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メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その4                     2018年3月7日(水)記

パラリンピック部門(2018.3.8―18)開始前だがメディアビジネスの対象となるピョンチャン(平昌)冬季五輪のメイン部門(2月9日–25日)が終わった。しかしその余波で今も「感動」を与えてくれた」選手の帰国風景、おまけに国民栄誉賞(People's Honor Award)の大盤振る舞いまでついて、彼ら彼女らへのインタビューでの局アナや解説員たちの発言、ゲーム回顧の報道がいている。

若い世代を中心に一般テレビ放送視聴が激減している中での五輪はまさにキラーコンテンツだ。それはメディア関係者が生活するため、報道される側も次回大会までの支援者(所属企業)探し(もしくは契約更新)にそして言わずもがな、スポンサーには選手が優勝するたびに所属企業名がテレビ画面に大写しになるのだから関係者全員のメリットになる。というように、全関係者にとって活躍した選手たちが放映素材になることは大事だろう。くわえて、視聴者にとっても五輪選手たちの「カミワザ」(常人には神様に見える演技)が「感動」の連呼となり、はしばしの息抜きに必要なのは確かだろう。

だが、私にとってはその中で、何が失われていったのかを記しておくこともひとしく大事なのだ。政治の現場ではだが、何が起きているかを知らされなかったのが戦前であったが、現在の国民は五輪報道で時間を奪われた知るべきことを知ることができないという仕組みは、「洗脳された戦前の国民」と「知る時間を奪われた現在の国民」とはともに「知らない」・・・つまり「愚民」にされているという点ではおなじではなかろうか?

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☆ビデオリサーチ調査によれば、五輪2連覇のヒーロー羽生結弦選手が金メダルを取った日の視聴率は驚異的で、フィギュアスケート男子フリー中継番組の平均視聴率(NHK総合、17日午後)は関東地区で33.9%、関西地区で31.7%、羽生選手の出身地の仙台地区ではなんと41.2%!!

瞬間最高視聴率は関東地区が46.0%で羽生選手の金メダル、宇野昌磨選手の銀メダルが確定した直後、コーチらと喜び合う場面だったそうだ。関西地区は44.6%、仙台地区は56.0%。小平奈緒選手が金メダルを獲得したスピードスケート女子500メートルの平均視聴率(TBS系、18日夜)は、関東地区が21.4%、関西地区が20.5%、瞬間最高視聴率は関東地区が34.6%、関西地区が36.5%だったとか。

しかしだ・・・繰り返すがこうしたメディア状況は長い目で見て日本社会のためになっているのだろうか?
メディア倫理と社会論としていえば、いずれもそれらはメディア企業とその関連組織(イベント・広告業界etc.)にとってはいうまでもなく純粋なビジネス。そして大半の視聴者にとっては「感動した!」が連発できる娯楽だが、幼稚園児や小中学生にとってはいつかは自分が出たい・・・その親にとってはいつかは自分もその親になりたい・・・との感情を確実に刺激している。スポーツが国民体育の向上をそっちのけにしてそうした感情だけの利用になっているのは、金メダリストに「国民栄誉賞」を与えて「作り上げた」視聴者目線に迎合し、それを自らへの批判軽減に利用しているのが政権政党とそのリーダーである首相安倍晋三氏の取り巻き連中だということに象徴的だ。

ならば、ここではそうした華々しい競技スポーツの裏側で何がおきているのかをも同時に知っておきたい。

第1は五輪を代表とするチャンピオンスポーツにおける現場の暗部である。

メダリストの「登場=生産」の影での暗い現実に私たちはすこしは目を向けておきたい。最近の事件報道から例をとれば、ある元女子マラソンランナーが万引き事件を起こした。 → https://mainichi.jp/articles/20171109/ddm/041/040/122000c

 その女性は摂食障害に陥っていたが「陸上長距離のほかフィギュアスケートや体操など体形や体重の維持が必要な種目が危険だ。日本では全く知識のないコーチが多く、対策が遅れている」(専門家の話)。また彼女は事件当時の心境を公判で「防犯カメラが視界に入り店員とも目が合ったが(私生活の悩みや万引きの衝動から)解放されたいと思った」と語ったという。しかも、摂食障害に由来する万引きは「無防備で衝動的に盗み、盗んだ記憶がなく、金銭は持っているという事例が多い」(日本摂食障害学会理事の鈴木真理・政策研究大学院大教授)という。駅伝選手などはコーチなどから「「痩せろ」「食べるな」と言われ続けているのが実情だとも・・・。

そうした訓練で幸いにして勝ち残ったものの頂点の一部メダリストなのだ。つまり、お金と時間に余裕がある家庭だけが小さいころから子どもをプロのコーチや訓練センターに送り迎えし、そのなかの才能があり、運のよかったほんの一部だけがメダリストになっているにすぎないというわけである。

第2は報道がスポーツの社会的誤解を作ってるという事実がある。

訓練の現場がそうした状況なのに、五輪のような「娯楽」キラーコンテンツが国民・視聴者の貴重な時間、とりわけ、それがなければ少しは考えるであろう「社会と政治の矛盾」とその起因者/起因責任(causal responsibility)を考える時間を奪ってしまっている。もちろん、社会現象にはすべてのことに表と裏があり、私は五輪報道が視聴者のスポーツへの関心を高め、それがスポーツ基本法(平成23年法律第78号、スポーツ振興法(昭和三十六年法律第百四十一号の改正)の実現に貢献している面があることは私も認める。しかし、五輪報道に代表される報道・報告・記事が日本人がまじめに物事を考える時間を奪い、社会にとっては却ってマイナスになっている、すくなくとも「現行のスポーツ」あまりにも美化し、実態をゆがめ、あまつさえ選手を芸能人化しているのではないか・・・ということである。
たとえば、以下の写真のメダリストたちは「芸能タレント」そのものだろう。

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女子フイギュア一位ザギトワ、2位とメドベージェワ、3位オズモンド(カナダ)

金メダリストの羽生結弦選手やロシアからの個人参加者ザギトワ選手、2位とメドベージェワ選手らがこれまでに想像を絶する練習、鍛錬を積んできたことは尊敬に値する。しかしテレビが提供する彼や彼女が実質的に果たしている役割はアイドルのそれとまったく変わらない。

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そのことを如実に示しているのが上の写真。

カーリングはすばらしいし、筆者も北海道の阿寒湖で実際にストーンをなげたことがある。だが今回の五輪女子で銅メダルを取ったチームのエースが美人だということで、韓国メディアが自国の人気女優と並べてそれを報道し、その人気を読者サービスとして使ったという。両国間の無益の対立の緩衝材としてはよいが、韓国でも日本でも、いや世界的にスポーツがポピュリズム(populism)の本当の意味である「民衆を賢くするという意味での民衆中心主義・大衆中心主義」への貢献をしているとは思えない。

ものをじっくりと考えない人たちを作り出し、政治利用するという意味での「大衆依存主義」は文字通り「衆愚政治」そのもので、その典型が安倍一強政治の実相だとすれば寒気がしてくる。もっとも、「スポーツなんてそんなもんだ」といえばそれまでだが、スポーツをそんなふうに利用し、国民を結果としてだまし、愚弄し、その拡大再生産を発信はネット、SNS中心の人たちに一面的な情報を提供しながら自主発信させ、「愚民」を拡大再生している「メディア」の罪は軽くはない。(この項つづく)

メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その3  2018年2月7日(水)記

前回は北朝鮮による「拉致」問題を素材にメディアによる誤導について書いたが、これにも何人もの方から感想をいただいた。大方が拙論に賛同するものであった。しかし、反対する人はスルーしているか、初めから議論する気がないのだから・・・という前提で本稿を続ける。

繰り返すようだが筆者は「北朝鮮の言動が正しい」といっているわけではなく、「北朝鮮叩きだけでは本質を見誤る」、それだけでは「戦争の危険を煽るだけでまともな社会観(倫理観・歴史観・世界観)を歪め、人びとから熟考・熟議の時間を奪っている」「大方のマスメディアのそうした現況は矯正されるべきだ」、そこからしか本件についての前向きの議論はできはしないといっているだけだ。
問題はメディアとそれが形成する人びとの社会観にあるということである。

そのためにも紹介しておきたいテレビ番組がある。「対談:瀬戸内寂聴×美輪明宏 2018年1月29日(月、BSプレミアム)15:30から60分、初回放送:2015.8.16)である。

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☆作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんは、「戦争が人を一番不幸にする」と説き続けてきた。歌手・美輪明宏さんは、自らの被爆体験、戦争反対への思いを音楽で表現してきた。“旧知の友”の2人が戦後70年の夏、長崎市で公開対談。二人が語ったのは戦時中の体験から、文学、結婚、恋愛、老いまで。会場からのお悩み相談にも答えながら、情熱的に語り尽くした。(NHK広報)

この番組が発信する哲学が現代社会できわめて重要だと思うのは二人が「戦争を避けるために役立つことはなんでもやろう」という考え方で一致しており、それが二人の(少なくとも「現在」の)生き方の基点になっていること、そしてその生き方が二人の戦争体験の自己省察から来ているからである。二人には個人の生き方の価値は社会矛盾最小化への努力いかんにあり、それが人間社会を進歩させる最低限の責務(duty & obligation)であるという信念がある。その点では我が国の宰相、安倍晋三氏や米国大統領ドナルド・トランプ氏らのいい加減さは真逆の位置にある。なぜなら、この二人はごまかしcheatingの常習者で、民衆の安全と幸福の向上など考えたことがないか、もしくは考えようとする思考様式を身につけていないからだ。公平のためにいっておくが、もちろん、金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長も同類の人物である。

☆美輪については「美輪明宏 ヨイトマケの唄. その愛と秘密」(BSプレミアム 2月3日(土) 後7:30~8:59)も放送され、働く母の姿が感動的に歌われ、その背景が美輪の生き方とともに描かれたが、関心のある方はオンデマンドなどで見てほしい。「 歌が生まれ、人々の心に届き、名曲となるまでの軌跡を追う音楽ドキュメンタリー」(NHKの宣伝フレーズより)

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北朝鮮報道の誤導とメディアのアジェンダ・セッティング

安倍首相による言論のデタラメ

安倍首相はこの1月8日(2018年)の党首討論会で、「北朝鮮は核を保有している。核保有国だ」と明言したうえで、「核保有国が日本という非核保有国を脅したのは初めてだ。(金正恩(キムジョンウン)総書記が)日本列島を消滅させるという趣旨のことを発言したのは・・・十分に〈国難〉だと思う」とも述べたという。その支離滅裂さにはあらためて驚いた。次の4つの事実との整合性がまるでないからである。

第1は、前回のブログにも書いたが、沖縄だけではなく、日本全土に多くの米軍基地があり、それらのいくつかには核貯蔵施設がある。核兵器装備可能な爆撃機も常時飛来してきている。しかもこれまでに日本の米軍基地には核兵器が持ち込まれていた(ことがある)から、日本は「非核保有国」とはとてもいえない。1967年12月、佐藤栄作(岸信介の実弟)が核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」と定義した非核三原則はまったくの「うそ」であること。

第2は、日本は事実として「米国の核の傘」の下にあり、北朝鮮から(だけではなく、中国やロシアから見ても)は「核保有国」そのものである。この安倍発言は、ポケットにナイフを持った者」が「このナイフは自分のものではないから、私はナイフを所持していない!」というようなもので、99%以上の詭弁である。

第3は、日本はこれまで政府の公式見解として、「北朝鮮を核保有国として認めない!」としてきた政府公式見解とは正反対のことを「政府を代表する」首相が堂々という、そこには「整合性」「合理性」がなく、「この人の頭の中は混乱している=正常ではない!」としかいえないこと。

第4は、朝鮮戦争時の1950年、「核保有国」アメリカ」が「非核保有国中国」に対し、「核攻撃を排除しない・・・」といい、中国を恫喝した。その悔しさから中国は核開発を急ぎ、1964年の東京五輪の真っ最中に初の原爆実験を行った。世界で最初の核開発国はアメリカだが、それはナチスドイツから逃避してきたユダヤ系ドイツ人たちの協力によるものである。第二次大戦後、核爆弾を保有したアメリカから会談/交渉で数々の苦渋を飲まされた核非所有のソ連(現ロシア)がスパイ行為でアメリカの原爆設計図を盗み出し、自国で核爆弾を製造し米国に対峙することになった。それらの小型版行為を現在の北朝鮮がしているにすぎない。

だが、メディアが一連の経緯としてこうしたことにふれることはまずない。ただし、池上彰だけがそうした状況に穴を穿こうとしているように見えるが隔靴搔痒の状態である。

☆「櫻井翔×池上彰と知る“教科書”で学べないニッポンの“想定外”」(日テレ、2018.2.6)での「夜の渋谷でキャッチ 北朝鮮の“暗号放送”」コーナーでも北朝鮮問題ではいいところまで行きながら、最後は日本政府の見方に迎合し、北朝鮮悪玉観を増幅するだけのものになっていた。

☆筆者がネット上でのメディア批評で参考になると思うのは元朝日新聞記者、今西光男が主宰している「メディアウオッチ100」(http://www.mediawatch100.com/)と国際問題ジャーナリスト、田中宇が発行している「田中宇の国際ニュース解説」https://tanakanews.com/。前者が主として日本の新聞とテレビを対象にしているのに対し、後者は世界のネット情報を渉猟し、自分の見方でまとめている。

本稿関連でいえば、田中宇のいうTPP問題を素材にした以下の論評はアメリカのグローバルな位置関係の指摘としてその通りだ。

「通信1月23日、日本、豪州NZ、東南アジア、カナダ、中南米の、米国の同盟諸国である11カ国が、米国抜きで構成する自由貿易圏である交渉がまとまり、3月に発足することが決まった。その大きな特徴は、第2次大戦後の米国覇権体制下で初めて、アジア太平洋圏において、米国の同盟諸国が、米国抜きの国際体制を作った点だ。アジア太平洋と並んで米同盟諸国が多い欧州では、冷戦終結時から、米国抜きの国際体制としてEUが存在し、ゆっくりと(停滞しつつも)対米自立の方向に進んでいる。」

だが、米国が「世界の警察官」であり得なくなったのは1970年代のベトナム戦争での敗戦決定で外部にもはっきりした。ジャーナリストではすでにその10年前からデイビッド・ハルバースタムなどがそのことを現地から報告していたし、その20年も前からウォルター・リップマン(1889-1974)が指摘し、その枠組みで活動していた。
☆ハルバースタムについては、『メディア用語基本事典』(世界思想社、2011年)pp.305-306」を参照されたい。またこのブログでもすでに取り上げている。
 
ピョンチャン冬季五輪と「スポーツ報道」による誤導

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☆中国は1964東京五輪中に核実験を実施した!(上記、池上番組より)

ピョンチャン冬季五輪(2018年2月9日–25日)がどのような形式になるかは実際に始まるまではわからないが、すくなくとも現在の主要なスポーツ関連報道は人びとに「スポーツ」に関する誤解をさらに蔓延させている点では従来と変わらない。今回もその傾向は「五輪は平和の祭典である」という虚構に立った議論によって拡大されている。が、それ以上に、その見方だけではすまない背後の深刻な実態とそれをむしろ促進している現代世界のスポーツの利用構造に注目しておく必要がある。それこそが、私たちが知らず知らずのうちに取り込まれてしまっている「メディアスポーツによるアジェンダセッティング」である。

私の主張、その1:現在の大半のスポーツ関連報道は「娯楽番組」だ!

 スポーツの社会的意義は「人びとの健康増進と維持、みんなで合意した公共生活のルール(規制・約束事)遵守の大切さを覚えさせること」にある。しかし現在のメディアが提供するスポーツとその取り扱い方は視聴者にとってそうした本来あるべき「体育」教育とはまったく違うものである。加えて、「スポーツ基本法」にいうスポーツのとらえ方ともまったく異なり、各種目のチャンピオンの立ち位置は娯楽番組に登場する「芸人や歌手」「アイドル」と何ら変わらない。 

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災害が起きれば、被災地にスポーツ選手や芸能人たちが慰問におとずれ、それがマスメディアでとりあげられる。またテレビに登場するフィギュアスケーターだけでなく、野球選手や100メートル記録保持者にしても茶の間の視聴者にとっては「芸人」たちと何ら変わるところがない。
断っておくが私はそのこと、そしてそれらのアスリートたちが悪いといっているわけではない。メディアとスポーツとの関係をしっかりとつかんでおかないと私たちはいつまでも「騙される側に追いやられたまま」になることがまずいといっておきたいのだ。

☆ちなみに、スポーツ基本法(平成23年法律第78号、スポーツ振興法(昭和三十六年法律第百四十一号の改正)の前文にはこうある。

「スポーツは、世界共通の人類の文化である。スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。」

私の主張、その2:トップアスリート=スポーツ選手のほとんどが健康を害している!

スポーツの目的の一つは健全な身体とその結果としての健全な生活ができるようにすることである。ところが一流選手といわれる選手の多くが「限界を超えた練習を心理的に強制されるため」身体のどこかに深刻な故障部分をもつか、常時ケガの危険にさらされている。またチャンピオンになるためには他の選手を蹴落とすことが必要だと考え、最近も問題になったが、同種目他者のドリンクに違反薬剤を入れる・・・見つからなければ、道具の損傷や盗みなど、違法手段おかまいなし・・・という状態に多くのトップ選手が心理的に取り込まれている状況がある・・・金メダルのためなら、毒でも飲むという選手が少なからずいることがかつてのモントリオール(カナダ)五輪のときになされた匿名アンケートでも示された。

そうなるのは、代表選手を派遣する国家、経済的に支援する企業、商売(視聴率)のために派手なイメージを演出したいメディア、サーカス的演技を見たがる一般人などのすべての関係者が人間性を無視したことをアスリートとその予備軍に要求しているからだ!

また過度な商業化により、五輪組織/IOCそのものが高額の放映代金を払うアメリカのプライムタイムに合わせ、常識はずれの現地時間での競技開始を強制し、選手の健康によくない条件の受け入れを強制しているなどにも表れている。 

☆スポーツ基本法の前文にはこうある。
「スポーツは、スポーツ選手の不断の努力は、人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり、こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は、国民に誇りと喜び、夢と感動を与え、国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて、スポーツは、我が国社会に活力を生み出し、国民経済の発展に広く寄与するものである。また、スポーツの国際的な交流や貢献が、国際相互理解を促進し、国際平和に大きく貢献するなど、スポーツは、我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである・・・。」

私の主張、その3:現代の競技スポーツの大半はビジネス論理で動き、選手もその論理に毒されている。

スポーツ大会には大から小まで、その参加者・関係者として①競技者②組織者③観客④メディアがいる。それは幼稚園や小中学校の運動会から五輪までおなじで、運動会ではその区分化が未成熟だが五輪の場合にはそれぞれが専門特化しているだけである。大会が大きくなればなるほど肝心のスポーツ精神(たとえばスポーツ基本法の前文記載)をビジネス化が蝕んでいるということである。そうしたビジネス化の背後には国際的に暗躍している電通などの大手広告会社がいる。スポーツ選手とその管轄競技団体だけではとてもそうしたダイナミックスに抗えないばかりか、その仕組みを捉えることすらできない。

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私の主張、その4:報道がナショナリズムの煽りに加担し、人びとからまともな社会的認識過程としての時間を奪っている!

 サッカーや野球の試合にはそれぞれのチームのファンがスタンドから熱烈な応援をする。その爲にオリンピック観戦で使われるのが国旗で、日本の場合、ほっぺたなどに日の丸を描いている者さえいる。彼らは心理的に選手とともに戦いながら、組織者たちのビジネスのためのナショナリズム高揚に掻き立てられている。ただし選手の闘いの手段はそれまでに鍛えた体力と技術と気力だけであり、トランプや金正恩のような「集団殺人」(前掲テレビ番組での瀬戸内寂聴の用語)兵器でないことだけが救いである。

またピョンチャン冬季五輪の南北統一チーム結成を「五輪の政治利用でいけない」という声がある。しかし日本の場合でも、1980年のモスクワ五輪をアメリカの意向に追随してボイコットした。その報復としてソ連を中心とした東欧諸国が次回1984年のロサンゼルス五輪のボイコットをした。

五輪のような巨大スポーツ大会にはビジネス界と政府の直接関与が避けられない。だから競技者とその統括競技団体は前2者の作るその構造に逆らえない。せめてその批判ぐらいはすべきだが聞こえてこない。競技者側にも「社会的幼稚さ」があるということである。

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☆訪中して周恩来中国総理と会談した後藤鉀二氏(左)とその意思を継いだ女婿・淳氏

その唯一の例外が後藤鉀二氏や荻村伊智朗氏が健在であった頃の日本卓球協会、アジア卓球連合、国際卓球連盟で、彼らはスポーツの平和構築機能に気づき、実践した例外的人物であった。筆者も1971年に名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会に日本卓球協会国際交流委員として関わり、2003年に役員を降りるまでの30年間、その動きをつぶさに見てきた。今、その体験を振り返り、スポーツの社会的機能に思いをはせることがしばしばである。

☆以下の拙著に収録したいくつかの文章を参照されたい。渡辺武達(1987)『市民社会のパラダイム 情報変革のために』市民文化社。

☆荻村伊智朗(1932 – 1994)個人世界チャンピオン2回、国際卓球連盟会長としても卓球外交に尽力、92年には千葉大会で南北統一チームを実現した。

私の主張、その5:スポーツを世界平和構築の手段として活用せよ!

前項で述べた名古屋で開催された第31回世界卓球選手権大会は翌年の米中、日中の国交正常化となり、「小さな白球が大きな地球を動かした」「ピンポン外交」などといわれ、実際にもその呼称に相当する働きがあった。しかしメディア論的にいえば、メディアをつかって卓球を「世界の平和秩序」構築に利用した知恵者がいたということである。つまり、卓球が「パブリックディプロマシー(public diplomacy)」の手段として使われたということである。
今回のピョンチャン冬季五輪での南北合同チームの結成も南北の双方が自国の国際的立場の向上に利用できると考え、それぞれの国内事情とも絡みあってここまできたものだ。救いは結果として五輪が武力でなく、体力による「戦いの場」になったこと。その最大の効用は北朝鮮による利用だけでなく、韓国もまた同様の思考法からスポーツを緊張緩和に役立てようとしているということだ。

だから、今回のピョンチャン冬季五輪だけではなく、スポーツとメディアの関係をおたがい見直し、平和構築に役立つように使ことを私たちがメディア関係者に要求することが大事かつ必要なのである。
(この項終わり)



メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任  その2                2018年1月31日(水)記

アジェンダ・セッティング機能、その2:「北朝鮮」報道の誤導

はじめに
 前回、日本の北朝鮮報道を素材にメディアの「アジェンダ・セッティング機能」について書いたところ、何人かの方から、自分もそうした疑問を現在の新聞やテレビの解説、各種の時事評論に接して感じてきたというお便りをいただいた。私は新聞を複数紙購読、ビデオレコーダーを5台持ち、そのうち2台は指定した地デジ局番組をすべて自動的に2週間保存できる。しかし、BS(衛星放送)には対応しておらず、事前に録画予約が必要だ。だから、予約忘れや自分に関心がないものはBSだけ自宅では見直すことができない。もちろん、録画してあっても時間がなければそのまま見ないままのものも多い。

 そうした物理的条件はあるが、今は「オンデマンド」を使ったり、ネットで探せば、とくに中国系(たぶん闇設置?)のサイトにはドラマでもドキュメンタリーでもほとんどの番組が無料で見られるから、後で「番組が検証できない」ことなどまずない。

本稿ではテレビ番組についてもしばしば触れているがその素材は上記いずれかの方法でチェックできたものをベースにしている。ラジオの場合でも同様で、「問題になった番組はほとんどネットで探せば見つかる。その意味で、ネットの功罪はその使いようだ。

このことについては別の機会にふれる。
☆「アジェンダ・セッティング」agenda settingという用語については、いったいどういうこと?言葉そのものをもうすこし説明してほしいという要望があった。日本語で「議題設定機能」といい、「マスメディアによって人びとがその社会認識の枠組みを決められている」「マスメディアが人びとが議論すべき方向性を指導している」のではないかという枠組みのこと。私、渡辺武達が共編者になって出版されている『メディア用語基本事典』(世界思想社、2011年刊、p.156)にも収録(筆者は山口巧二氏)してある。

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政治的「配慮」と政治的「偏向」

私たちが知っておくべきことを糊塗している現在のメディア報道による北朝鮮報道のアジェンダ・セッティングはどういう力学によって作られているのだろうか?

2018年初頭現在の日本メディアによる北朝鮮報道の主要トピックは第1:核開発とミサイル発射、第2:日韓(韓日)「慰安婦」問題、第3:拉致問題である。また一時的現象ではあるが、第1議題が作り出している(正確には利害関係国によって「作り出されている」)緊張とその緩和との連関で、第4が「平昌/ピョンチャン五輪の南北統一チーム参加」が挙げられる。そして「ネトウヨ」(ネット右翼)の間ではいまだに「在日韓国人・朝鮮人への誹謗中傷」がなされており、それが第5に来るといってよい。
それら全体が合わさって日本人多数による「危険な北朝鮮」というイメージが形成される。

☆断っておくが、筆者は北朝鮮が「危険ではない」とか「金正恩(キムジョンウン)体制がその国民にとって幸せだ」と言っているのではない。現在の日本メディアの報道の仕方は「北朝鮮の無毒化」実現の方向とは逆行している、その流れを止められないにせよ、その仕組みを理解しなければ前に進めない・・・といっておきたいだけだ。

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上記5つと順番そのものがアジェンダ・セッティングだが、そのうち慰安婦問題についてすこし掘り下げると「好ましくない」ありていにいえば、報道の「社会的誤り」がある。まずは、見出し表現が「韓国との慰安婦問題・・・」といった表現になっていること。第2は「日韓両国の政府間で、完全かつ不可逆的な合意により解決した・・・」という表現に関わるもの、である。

理由は、「日本が朝鮮を植民地化し、日本軍がそこに侵攻した当時、南北の分断はなかったから、慰安婦にされたコリアン女性には北朝鮮女性も当然含まれていた」のに、そのことがまったく抜け落ちた「字面」になっている。しかも、そのコリアの北半分とは国交回復さえできていない・・・両国には現時点でそんな話ができる雰囲気さえない・・・のはたしかだ。しかしその事実の認識に立って報道しないのでは「敵視」するだけという誤った北朝鮮(DPRK朝鮮民主主義人民共和国)観を形成するし、実際そうなっている。まさにその結果が現在の日本人の対北朝鮮観の誤りの一因となっている。どうしてそうなってしまい、そのことへの疑問さえ出されないのか?そのことを認識しない(国民に認識させない?)報道とはいったい何なのか。

☆こういうと「貴方は北朝鮮の味方か?」といわれそうだが、これは敵か味方か・・・という次元の話ではなく、厳密は学問的議論のためのイロハのイであろう。

答えはそうした「報道力学の発動源が日本の歴代政権のコリア問題観にあり、そのほうが都合がよいという日本の執権層の思惑がそこにはある」からだ。またそれに従ったほうがなにかと都合がよいメディアや学者・研究者たちの「日和見的、利己的な態度」にもその責任がある。その典型例が、研究費の獲得と世間的出世のために中国で人体実験を繰り返し、敗戦後はアメリカに迎合して犯罪行為を繰り返した「731部隊の関係幹部たちで、それと類似の学問、研究環境が現在の日本にもできあがりつつのではないか。

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この仕組みについて、2017.8.13放映のNHKスペシャル「731部隊の真実 エリート医学者と人体実験」「関東軍防疫給水部731部隊」)に見事に描いたが、その忌むべき実験を実行した医学者を率先して軍部と結托してもっとも多く送り込んだのが東京大学・京都大学・慶応大学であった。さらにはそれらの医学者たちの上層部は敗戦直後の現地でアメリカ側に研究成果を差し出すことによって「戦争犯罪者」になることを免れたり、戦後ものうのうと学者人生を満喫した。軍事国家では政界・官界だけではなく学界も腐るが、その無責任さは今日も続いている。

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第2点「不可逆的な合意」の意味について。
誰かに強制されることなく合意された二国間協定は基本的かつ致命的な御認識といった、それ相応の理由がなければ合理的な有効性をもつ。民主的国家では十分に話し合われたうえでの決定であれば、つまり、そこに至る過程での反対者が少数であり、合法的な手続きでのなされた合意はすくなくとも「国家間の約束」として有効である。しかし同時にそれに反対の国民はいつでも、納得できるまで反対の声を上げ続けることができるし、次回選挙でその政権打倒を叫び、活動することができる。それがデモクラシーというものだ。
その点では前朴槿恵(パク・クネ)政権による合意を次期文在寅(ムン・ジェイン)政権が引っ掻き回すのは「国家としての品格に欠ける」といってよい。

半面、倫理観なき安倍政権の面々はともかくとして、政府と国民をつなぐマスメディア、とりわけ「公共放送」を標榜し、「皆様のNHK」と連呼するメディア組織が国民とではなく、国家・政府権力と同じ感覚であれば、それこそ放送法(昭和25年5月2日法律第132号)違反であり、受信料など払いたくなくなる。

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先述した第3トピックの拉致問題でもこのアジェンダ・セッティングの誤りが密接に絡まっている。NNNテレドキュメント(日本テレビ)「拉致と言えなくて~寺越さん母子の55年~」(テレビ金沢制作、2018.1.29放映)を具体例に説明しよう。この日テレドキュメントの提出した寺越さん母子の悲劇の遠因も実はそこにあるからだ。
 
この番組内容は地味だし、わずか30分弱の短い、しかも日曜深夜(24:55分~25:25)放映のドキュメンタリーだ。しかし、「拉致被害者」報道の具体的問題点の一つを見事に描いた。しかし、この時間帯では平均的勤労者には翌日の仕事もあるだろうから、リアル時間での視聴がむずかしい。現在、民放の場合はとくにこうした価値ある良心的ドキュメンタリーのほとんどが①視聴率がとれない②スポンサーが好まない③制作費がかかる④制作時間が長い・・・等の理由で深夜帯に追いやられている。

 ☆筆者は従来から、こうした良心的番組の放送を週に一定時間、プライムタイムでの放送を義務づけることを提言している。それは「言論・表現の自由」「編集の自由」等の侵害ではなく、放送事業者の公共的義務(duty)、公益行為となるのだから。

さて、このNNNドキュメントそのものは1970年スタートの報道ドキュメンタリーで、最近でも東日本大震災時に海上から食料などの支援活動をした「トモダチ作戦」の米空母ロナルドレーガンが被爆し、乗員ら402人が放射能による健康被害を受けたと東京電力を提訴、すでに死者が計9人に達し、しかも法的にそれを米政府に訴えられず、東電を相手にしながら、死亡していく現状を報告した(2017/10/09)。日テレは読売新聞社が主体となって作ったテレビ局だが、本体が現在、自民党右派系と連動の度合いを高めているにかかわらず、このシリーズだけはその制約をものともせず、敢闘しているのがうれしい。

本作「拉致と言えなくて」は能登半島沖7キロの地点で無人の漁船が発見され、そこから行方不明となった寺越武志さん (当時中学生で13才)が24年後に北朝鮮で生存していることが「日本で」確認された。するとその武志さんが急に北朝鮮の労働組合幹部に抜擢され、2002年には北朝鮮訪日団の副団長として一時帰国した。その彼を取り巻く環境を20年以上追いかけているテレビ金沢(日テレ系列)記者による制作番組である。

拉致そのものは小泉元首相の訪朝の結果として北朝鮮側(金正日総書記=当時)が公式に認め謝罪した(2002年9月17日)。だが「被害者」だけではなく、その他にも拉致が疑われるものが「特定失踪者」の中にも相当いること、そして必ずしも日本側が被害面だけからの注目をしているだけでは本質に迫れないことをも可能な限り描いている。
武志さんの居所が判明後、65回も訪朝を続け息子を物心両面で援助してきた母親の友枝さんは北朝鮮での息子の処遇と日本国内であまりに「政治的に利用されて動く」拉致被害者の「家族会」等からも離れ、「北朝鮮に暮らす息子には妻も子どもも孫もいる… 」「この子の胸のうちを私は知っています」と。母と息子の「心の叫び」を伝わってくる、すぐれた番組である。

☆北朝鮮での生存が確認されてから30年が経過した今も、自由に日本に帰国できない寺越さんのケースも「中学生が漁船に乗って一人で北朝鮮に行くはずがない」から99%は「拉致被害者」といえることに間違いはない。

ここからも報道とはなにか、真実とはいったい何のためにあるのか・・・というジャーナリズムの政治性と倫理性の問題が出てくる。また、種々の押し返せそうにないほどの力の制約を押しつけられている現代のマスメディア企業、ジャーナリストたちにも隙間をぬって情報送出に努力している作品が最近多くなっていることにも同時に気づくし、以下のような外国制作番組の輸入によって自己の欠陥を補うことも行われている。

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たとえば、ソビエト連邦(現在のロシア)は冷戦時代、「核開発、核兵器製造都市」を各地に作り、技術者などを家族ごと移住させた。都市に名前はなく、地図にも記載されず、その存在を口外すれば命の危険もあった。その一方で住民には豊かな生活が保障され、「知られざるユートピア」でもあったという。アメリカの取材チームがカザフスタンに存在するそのCity40というコードネームの秘密都市「オジョルスク」の町に入り、今も放射能汚染に苦しむ現状を描いた。

NHKは自分で取材が適わないときはこうして外国製番組を購入して流す手法をとる。この番組と先述した日テレ番組にはジャーナリズムの心意気を示す通奏低音として響くものがある。しかも、こうした核開発に関わる秘密都市(地域)は旧ソ連だけではなく、アメリカにも中国にもあったし、戦争中の日本にも毒ガス開発が行われた瀬戸内海の島でもあったから他人事ではない。
加えて、現在の日本ではほんとうにフクシマ第1ゲンパツ(東電福島第一原発事故現場)で何が起きているかはきちんと報道されていないというのが「まじめな学者」たちの常識であり、上記NHKスペシャルが告発していることが現在の日本にも起きているという想像力が求められる。

☆NHK番組の原題は「CITY40旧ソビエトの秘密都市」、元の制作は D.I.G.Films(アメリカ 16年)BSで2016年9月9日放送、最近ではこの1月15日(月)にも再放送された。 

これらのことから、国際問題を関係国民の幸せとグローバルな平和秩序構築を志向する報道とは何かの問題があぶりだされてくる。残念ながら、少なくとも日本の場合は大半の政治家たち同様、主流メディア幹部たちの多くがそうした認識と責任観、倫理観を欠いている。(この項つづく)



第26回京都メディア懇話会定例会(2018.2.22)

演題:若者の性意識と性情報リテラシー
場所:同志社大学寒梅館6F大会議室(寒梅館は烏丸今出川を北に100メートルほど上がった烏丸通西側の7階建てビル)
時間:18:30~20:00(2018年2月22日)

発題者:NPO法人SEAN理事長 小川真知子氏


略歴:立命館大学・神戸大学大学院卒。
1984年設立の「コマーシャルの中の男女役割を問い直す会」で吉田清彦氏と活動。
特定非営利活動法人SEAN(〈ジェンダーと暴力〉人権講座と授業・調査研究)理事長、大阪市立大学非常勤講師
発題概要:
1. NPO法人SEANの事業とポルノ被害相談を請け負うまでのおおまかな流れ
・私の活動とNPO法人SEAN
・ポルノ被害とはなにか 
*NPO法人SEANのHPより*
わたしたちの日常には、「性」を商品として扱うモノがあふれかえっています。特に、女性は男性に比べ、そのように扱われがちです。 ここでは、ポルノを性表現一般のことではなく、
「女性、子ども(時に男性)を見世物的に扱う、また虐待的に扱う性的描写物(実写およ非実写)」を指す言葉とし、その制作から始まって、流通、消費、社会的流布などを通じて発生している性被害を「ポルノ被害」と呼びます。
商業ポルノとして流通する性的描写物の中には、カップル間で撮られたものや、盗撮や強姦などの性被害で撮られるものも含まれています。
*PAPS https://paps-jp.org/aboutus/harms/)
①制作被害
 制作過程で、契約や同意に反する撮影を強要される。撮影時に暴力を受ける。
 裸体や性行為の盗撮や、性暴力被害を撮影される など
②流通被害
 制作被害物のネットなどで流通される。カップル間で撮った性的画像を無断で流通される。
 いやがらせや報復のために、性的な写真や合成写真を流通される など
③消費被害
家庭や職場などで意に反して、ポルノを見せられたり、ポルノ的な行為を強要される。
そのポルノの影響を受けたものから、痴漢やレイプなどの性暴力を受ける など
④社会的被害
公共の場で不意にポルノ的なもの目にし、苦痛を感じる。女性を性的消費物とする見方を一般化または環境化し、女性の尊厳を傷つけ、社会的地位を低下させる など
⑤.存在被害
ポルノが他人に所持され、使用され続ける。また、脅迫やいやがらせに使用される など

2.性情報リテラシーと現代のメディア

3.デートDV予防教育からみたジェンダー規範と若者の性意識「女性性の商品化」

4.リベンジポルノ被害、児童ポルノ事件とポルノ被害 (AV出演強要)

5.子どもの問題は社会の問題、社会の問題は国の責務
「誰もがありのままを大切にされ、活かされる社会」のために今日からできることは?

コメンテーター:齊藤修(「京都メディア懇話会」理事長)
司会:永井るり子(京都光華女子大学非常勤講師)

                (以上)



メディアと社会:ジャーナリズムの倫理と責任 2018年1月25日(木)記

はじめに

 私たちは四六時中メディアに取り囲まれて暮らしている。このときの「メディア」はテレビや新聞、スマホといったものだが、メディア論はその考察領域をもっと広く深く、人間生活のすべての領域を想定した中での個別事象考察の対象にしていかなければならない。そうでないと、140字以内のツイッター発言やコンピュータでかき集めて作った通称「ビッグデータ」などに簡単に騙されやすくなってしまうからだ。

社会と情報について個々人の日常生活とその行動のふり幅、そしてそれら個々人の言動が何に影響されて作られているか?それにたえず注意していかなければ、私たちはこれからどういう社会を作っていけばいいのかが見えてこないし、すくなくとも主体的にその作業に参加していけない。ジャーナリズム理論としていえば、日々の出来ごとを追いかけ、決められた時間内に報道する「ファストジャーナリズム」だけではなく、スロージャーナリズム(人間の情報行動の根幹を一人一人の生活次元からグローバルな展開までを射程にとらえた「生の生活」リズムで描く「ジャーナリズム」)に等しく軸足をおくものでなければいけない・・・と私は考える。

とすれば、それはいったいどういうメディア・ジャーナリズムないしはそれらの研究のことをいうのであろうか。
まず、「メディア」という用語は私たちの日常用語としては一般的に新聞やテレビ、ネットなどのことで情報を私たちに運んでくるものだ。ここ20年ばかりはそれにコンピュータに依拠したインターネット技術が各種の通信技術を発展させてきた。その代表が各種新アプリを備えたスマホである。

原理的にいえば、何から誰かが何らかのメッセージを感じ取れば、その「何か」が「メディア」、そのメッセージ/情報の移動過程が「コミュニケーション」である。つまり情報を運び移動させるものが「メディア」で、二者以上の複数者間での情報移動が「コミュニケーション」だ。ただし、人が個人で思い悩んだり、自分で書いた日記を読んだりするケースではその日記がメディアで、その日記とそれを読む人との情報の流れがコミュニケーション行為だ)。その意味ではトラック輸送などの物流も広い意味での「コミュニケーション」行為で、その内面コミュニケーションの活発な人ほど、自己省察ができ、安定している場合が多いということになる(詳しくは「メディアとは何か」渡辺武達・田口哲也・吉澤健吉編 『メディア学の現在〔新訂第2版〕』世界思想社、2015年、第1章)。

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概論的なことがそれぐらいにして、ここでは私たちが日常的に接しているテレビや新聞、ネットなどが社会でどのような役割をし、そのことによって私たちがどのような社会観(倫理観・歴史観・世界観)を形成し、「社会行動」をしているのか・・・あるいは現実にそうして暮らすことを強いられているのか・・・果たして現在のままで私たちは社会を正確にとらえ、問題点を摘出し、改善していける学問としてのメディア学を構築できているのか。
そうしたことについて、具体的な例としてまずは「北朝鮮」報道と取り上げ記していくことにしよう。

「北朝鮮」報道  その1:アジェンダセッティングはこれでいいのか?

この一年ばかり、日本のテレビや新聞がほぼ毎日取り上げている「北朝鮮」問題だがこれについては確実に現在のマスメディアは情報操作機関化している。
たとえば、「北朝鮮」の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」で、れっきとした国連加盟国。英語ではDemocratic People’s Republic of Korea= DPRK。そのことを知ったうえで、本稿でも省略して「北朝鮮」と呼ぶ。

☆詳しくは以下を参照。渡辺武達「メディア操作される北朝鮮像」(『評論・社会科学』第50号、同志社大学人文学会、1994年9月30日発行。

「北朝鮮」報道のアジェンダセッティング

 一口に「北朝鮮問題」といってもいろいろある。たとえば、2006年1-9月、NHKは北朝鮮関係放送原稿約2000本のうち、約700本が「拉致関係」であった(原田豊彦放送総局長の会見による発表)。だがそれだけ多くの報道があっても、拉致被害者家族の中にも、報道が数だけではなく、質的にきわめて大きな問題を抱えていることを指摘した本があり、たしかにそこには私たちが知っておくべきことが数多く書かれている。

☆蓮池透(2015)『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』講談社
☆たとえば、旧日本軍が朝鮮半島で「拉致や殺害をしたことを朝鮮人が忘れておらず、「その事実が北朝鮮政府の強硬(凶行)政治を支えていることなど。このことは現在の韓国文在寅=ムン・ジェイン政治にもいえることだ。

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だが、昨年(2017)秋のトランプ大統領来日の際に拉致被害家族の横田夫人が面会したことを除けば、過去一年の北朝鮮報道は新聞もテレビもネットも核とミサイル問題についてがほとんどである。そしてその視点の第1は、「あの無慈悲な拉致を行った北朝鮮の核兵器とそれを運搬するミサイル開発は日本にとってとんでもないもので、それを即時中止させるには・・・」「それには北朝鮮への圧力を高め・・・アメリカとの軍事協力が必要だ・・・」という戦略=安倍首相の米国追従政策が合法化され、米国から莫大な兵器/軍装品を買わされることになってしまっている。それにトランプ大統領と親しい関係が演出され、安倍自民党が衆院選で大勝してしまった(2017年10月22日投票)。麻生副総理兼財務相がいみじくも述懐したように「選挙の勝利は北朝鮮による貢献」(暴虐イメージが造られそれに有権者が踊らされた)があったからであった。

麻生副総理はある意味で正直だが政治と経済の特権階級の育ちで、戦争の実相を体験的に知らない(安倍晋三も同じ)。こうした暴言を繰り返してまさに「国民益」の阻害要因となっているが、問題は、その騙しに簡単に乗ってしまう有権者を作っているのが圧倒的多数のマスメディアであるということだ。

☆これに関しては以下を参照、SANKEI EXPRESS 2013年8月7日号掲載、渡辺武達「良識と常識が欠如した麻生発言問題」

 さて、北朝鮮の核とミサイル問題はどのような決着をするのか・・・それは過去の歴史をひもとけばすぐ分かることだ。

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核とミサイル問題でのステークホルダー(直接の関係者)は上記の6人(金正恩の左に習近平・プーチン・文在寅=ムン・ジェイン、右に安倍晋三とトランプ)である。このうち韓国(ムン大統領)と日本は「非核保有国」とされているが政治力学でも軍事論としても、とりわけ左サイドの3人からみれば、「日本(と韓国)は核保有国」である。なぜなら、両国とも米軍基地として広大な土地を提供し、そこには核兵器がいつでも持ち込める設備が「日本のばあいは思いやり予算」で整っている(しかも実際には日韓ともに核兵が常備されている可能性が高い←最近公開されたNHK番組「沖縄と核」からもほぼそれは確実)。

つまり、北朝鮮がやっていることはかつてロシアと中国が核兵器を開発し米国の一国世界支配から脱したように、北朝鮮は核クラブの横暴に異議を唱え、核とそれを運搬するミサイルを開発したにすぎないから・・・。つまり現時点での解決は北朝鮮をどのような形で「核クラブ入りさせるか」ということでしかないわけだ。

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この問題は南北朝鮮がいくら話し合ってもそれはきっかけにはなっても完全解決ではないし、政治的にはあり得ない!問題は南北問題を超えた世界の力のバランスにあるのだから。
その点での理解がいちばんできているのがプーチンであり、最近もかれは「キムジョンウンは優れた政治指導者だ」と公言している。もっとも可哀想なのは少しでも体制批判をすればすぐ処刑されてしまう北朝鮮国民だが、その無慈悲さでは他の4人も大同小異だろう。

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今、平昌冬季五輪に関して南北朝鮮間での話し合いが進行しているがこれは北のペースですべてが進むのは政治的な常識だ。なぜなら、北の政治体制には「ワルはワルなりにぶれがない」からである。

 筆者は縁あって、北朝鮮への訪問体験が4度あり、うち2度、南北朝鮮の分岐点の話し合い場所、板門店を訪れ、「ここから南には人間本当の幸せはない・・・」、南からは10回以上訪れ、「ここから北には自由がない・・・」とった話を聞かされた。国際政治に翻弄される両国民に同情せざるを得なかった。(この項、続く)




プロフィール

twatanab

Author:twatanab
本人略歴

渡辺武達(わたなべ たけさと) Takesato Watanabe, Japan
愛知県生まれ。同志社大学教授(社会学部メディア学科)を経て、現在、同志社大学名誉教授、日本セイシェル協会理事長、京都メディア懇話会会長。国際メディア・コミュニケーション学会国際理事、国内、国外での講演・執筆活動やテレビ出演、セイシェル関連でのテレビ番組コーディネイター等をしている。

メディア関係の社会活動として、同志社大学メディア・コミュニケーション研究センター代表(2003-7)、関西テレビ番組審議会委員(1996-2010)。京都新聞報道審議会委員(2000-2015)、など。(2016年9月現在)

Takesato Watanabe: Professor Emeritus at Doshisha University, Japan, Media& Information AnalystPresident of Kyoto Council on Media Studies and PoliticalScience=CMSPS)Kyoto International Council of International Association for Media and Communication Research=IAMCR Chairman of Japan-Seychelles Friendship Association (As of September2016)

著訳書:『ジャパリッシュのすすめ(朝日新聞社、1983年)、『テレビー「やらせ」と「情報操作」』(三省堂、1995年)、『メディア・トリックの社会学』(世界思想社、1995年)、『メディアと情報は誰のものか』(潮出版社、2000年)、“A Public Betrayed”(『裏切られた大衆』(2004年、米国Regnery刊、A. Gambleと共著)、『メディアと権力』(論創社、2007年)、『メディア・アカウンタビリティと公表行為の自由』(論創社、2009年)、『自由で責任あるメディア』(論創社、2008年)、『メディアへの希望 積極的公正中立主義からの提言』(論創社、2012年)、『メディアリテラシーとデモクラシー 積極的公正中立主義の時代』(論創社、2014年)、『メディア学の現在』(共編、世界思想社、2015年)など。

1980年代からテレビ制作に関わり、ファミリークイズやドキュメンタリー番組を作る。現在はCCTV(中国中央テレビ)英語国際放送などに衛星生中継で出演。専門はメディア社会論、国際コミュニケーション論。

Statement: Takesato Watanabe (as of May 2016)

Takesato Watanabe is Professor Emeritus,Doshisha University, Japan and President of the Kyoto Council on Media Studies and Political Science. After studying Journalism and Mass Communication at Doshisha University, he taught Journalism Ethics and Mass Communication Theory at that university for 25 years. He also acted as an advisor for International Department of The Japan Society for Studies in Journalism and Mass Communication. In his media career, he has been a TV coordinator for over thirty years, a newspaper columnist and a commentator for China Central TV since 2007. He has published over 25 books, including co-authored and edited volumes; also in English, A Public Betrayed: An Inside Look at Japanese Media Atrocities and Their Warnings to the West, published in the United States.

Among his major translations from English into Japanese are A Free and Responsible Press by the Commission on Freedom of the Press (1947) and Denis McQuail’s Media Accountability and Freedom of Publication (2003).

He wishes to contribute to making IAMCR a stronger organization that will play a role in preparing an information environment for world peace through media studies and practices.

Author: Takesato Watanabe, Professor Emeritus at Doshisha University, Japan.

Media & Information Analyst

渡辺武達(メディア・情報学者)

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