第2次大戦後の米国覇権体制下で初めて、アジア太平洋圏において、米国の同盟諸国が、米国抜きの国際体制を作った点だ。アジア太平洋と並んで米同盟諸国が多い欧州では、冷戦終結時から、米国抜きの国際体制としてEUが存在し、ゆっくりと(停滞しつつも)対米自立の方向に進んでいる。」

だが、米国が「世界の警察官」であり得なくなったのは1970年代のベトナム戦争での敗戦決定で外部にもはっきりした。ジャーナリストではすでにその10年前からデイビッド・ハルバースタムなどがそのことを現地から報告していたし、その20年も前からウォルター・リップマン(1889-1974)が指摘し、その枠組みで活動していた。
☆ハルバースタムについては、『メディア用語基本事典』(世界思想社、2011年)pp.305-306」を参照されたい。またこのブログでもすでに取り上げている。
 
ピョンチャン冬季五輪と「スポーツ報道」による誤導

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☆中国は1964東京五輪中に核実験を実施した!(上記、池上番組より)

ピョンチャン冬季五輪(2018年2月9日–25日)がどのような形式になるかは実際に始まるまではわからないが、すくなくとも現在の主要なスポーツ関連報道は人びとに「スポーツ」に関する誤解をさらに蔓延させている点では従来と変わらない。今回もその傾向は「五輪は平和の祭典である」という虚構に立った議論によって拡大されている。が、それ以上に、その見方だけではすまない背後の深刻な実態とそれをむしろ促進している現代世界のスポーツの利用構造に注目しておく必要がある。それこそが、私たちが知らず知らずのうちに取り込まれてしまっている「メディアスポーツによるアジェンダセッティング」である。

私の主張、その1:現在の大半のスポーツ関連報道は「娯楽番組」だ!

 スポーツの社会的意義は「人びとの健康増進と維持、みんなで合意した公共生活のルール(規制・約束事)遵守の大切さを覚えさせること」にある。しかし現在のメディアが提供するスポーツとその取り扱い方は視聴者にとってそうした本来あるべき「体育」教育とはまったく違うものである。加えて、「スポーツ基本法」にいうスポーツのとらえ方ともまったく異なり、各種目のチャンピオンの立ち位置は娯楽番組に登場する「芸人や歌手」「アイドル」と何ら変わらない。 

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災害が起きれば、被災地にスポーツ選手や芸能人たちが慰問におとずれ、それがマスメディアでとりあげられる。またテレビに登場するフィギュアスケーターだけでなく、野球選手や100メートル記録保持者にしても茶の間の視聴者にとっては「芸人」たちと何ら変わるところがない。
断っておくが私はそのこと、そしてそれらのアスリートたちが悪いといっているわけではない。メディアとスポーツとの関係をしっかりとつかんでおかないと私たちはいつまでも「騙される側に追いやられたまま」になることがまずいといっておきたいのだ。

☆ちなみに、スポーツ基本法(平成23年法律第78号、スポーツ振興法(昭和三十六年法律第百四十一号の改正)の前文にはこうある。

「スポーツは、世界共通の人類の文化である。スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。」

私の主張、その2:トップアスリート=スポーツ選手のほとんどが健康を害している!

スポーツの目的の一つは健全な身体とその結果としての健全な生活ができるようにすることである。ところが一流選手といわれる選手の多くが「限界を超えた練習を心理的に強制されるため」身体のどこかに深刻な故障部分をもつか、常時ケガの危険にさらされている。またチャンピオンになるためには他の選手を蹴落とすことが必要だと考え、最近も問題になったが、同種目他者のドリンクに違反薬剤を入れる・・・見つからなければ、道具の損傷や盗みなど、違法手段おかまいなし・・・という状態に多くのトップ選手が心理的に取り込まれている状況がある・・・金メダルのためなら、毒でも飲むという選手が少なからずいることがかつてのモントリオール(カナダ)五輪のときになされた匿名アンケートでも示された。

そうなるのは、代表選手を派遣する国家、経済的に支援する企業、商売(視聴率)のために派手なイメージを演出したいメディア、サーカス的演技を見たがる一般人などのすべての関係者が人間性を無視したことをアスリートとその予備軍に要求しているからだ!

また過度な商業化により、五輪組織/IOCそのものが高額の放映代金を払うアメリカのプライムタイムに合わせ、常識はずれの現地時間での競技開始を強制し、選手の健康によくない条件の受け入れを強制しているなどにも表れている。 

☆スポーツ基本法の前文にはこうある。
「スポーツは、スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである・・・。」

私の主張、その3:現代の競技スポーツの大半はビジネス論理で動き、選手もその論理に毒されている。

スポーツ大会には大から小まで、その参加者・関係者として①競技者②組織者③観客④メディアがいる。それは幼稚園や小中学校の運動会から五輪までおなじで、運動会ではその区分化が未成熟だが五輪の場合にはそれぞれが専門特化しているだけである。大会が大きくなればなるほど肝心のスポーツ精神(たとえばスポーツ基本法の前文記載)をビジネス化が蝕んでいるということである。そうしたビジネス化の背後には国際的に暗躍している電通などの大手広告会社がいる。スポーツ選手とその管轄競技団体だけではとてもそうしたダイナミックスに抗えないばかりか、その仕組みを捉えることすらできない。

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私の主張、その4:報道がナショナリズムの煽りに加担し、人びとからまともな社会的認識過程としての時間を奪っている!

 サッカーや野球の試合にはそれぞれのチームのファンがスタンドから熱烈な応援をする。その爲にオリンピック観戦で使われるのが国旗で、日本の場合、ほっぺたなどに日の丸を描いている者さえいる。彼らは心理的に選手とともに戦いながら、組織者たちのビジネスのためのナショナリズム高揚に掻き立てられている。ただし選手の闘いの手段はそれまでに鍛えた体力と技術と気力だけであり、トランプや金正恩のような「集団殺人」(前掲テレビ番組での瀬戸内寂聴の用語)兵器でないことだけが救いである。

またピョンチャン冬季五輪の南北統一チーム結成を「五輪の政治利用でいけない」という声がある。しかし日本の場合でも、1980年のモスクワ五輪をアメリカの意向に追随してボイコットした。その報復としてソ連を中心とした東欧諸国が次回1984年のロサンゼルス五輪のボイコットをした。

五輪のような巨大スポーツ大会にはビジネス界と政府の直接関与が避けられない。だから競技者とその統括競技団体は前2者の作るその構造に逆らえない。せめてその批判ぐらいはすべきだが聞こえてこない。競技者側にも「社会的幼稚さ」があるということである。

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☆訪中して周恩来中国総理と会談した後藤鉀二氏(左)とその意思を継いだ女婿・淳氏

その唯一の例外が後藤鉀二氏や荻村伊智朗氏が健在であった頃の日本卓球協会、アジア卓球連合、国際卓球連盟で、彼らはスポーツの平和構築機能に気づき、実践した例外的人物であった。筆者も1971年に名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会に日本卓球協会国際交流委員として関わり、2003年に役員を降りるまでの30年間、その動きをつぶさに見てきた。今、その体験を振り返り、スポーツの社会的機能に思いをはせることがしばしばである。

☆以下の拙著に収録したいくつかの文章を参照されたい。渡辺武達(1987)『市民社会のパラダイム 情報変革のために』市民文化社。

☆荻村伊智朗(1932 – 1994)個人世界チャンピオン2回、国際卓球連盟会長としても卓球外交に尽力、92年には千葉大会で南北統一チームを実現した。

私の主張、その5:スポーツを世界平和構築の手段として活用せよ!

前項で述べた名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会は翌年の米中、日中の国交正常化となり、「小さな白球が大きな地球を動かした」「ピンポン外交」などといわれ、実際にもその呼称に相当する働きがあった。しかしメディア論的にいえば、メディアをつかって卓球を「世界の平和秩序」構築に利用した知恵者がいたということである。つまり、卓球が「パブリックディプロマシー(public diplomacy)」の手段として使われたということである。
今回のピョンチャン冬季五輪での南北合同チームの結成も南北の双方が自国の国際的立場の向上に利用できると考え、それぞれの国内事情とも絡みあってここまできたものだ。救いは結果として五輪が武力でなく、体力による「戦いの場」になったこと。その最大の効用は北朝鮮による利用だけでなく、韓国もまた同様の思考法からスポーツを緊張緩和に役立てようとしているということだ。

だから、今回のピョンチャン冬季五輪だけではなく、スポーツとメディアの関係をおたがい見直し、平和構築に役立つように使ことを私たちがメディア関係者に要求することが大事かつ必要なのである。
(この項終わり)



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プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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